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薔薇の出会い(その2)

 あら、とロザリンは思う。

 貴族の女は治療師を職業とはしない、いや、そもそも仕事など持ちはしない。

 では、その田舎者の薔薇とやらは、貴族ではないのだろう。

「まぁ、立派なお仕事をお持ちなのね」

 ロザリンが大きく目を見開きながら言うと、彼は少し照れたような笑いを浮かべた。

 ロザリンの胸がちくりとまた痛む。

 どこがいいの? そんな女。

「ええ、そうですね。僕はそういうことが苦手なので、彼女に頼りっぱなしですよ」

 ロザリンはあら、と小さく声をあげ右手を頬に当てた。

「私、魔術師さんてどなたでも、治療とか得意なのかと思ってたんですけど」

 その問いに、マリオンが肩をすくめて見せた。

「魔術師といえども、得手不得手はありますよ。僕もできないわけじゃありませんが、苦手、なんです」

「まぁ、そういうものなんですのね。でもマリオン様は、何でもおできになりそうに見えますけれど」

 手を胸に当て、ロザリンは感心したように声をあげた。

 たいていの男はロザリンにそう言われると、頬を上気させ少し照れるものだが、彼の反応は違った。

 ただちょっとだけ眉を上げ無言のまま、手にしたゴブレットを口元に運んだだけだった。

「そりゃあ、何でもできるじゃろうて。有名なお方じゃよ、ロザリン姫が知らぬだけじゃ」

 自分のことでもないのに得意げなオブライエン卿の言葉に、ふっとマリオンが自嘲気味の笑いを浮かべた。


「有名じゃありませんよ。卿が、たまたま僕をご存知なだけです」

「そうかな? 君は、この城のお抱え魔術師のジェイクとも知り合いじゃろう? 彼も言っとったぞ、君はこの大陸で五本の指に入る、とな」

 ジェイク、ジェイク・クエイル、とロザリンは、口の中で彼の名前をつぶやいた。

 あの目つきの鋭いこの城のおかかえ魔術師。嫌な名前。思い出したくないわ。

「彼が言ってることを鵜呑みにしちゃいけませんよ、オブライエン卿」

 マリオンは苦笑している。

 そうね、きっとジェイクが言っている五人の中には、もちろんジェイク自身も入っていることだろう。

 他に誰が入っているかわかったものじゃあないわね。

「そんな事があるものかね。わしが見たあれだって」

 何を見たことを思い出したものか、オブライエン卿は少し興奮気味にその太い両腕を大きく振り回した。


 ちょうどそのとき、たくさんの葡萄酒のゴブレットを盆に載せた使用人が後ろを通ったところで、振り回した卿の腕は、その盆を派手に下から叩くような格好になった。

 銀の盆は斜めに飛び上がり、同様に上のグラスも弾け飛び、あちこちの床に染みを作った。

 運悪く、中のひとつがロザリンの淡い薔薇色のドレスの上に転がり落ち、腰から裾にかけて大きな赤い染みを作ってしまった。

 オブライエン卿は為すすべもなく立ちすくんでいて、使用人は床にひれ伏ししきりにロザリンに謝罪の言葉を述べている。あたりはこの突発的な出来事に人垣ができ、ざわめいていた。

「なんてこと・・・・・・」

 ロザリンは呆然として自分のドレスを見下ろした。

 その大きな赤い染みで、ドレスはすっかり台無しになっていた。

 元が似たような薔薇色とはいえ葡萄酒の赤はさらに赤く、シルクとシフォンに容赦なく染まりつき裾にほどこされていた銀糸の刺繍の中にまですっかり染みとおっていた。


「もうあれは着られないわね、もったいないこと。サモンデュールの薔薇もああなっては、どうしようもないでしょうね」

 どこかの令嬢の揶揄やゆするような声もかすかに聞こえ、ロザリンは恥ずかしさと怒りのあまり、かっとして怒鳴りつけたい衝動を固く口を引き結ぶことで必死でこらえた。

 今日のために、特別注文で作らせた最高級のシルクと刺繍のドレスだったのに。

「ロザリン様!」

 後ろに控えていたモーリスが駆け寄ってきたが、彼にも為すすべはない。

 ただ彼女をなだめようとおろおろするばかりで、その無様な様子にロザリンは危うく癇癪かんしゃくを起こすところだった。

 おろおろと床を這う使用人と、ようやく我に返って謝り始めたオブライエン卿をお仕置き棒で殴りつけたい、とロザリンの右手が固く握られた。

 何度も何度も殴ってやりたい。手の皮が破れるほど殴ってやりたいわ。

 ロザリンの目に悔し涙がにじんだ。


「ああ、そのまま皆さん、動かないで下さい」

 だが、よく通る冷静な声にぴたりとざわめきがやんだ。

 ロザリンが目を上げると、あの魔術師がにこりと微笑むのが見えた。

「うまくいかなかったら、ごめんなさい。ロザリン姫」

 彼の右手が上げられ、その指がぱちんと鳴らされる。

 その音と共に、ロザリンのドレスの染みの部分がぼうっと淡く光り始めた。

 彼は左手にしていた自分のゴブレットを少しだけ傾け、ドレスのほうへ向かって突き出した。

「水となりし、赤き葡萄の酒よ、流れあやまたず、我が手の中へ戻りたまえ」

 彼の呪文と共に、ドレスからゴブレットへとまるで小さな虹がかかるように霧のような細かい水滴が吸い込まれていく。


 周りがみな目を丸くしているうちに、光はすっかり収束し虹は消えた。

「これで染みはとれたと思いますが、いかがでしょう? 乾かないうちだったので大丈夫だとは思いますが」

 穏やかな魔術師の声に、はっと我に返ったロザリンが慌ててドレスを見下ろすと、確かに葡萄酒の染みは跡形もなく綺麗に消えていた。

「まぁ・・・・・・」

 目の前で見た不思議に、ロザリンは言葉もない。

 魔術師とは何度も会った事があったのだが、こんなに簡単に目の前で魔術が行われるところは見たことがなかったのだ。

 オブライエン卿は、そもそもの原因が自分のしでかしたことであったことも忘れ、ご満悦といった風情で大声で笑った。

「さすがじゃ、すばやいのう。そこらのもったいぶった魔術師たちとは、ひと味もふた味も違っとるわ」

 オブライエン卿の手放しの褒めように、

「困りますね、この程度でそんなに褒められちゃ、私の立場というものがないですよ」

 と、声をあげたのは、しかしマリオンではなかった。

 おもむろに人垣の後ろから現れたのは、この城のおかかえ魔術師、ジェイク・クエイルだった。

 ロザリンの顔が無意識にしかめられ、それに気づいたジェイクが眉を上げ、皮肉な笑みを唇元にきざんだ。


 ジェイクはマリオンより二インチ(6cm)ほど背が高く、ほんの少しだけがっしりとした体格で、黒に近い暗めの茶髪に青い瞳、性格と同じくクールでいささか整いすぎた顔は、本人がその気になりさえすれば、かなり魅力的になれそうだった。

 実際のところ、女たちの受けはかなりいい。しかも、その冷たく無情なところが受けるのか、育ちの良い上流階級の女性たちにひそかなご贔屓ひいきが多かった。

 そのジェイクの薄い唇に今は皮肉気な笑みが浮かべられていて、青玉サファイアのような深い色の目は油断なくあたりを見回している。

「ここにも私という魔術師がいることをお忘れなきように、オブライエン卿」

「おやおや、君がそのもったいぶった魔術師というつもりではなかったのだがね、ジェイク」

 オブライエン卿が困ったような顔で言うと、ジェイクは卿に視線を戻し、にやりと不敵な笑いを見せながら優雅に一礼を返した。

「もちろん、冗談ですよ、オブライエン卿」

 彼はそれからくるっと身体を返すと、ロザリンを無視してマリオンのほうを向いた。

「久しぶりだな、マリオン、親愛なる我が友よ」


 挨拶されたマリオンは、嫌味な相手に派手に肩をすくめて見せた。

「いつから僕たちは、そういう関係になったのかな、ジェイク」

 ジェイクは軽くウィンクをしてから、にやっと笑った。

「まぁ、そう言うな。長い付き合いだろうが。ところで、君のご自慢の薔薇姫はどちらかな? 一度お目にかかりたいのだが」

 言いながらあたりを見回すそのジェイクの不躾ぶしつけな口調に、さすがにマリオンはかすかに眉を寄せた。

 薔薇姫とこの城、いやこの地方で呼ばれるのは、ロザリン姫の事だと誰もが承知している。ましてや、この城のお抱え魔術師ともなれば、雇い主の娘がちまたでなんと呼ばれているか、わかっていないはずがなかった。

「悪いけどジェイク、僕の連れは、そんな自慢するほどの美女じゃないからね」

「おぉっと、薔薇姫といえばロザリン姫のことだったか。これは失礼なことを申しましたね、ロザリン姫。どうぞお許しを」


 と、たった今、気づいたかのように大げさな口調で言いながらジェイクがロザリンのほうを振り向くと、彼女の頬が怒りに、それこそ薔薇色に上気した。

 ロザリンは一瞬だけ唇を噛み締めたが、すぐににっこりと花のようにあでやかな微笑を見せる。

「いいえ、かまいませんわよ、ジェイク様。私の場合は、名前が薔薇にちなんでいる(※)というだけですもの。薔薇のように綺麗な方は、他にたくさんいらしてよ」(※ロザリン(ド)=美しい薔薇の意)

 ロザリンはジェイクを避けるように大きく回りこむと、マリオンの前に立った。

「そうだわ、マリオン様。私ったらお礼もまだ、申し上げておりませんでしたわね。本当にありがとうございました。これは、とても気に入ったドレスだったんですの。綺麗になって嬉しいわ。心からお礼申します」

 ロザリンはえくぼが浮かぶようなとっておきの笑みを浮かべながら、優雅で可愛らしいお辞儀をした。

「どういたしまして、ロザリン姫。うまくいってよかったですね」

 マリオンの穏やかな顔に似合った優しげな口調と物腰に、ロザリンは安らぎを覚えた。


 同じ魔術師ながら、なぜジェイクとはこうも違うのだろう。

 この人は、育ちがよさそうで、陰謀や憎悪、欲望むき出しの下世話なことなどにはあまり縁がない人なのかもしれない。

 きっと、常に優しくて思いやりがあって穏やかな人なんだわ。

 だけど、ひとつだけ彼には欠点があるわ。

 なぜ、私をちゃんと見てくれないのかしら? 見てさえくれたなら、私がどんなに綺麗なのかわかるはずよ。それもこれもみんな、魔法治療師の婚約者だかなんだかのせいなの? 


「ロザリン、すまんことをした。許しておくれ。全部わしのせいだとも」

 横合いからすっかりしょげたオブライエン卿が声を情けない顔で声をかけてきたが、ロザリンは身体をそちらへ少しだけ向けて余裕の笑みを浮かべた。

「まぁ、おじ様。確かに驚きましたけれど、おかげでめったに見られない、素敵なものを見せていただきましたもの。私のほうがお礼を申し上げなくてはならないかもしれませんわ」

 オブライエン卿は安心したように肩から力を抜いた。

「やれやれ、助かったぞ。彼に礼を言わねばならんのは、姫ではなくてわしの方じゃな」

 言いながらオブライエン卿が額の汗をぬぐったとほとんど同時に、急に、ざわり、とあたりがざわめきを帯びた。


 マリオンの視線がふっとロザリンの後方に流れたのを、彼女は見逃さなかった。

「連れが戻ってまいりました。ちょっと失礼」

 心なしか嬉しそうな顔をしたマリオンが、しなやかな身のこなしでロザリンの横を抜けていく。

 ロザリンの目の端に、ジェイクが唇を口笛を拭く形に尖らせたのが見えた。

「まぁ、綺麗な方ね」「どちらのお姫様?」「これはまた美しい」

 きれぎれに耳に入る言葉にいやな予感を覚えながら、ロザリンはいささか顔をこわばらせたまま、ゆっくりと人々の視線が集まる方向へ振り向いた。

 ロザリンがそこに見たものはマリオンに手をとられ、にこやかにこちらへ歩いてくるすらりとした姿勢のよい美しい女性だった。


 雪花石膏アラバスターの如くに白い肌に纏っているのは、やはり黒の地に細い銀の線描きでユリの花が散っている肩を出す形の簡素なドレスで、背から豊かな胸元にかけて黒い羽根のような薄いレースのショールがふわりと羽織られている。

 細く長い首に巻かれているのは、橄欖石(かんらんせき)(ペリドット)と柘榴石(ざくろいし)(ガーネット)、紫水晶アメジストの凝った造りのチョーカーで、彼女にいっそう華やかさと豪華さを加え引き立てていた。

 さりげなく結い上げられた艶のある髪は漆黒しっこくで、あちこちにチョーカーと同じ石で作られたピンが差し込まれている。

 全体が整いすぎている美女ではなく、どこか少年のようにりんとした潔癖さと少女の可憐さを両方感じさせる印象的な顔立ちである。

 中でも人目を引くのは、手をとる彼を見上げているきりっとした深い闇のような黒目がちの大きな煌めく瞳だった。


 ともすればきつく見えがちなその目だが、その中には知性と優しさと彼への愛情が仄見ほのみえていて、加えて柔らかく微笑む口元が彼女をいっそう可愛らしく可憐に見せている。

「あれがあの方の・・・・・・」

「これはまた、なかなかの美女。奴にはもったいない。北の谷の薔薇、いや、リリウム(※ユリ)のほうがふさわしいか。奴がサモンデュールの薔薇姫など眼中にないのも道理」

 追い討ちをかけるように、嫌味な口調でロザリンの後ろからジェイクがささやいた。

「嫌な男! お前の顔など見たくないわ」

 同じように声を殺したロザリンが早口で毒づいた。

「これはまた、つれないことを。あれだけ愛し合った仲でしょうに」

 きっ、と振り向き、ロザリンはその大きな目でジェイクを睨みつけた。

「私はお前など愛してはおりません。間違えないでね、ジェイク。遊んであ・げ・た・だけなのよ」

 ジェイクは、口元にうっすらと皮肉な笑みを浮かべた。

「おやおや、私は姫君のためなら何でもしようと言っているのに。まことにもってつれないお方だ」

 マリオンに手をとられた彼女が、もうすぐそこまで来ている。

 じきに心の闇を気取けどられないように押し隠して、にこやかな顔で挨拶を交わさねばならないだろう。

 ロザリンは、息を深く吸った。

「そうまで言うなら、ジェイク。あの女、なんとかして」

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