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散りゆく薔薇(その2)

 一瞬の隙をついて、ラザラスの結界を抜け出し侯爵の元へ駆けつけたのだが、マリオンには短い時間で火を鎮めるのが精一杯だった。

 ラザラスはマリオンのすぐ後を追ってきていた。

 ロザリンに危害を及ぼさないためにも、すぐにラザラスと共に結界の中へ戻らねばならない。

 マリオンはすぐ後ろに迫っていたラザラスのマントを振り向きざまに掴むと、強引に結界の中に引き込んだ。

 結界の中に戻ると、マリオンの手をラザラスは乱暴に振り解き、後ろに大きくとんぼを切って間合いをとった。

 意外なほどの身の軽さが、やはり普通とは思えない。

「お前はラザラスじゃないだろう! ラザラスはどこへ行った!?」

 マリオンの問いにラザラスが哄笑で答える。

「あんまり馬鹿笑いすると、顎が外れるぜ?」

 片頬に凄味のある笑いを浮かべたマリオンは、空中から無造作につかみ出した光の剣を渾身の力を込めてラザラスに打ち込んだ。

「俺がラザラスでないなら、一体なんだと思う?」


 ラザラスが同じように空中からつかみ出した黒い剣でマリオンの剣を受ける。

 マリオンの剣は、黒い剣とぶつかりあって蒼白い光を放った。そのまま息もつかせず、マリオンが容赦なく剣を振るう。

 間断なく続く激しい打ち込みに、さすがのラザラスも受けきれず後ろへ後ろへと押されていく。

 だが、あともう少しで背が壁に突き当たるというところで、ラザラスは後ろへ高く跳躍した。

 そのまま壁の上部ある僅かなでっぱりにブーツの踵を引っ掛けて立ったまま、マリオンを見下ろしている。

 身体はかなり前のめりの形で斜めになっているが、落ちそうな気配はまったくない。どう考えても普通の人間に――魔術師といえども――そんな芸当はできようはずもなかった。

「ラザラスの身体を借りた何者か。たぶん、お前が地下のぬしだろう? 違うか?」

 怒りにまなじりを吊りあげたマリオンの問いにラザラス、いや、ラザラスの形をしたものがくくっと少し引き込むような笑い声をあげた。

 赤い目が、最初に見たときよりも更に深く暗い赤色に輝いている。

「お前、ラザラスを喰らったな?」

 眉間に深い皺を刻み、マリオンが吐き捨てるようにいうと、再びラザラスの形をしたものが両腕を広げて哄笑した。


「なかなか賢いな、小僧。そう、俺はもうラザラスではない。こいつの中身なぞとうの昔に喰らい尽くしたわ」

 地下のぬしはマリオンにその指を突きつけた。

「そうとも、お前がその昔、その身に竜を喰らったように、な」

 マリオンは目を細めた。

「何故、お前がそれを知っている。そして何故、僕をここに呼んだ?」

 偽のラザラスが眉を上げて唇を真横に大きく広げ歯をむき出して、きしるような笑い声をあげた。

 こんな笑い方など、本物のラザラスなら決してやらなかったに違いない。

「竜のことなど有名な話よ、俺たち魔物の間ではな。その半身は魔物のくせに人間の肩を持つ、裏切り者の金目の魔術師どの」

 マリオンの眉が不快そうにきつく寄せられた。

 それがこちらの理性を失わせるためのあおりだということは、はなからわかってはいたが、不快であることに変わりはない。


 偽ラザラスは得意げな笑みを崩さぬまま、大きく指を振った。

「何故呼ばったかとな? 誰が呼んだというのかな? お前が勝手にやって来ただけではないか。誰もお前など呼んではおらぬぞ」

 ふっ、とマリオンがあざけるような笑みを浮かべた。

「嘘をつくな、闇の王よ。お前はすべて計算づくで侯爵の妻に魔法をかけた。そして、何人もの娘たちとフェリシアをここに攫ってきた。僕個人を呼ぶつもりはなかったかもしれない。ジェイクでもよかったんだろう。だがお前は確かに、力のある魔術師を探していたはずだ」

 マリオンは、深く息を吸い込んで一拍おいた。

「何故だ?!」

 きしし、と不快な声で偽のラザラスが笑った。

「そこまではわかったか、小僧。ならば、俺と勝負しろ。お前の全てを賭けて俺と勝負だ。そうしたらその先を教えてやる」

 言葉が終わるやいなや、偽ラザラスの胸がぐうっとせり出して深く息を吸い込んだ。

 と見る間に、耳元まで大きく裂けた赤い口から、まるで蜘蛛の糸のように白いねばつくものが吐き出され、ざざっと音を立てて大量にマリオンの上に降り注いだ。

 間一髪で後ろへ大きく跳躍し、マリオンがそれをかわす。ぼたぼたと白い塊がいくつも足元に落ち、腐臭を放ちながら石の床を腐食させていく。


 偽ラザラスの口が再び開き、白い糸を吐き出そうとしていた。同時にマリオンが右手を高く上げる。

 蒼白い光がその手の先からぼっと吹き出し、次の瞬間、吐き出されたねばつく白い糸を正面から飲み込んだ。

 そのまま音もなく蒼白い光は四方に霧散し、あたりの状況にそぐわぬほど淡く美しいきらめきを振り撒いた。

「どうもな」

 偽のラザラスがきしるような声をあげた。

「こんなちっぽけな身体では調子が出んな」

 マリオンは、無言でもう一度右手を高く上げた。今度は無数の白い小さなきらめきが空中に浮かんだ。小さな水晶の結晶のようにも見えるが、実際は氷でできた細い矢だった。

 さっとマリオンが右手を振ると、その無数の氷の矢は鋭い音を立てて風を切り、偽ラザラスめがけて飛んだ。

 避ける暇もなく偽ラザラスの痩せた身体に無数の氷の矢が深く突き刺さり、間髪いれずマリオンが右手の指をぱちんと鳴らす。

 それを合図に身体に刺さった無数の矢が一斉に砕け散り、同時に偽ラザラスの耳まで裂けた口が地下中に響く獣じみた咆哮をあげた。

 闇の中に氷の破片と肉片と黒い血が盛大に振り撒かれ、あたりにむせ返るほどの血の匂いがたちこめた。

 すでに偽ラザラスの顔は肌が裂け、肉がむき出しになり血まみれになって見る影もない。身体にもいくつも穴があき、そこから血がぼとぼとと音を立てて滴り落ちている。


 だが、それでもなお、マリオンは追撃の手をゆるめなかった。

 マリオンがふっと右手の拳に息を吹きかけると、蒼白い幾筋もの光が握った指の隙間から空中に向けて放たれる。

 その細い糸のような光は偽ラザラスの身体に達すると、まるでしなやかな鞭のようにその身体に巻きつき、ぐるぐると幾重にも覆っていった。

 みるみるうちにその光の呪縛は、蒼白い炎を放ちながら情け容赦なく偽ラザラスの身体を締め付けていく。

 暗闇の中に蒼白い巨大なかいこが出現したようにも見え、それとともに骨が砕ける不気味な音がいくつも闇の中に響き渡った。

 だが、人間の身体では到底生きていられぬほどの極限まで細く締め付けられた光の呪縛は、偽ラザラスののどの奥から発せられた獣のような一声であっさりと解けた。

「これしきでどうにかなると思ってるのか、小僧! この結界がある限り、お前の魔法はそこまでさ」

 そして、彼は顔をのけぞらせて高笑いした。腕は折れ曲がり、肩からだらりと力なく落ちている。ぶるぶると半分ほど飛び出した眼球がゆれ、赤黒く変色した舌が別の生き物のように垂れ下がり、言葉も聞き取り難くもつれているが、偽ラザラスは一向に困った風はない。

 そしてそれでもまだその身体は、壁から斜めに張り出したままだった。

 マリオンは目をすがめた。


 確かにここにおいて、自分の魔力が落ちていることは否定できない。力の半分ほどがどこかに吸い込まれているような感覚がある。結界の中の結界によって、魔力が圧迫、圧倒され萎縮しているのだろう。

「なるほど。お前の本体はここにない、地下にある、ということらしいな」

 マリオンが両手をあげ、手の中に再び光の剣を呼び出した。

 そして、剣を両手でしっかりと柄を握り直し、大きく振りかぶると裂帛れっぱくの気合と共に渾身こんしんの力をこめて、そのするどい切っ先を石の床につきたてた。

 光の剣は、そのまままるで柔らかなチーズにでも刺さったかのように何の抵抗もなくずぶずぶと石の床から下へと沈んでいく。

 それとともにごおっと激しい音をたて、光の剣から発生した真っ白な波動が闇を切り裂く。地下室の隅々まで光が行き渡る。

 まるで水で洗われたように、今まで闇であったものが真っ白な光に変わっていった。

 それは今まで黒かった輪郭が白く塗りつぶされ、輝きを増して薄れていくようであった。

 そして、ラザラスの断末魔の声がその光の波動によって途切れると、マリオンは荒い息をひとつ吐き右腕で身体を支え床の上に片膝をついて座り込んだ。かび臭かった地下室は、清浄な空気に満たされている。闇が駆逐され、すべてが終わったかのように見えた。

「いや、まだだ。まだ、終わっていない」

 だが、マリオンはそうつぶやくと、もう一度立ち上がってあたりを見回した。


****明日はお休みします****

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