薔薇の陰謀(その1)
【Jake's SIDE】
「おい! 冗談だろう?!」という言葉を、ジェイクは危うく飲み込んだ。
もうマリオンが彼女を連れて、二人のすぐそばまでやって来ていた。
ロザリンはすでに仮面をかぶり、如才なく笑顔で優雅な挨拶を交わしている。
『なんとかって、あの彼女に何かしたら、この俺が容赦なくマリオンにぶち殺されるのは絶対確実、間違いないぜ? あいつがぶち切れたら何をされるか、考えるのも怖い。だいたい、俺に何をやらせようとしてるんだ、この姫君は』
同じように冷徹な仮面をかぶったまま、ジェイクはロザリンの顔色をうかがった。
ロザリンは、いつもとまるで変わりがないように見えている。にこやかで可愛らしく、華やかで美しい。
『黙っていれば、見惚れるほど美しいのだが・・・・・・やはり薔薇には棘がある』
「フェリシア、と申します。どうぞよろしくお願いいたしますね」
そんなジェイクに向かって、フェリシアが柔らかなアルトで挨拶をしてきた。
ジェイクは喜んで彼女の手をとり、レースの手袋に守られたほっそりと綺麗な指に口付けた。
「私は、ジェイク・クエイル。こちらこそよろしく。マリオンとはだいぶ長い付き合いですが、こんな素敵な女性とおつきあいがあるとは、ついぞ知りませんでしたね」
そう、俺よりずっと趣味がいい。
ジェイクは、無意識のうちに眉間にかすかに皺を寄せた。
フェリシアと名乗った魔女は、百合のようにまっすぐで清らかな雰囲気を持っている。その笑顔には何のたくらみも魂胆も感じられない。自分を必要以上に美しく見せようとか、自分の美貌で誰かを何とかしようとかまるで考えてはいない。むしろ、その美貌は自分の男だけが認めていればよい、と考えているように見えた。
だからといって、媚を売っている、という感じでもない。それは、自然体で気取りのない笑顔や話し方、ちょっとした動作などに現れている。たぶん、今日のドレスだとて他の誰かに見せようというよりは、マリオンが綺麗だと思ってくれて、しかも一緒に並んで歩いても彼が恥ずかしくないように、という配慮かもしれない。
少年のように凛々しく気の強そうな目をした彼女は、ロザリンほどの華やかさはなく絶世の美女とは確かに言えないかもしれないが、ある意味ではもっと美しく眩しい女だ、とジェイクは心の中でひとりごちた。
ロザリンの嫉妬の矛先は、たいそう正当な的に向いている。
自分とはまったく正反対のもの、自分がなりたくてもなりえないものへ向いているのだ。
女らしいとか清純とか清らかとか神聖、などという言葉は、ロザリンの外見にはふさわしいが、必ずしもその内面を表す言葉ではない、とジェイクは二人の美女を見比べながら考えていた。
魔女と姫君が、その立場を入れ替えればいいのかもしれない。
ロザリンには、『魔女』という言葉がよく似合いそうだ。フェリシアには姫君が・・・・・・。
ロザリンであれば、きっと何よりも誰よりも黒い魔女、残忍かつ冷酷無慈悲、闇に映える美しい魔女になったことだろう。
黒魔女は何も生み出さない。ただ、破壊し尽くすのみ。
それを考えると、ジェイクは少し惜しい気がした。
ロザリンはこんな城になど生まれなくてもよかったものを。彼女には魔女のほうがはるかに似合っている。
だが、もしもフェリシアがこの城に生まれていたら、俺には彼女は分不相応だ、とジェイクは考える。
仕えているのがもしフェリシアだったとしたら、俺の食指はぴくりとも動かなかっただろう。
自分に似合つかわしくない『姫君への忠誠』を誓っていたかもしれないが、おのれの愛人にしたいという気持ちは起こらないだろう。
いや、たとえ起こったとしても、決して表に出すようなことはしなかったに違いない。
ジェイクは心の中で苦笑した。
『つまり、俺たちは割れ鍋にとじ蓋ってやつか』
マリオンが、完璧な男だとは思わない。
確かに容姿は整っていて、魔術師としても超一流だ。
しかも奴は、その髪で隠している左目に、魔竜に匹敵するほどの魔力を隠しているというもっぱらの噂だ。
内側はどうあれ、口調も穏やか、物腰も上品で頭もいい。見かけによらず腕っ節も強く、剣にも堪能だ。
上位の騎士、いや、これも巷の噂で聞いたところの彼の生まれから言えば、上流貴族としても充分に通用するだろう。
しかし、皮肉屋の自分が言うのもなんだが、奴はそれなりに嫌味な奴だし、性格も微妙に歪んでいる部分がある。
頑固で意固地で、底意地が悪く、怒りっぽいかんしゃく持ちな面もある。
大雑把で、あっけらかんとしているくせに神経質で繊細という厄介な面もある。そう、確かに完璧とはいえない。
だが、根底の部分が自分とは違う、とジェイクは思う。
『奴は他人のために何かする、ということを厭わない』
マリオンにとって、『自分より弱きものは守るべきもの』、というのがすべてなのだ。
自分の力が及ぶ範囲のことなら何でもしてやり、それに対して見返りなど求めない。
それが正義だとか、自分の天命だなどという気負いは、彼にはさらさらないだろう。逆にそう言われたら、「僕はそんな善人じゃないんだけど?」と、気を悪くするかも知れない。
彼はまったく無意識にそれをやってのける。
それは確かに彼が言うように、善人だとか人がいいとか優しいとか、そういうことではまるでない。たぶん、彼の本能に刻み込まれた記憶のように、自然に作用するだけだ。そのために彼の魔法はあり、しかも、その魔法を使うという部分では、常に彼は『完璧な男』だった。
そこのところで俺は負けている、とジェイクは思った。いや、実は勝っているのか?
ジェイクは常に自分のために魔法を行う。利益になることだったら、人も救えば、殺しもする。それがいいとか悪いとか、難しく考えたことはない。割り切っているから、マリオンのように悩み苦しむということは少ない。
勝敗がどっちなのか定かではないが、それが微妙に選ぶ女にも影響している、という気はした。
たぶん、似た者同士がくっつくように世の中はうまくできているのだ。
「・・・・・・って、ちゃんと、聞いていて? ジェイク」
はっと我に返ると、ロザリンが何事かの話題をジェイクに振ってその答えを待っていたものらしく、その場の視線がみな自分に注がれていた。
だがもちろん、ジェイクは何一つ聞いてなどいなかった。
つまらない噂話の類だということだけは把握していたが、それ以上のことは何も答えられそうにない。
「これは失礼、ロザリン姫。美しい花々に見惚れていて、ぼうっとしておりました」
悪びれず、ジェイクは口元に薄い笑みを浮かべて、意味ありげにフェリシアからロザリンへ視線を移した。
「困った方ね。お父様の領地で、最近、頻繁に起きているおかしなことの噂を知っていらして? とお聞きしたのだけど?」
呆れたようなロザリンの口調には、かすかに棘が感じられた。
だが、ジェイクはそれを無視することに決めた。いちいち、姫君のご機嫌を伺ってはいられない。
というよりも、姫君のご機嫌を損ねることに最近のジェイクは、密かな楽しみを感じている。
「さて? どのような噂でしょう? 私は噂話にはとんと興味がないもので」
「おやおや? 父上の御領地内で、一体何が起きているというんだね?」
ジェイクが答えると、興味を持ったような顔でオブライエン卿が会話に割り込んできた。
「ええ、私も噂でしか聞いたことがございませんのよ? ですから本当かどうか、定かではございませんわ。ね? モーリス、あなたがお話して?」
ロザリンは、小鳥のように首をかしげて、後ろに突っ立ち口を出さずに控えていたモーリスのほうを向いた。
「私も護衛控え所での噂しか聞いてはおりませんが」
モーリスが堅苦しい顔で答えると、ロザリンがにっこりと笑った。
「かまわなくってよ、モーリス。何処で聞こうと、所詮はすべて噂でしかないの。お話して」
はい、とモーリスは、ロザリンの笑顔にうなずいた。
「ここから南のほうに下ったところに小さな村落があります。そこで最近、若い娘が行方知れずになるというのです。それが、あまりにも頻繁なので魔物の仕業ではないかということになっているらしいのですが、実はその一年ほど前は、その村よりもさらに南のほうの村で同じようなことが起きていた、ということです」
「モーリスったら、面白みのないお話の仕方ね」
ロザリンが呆れたような口調でいい、それからころころと笑った。
「それでは、ちっとも怖くないわ。もう少しなんとかならなくて?」
「これこれ、ロザリン姫。面白がるような話でもあるまいに。そのようなことが御領地内で起きているのであれば、父上も困っていらっしゃるであろうが」
オブライエン卿が言うと、ロザリンが扇で口元を隠して再びくすくす笑い、
「でも、噂なんですもの。本当はどうなのか、わかりませんのよ、おじ様」
それから、マリオンのほうに視線を投げると、小首を傾げて見せた。
「マリオン様は、どうお考えになりますかしら? 本当に魔物のしわざとお思い?」
マリオンは、少しだけ考え込むようなそぶりを見せたが、
「どうでしょうね。それだけでは、僕にもなんともいえませんが。事実だとしたら、村人にとってさぞや恐ろしく悲しいことだと思いますよ。お父上がなんらかの手段を講じてくださるとよろしいですね」
と、たいそう模範的な回答を口にした。
ロザリンは、その答えに満足そうな顔で微笑む。
「まあ、お優しいのね、マリオン様。私、父に進言してみますわ」
ジェイクは眉間に皺を刻んだ。
その話は、もしかしたら・・・・・・。
ジェイクが再び自分の思いの中に潜りこもうとしたときに、あたりがざわめいた。
そのざわめきは、今までのものとは少し違う。
あちこちに無秩序に固まっていた人々が、綺麗に左右に分かれ道をあけた。
「まぁ、お父様だわ」
ロザリンが嬉しそうに声をあげた。
『御大のお出ましか。こんなところで、長々と油を売ってるんじゃなかったな』
ジェイクはちっと心の中で舌打ちをして、姿を消す口実がないものかと思案をしていた。
どうもこの雇い主、ネイサン・サモンデュール侯爵が苦手なのだ。
侯爵の見た目は堂々たる偉丈夫で、背も高くがっしりとした身体に、濃い眉、くっきりとおった鼻筋、鋭い目をしていて、大きな分厚い唇は豊かなあごひげに半ば隠されている。
どこから見ても人品卑しからぬ立派な騎士で、巷での人々の評判もかなりいい。
人格者だと誰に聞いても答えることだろう。
だが、どうもこの男はどこかに何か黒い思惑のようなものを持っていて油断がならん、とジェイクは考えている。
この城に雇われて、はや一年ほども経とうとしているのだが、いまだによくわからない雇い主、という気がしていた。
「顔に出ているよ、ジェイク」
マリオンが視線は侯爵に当てたまま、ジェイクのほうへ身体を傾け、どこかに笑いを含んだ小声で囁いてきた。
どうやら、かすかに寄せた眉か、僅かにひくついた口元でジェイクの心の中を見抜いたものらしい。
こいつのこういうところが、大嫌いだ。
ジェイクは、心の中で思ったことをそのまま口に出した。
「俺は、お前のそういうところが大嫌いだ」
マリオンは、今度はあからさまな笑顔になってジェイクにちらっと視線を戻した。
「僕は、君のそういうところが好きだけどね」
ジェイクは何か言い返そうとして、いったん開けた口を閉じた。
こいつの思う壺にはまってたまるもんか。




