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揺らぐ薔薇(その1)

【M or J's SIDE】


「そして、その日から奥方は人前には一切姿を見せなくなった。そう、闇の王、地下の主である奴は、奥方に何年か後の侯爵と奥方自身の姿を見せたのだ。

 いろいろとゆがめた形でな。奥方はそれと気づかず、自分で自分に呪いをかけてしまった。

 何のために? などとは問うてくれるな。

 奴がどのようなものをどのような形で欲しているのか、わしにもわからんのだ。人の中の闇、負の感情自体を喜んでいるとしか思えんよ」

 ラザラスはどこか疲れたような口調で、自分の憶測とヘンリエッタから聞き及んだであろうことをジェイクに話した。

 淡々とではあるが、異常なほど暗い熱心さを持って語られたその話は、嘘には聞こえなかった。


 それまで一切口を挟まずに唐突に始まったこの黒魔術師の告白を聴いていたジェイクが、目を細め、どこかに怒りを含んだ口調で問い返した。

「では、ハロウ村の行方不明になった娘や他の娘たちは? 一体何のために必要だったのだ? 地下の主への生贄いけにえか?」

 ラザラスは首を振った。

「あの娘たちは、身代わりに、な。『姿写し』の魔法をおぬしも知っておるだろう」

 ジェイクはぎくりとしたが、欠片もそれを表には出さず、ゆっくりとうなずいた。少し話が読めた気がした。ジェイクの読みを裏付けるように、ラザラスが低くつぶやいた。

「鏡の如く、自分と他人の身体を入れ替える。あれをやったのだ、奥方と娘たちは」


 姿写しの魔法。

 それは、相手の姿と自分の姿を写し変えるもので、昔からよく用いられるものだった。

 だが、通常のそれは非常に短時間に限られる。

 大抵の場合は半刻(1時間)も持つかどうかというごく短時間型の魔法で、力のある魔術師が念入りにかけても、数日持つかどうか怪しい。

 時間が長くなればなるほど、魔法は難しくなり、かりそめの姿の出来が良ければよいほど、さらに魔法は複雑になる。

 しかも、そこには制約がつく。

 時々姿を借りている相手の姿を見ることが出来なくてはならないのだ。まるで自分の姿を鏡に写すように。

 魔法が弱ければ弱いほど、それは頻繁ひんぱんに行われなければならない。

 たぶん、地下の者の力を借り、ヘンリエッタのためにラザラスがそれを行ったのだろう。


 ラザラスが何故そうしたのか、ジェイクにはわからない。ラザラスが忠誠のために行ったとは考えにくかった。

 では、ヘンリエッタへの愛のためかと考え、ジェイクは心の中で苦笑する。

 ラザラスに一番似つかわしくないものであったが、往々にしてそのような意外な理由である場合が多いことをジェイクは承知していた。

 確かに、彼女に同情できる部分はあるかもしれない。

 女性にとって、顔は男が考えるよりもずっと大事なものだ、ということは理解できた。

 だが、そのために娘たちを何人もさらい、今またフェリシアまでこのような目にあわせたことをジェイクには許すことはできなかった。


「それだけなら何人もいらないだろう。何故何人も必要なんだ? しかも、今この、この娘まで」

 ジェイクは、さりげなくフェリシアを護るように寄り添った。

 ラザラスは首を振った。

「わかるだろう、ジェイク。娘たちは生きていなくては、役に立たない。死んでしまった時点で魔法は解ける。どの娘も長くはもたなかったのだ」

 ジェイクは今度ははっきりと眉間に皺を寄せ、不快感をあらわにした。

「何故だ。何故もたない?」

 ラザラスは、話そうかどうしようか迷うように祭壇に目をやった。

 そこには暗い石の嵌め込まれた六芒星ヘキサグラムが不気味に光っている。


「皆、美しくなかったからよ」

 突然、戸口からくぐもった女の声がした。

 ジェイクが振り向くと、そこには黒いマントに身を包み、白い仮面を被った女が立っていた。

「これはこれは。奥方様」

 すかさずラザラスが軽く一礼をし、さっと後ろへ三歩ほど下がった。

「この者に全てを話す必要があったの? ラザラス」

 咎めるというよりはどこか面白がっているような口調で話しながら、ヘンリエッタが祭壇のほうへ近づいてきた。仮面の顔はロザリンによく似ている。


 ジェイクは、不遠慮にじろじろとその仮面を眺め回した。確かに魔法の気配がしている。

 しかもそれはジェイクが一瞥いちべつしたところ、黒く強力なうえにひねくれ、ねじれたもので、そう簡単には解けそうもなかった。

「ずいぶん礼儀知らずの子だこと。私の顔がそんなに興味深い?」

 ひび割れた不機嫌そうな声でヘンリエッタがジェイクを責めた。

「ああ、かなり興味深いね」

 ジェイクは、ふっと肩をすくめた。

「ただし、顔ではなく、そこにかけられた魔法に興味がある。どうやら軽々しくかけられた割には、強力なようだ。愚かさと比例しているな」

 自分の愚かさを指摘されたヘンリエッタの視線がいっそうきつくなった。


「なんと尊大な魔術師だこと。ラザラス、本当にこれを後釜にする気なの?」

 あまりのジェイクの物言いに呆気にとられていたラザラスが、珍しく慌てたようにたしなめた。

「口が過ぎるぞ、ジェイク」

 だが、ジェイクは彼には目もくれなかった。じっとヘンリエッタの仮面の顔を睨みつけている。

「作男頭のフェルを殺したのもあんたか?」

 ジェイクの口調はぞんざいで、自分より目下の者をとがめるように鋭く、怒りに満ちていた。


 ヘンリエッタがあまりのことに拳を振るわせた。

「お黙り。たかがはした魔術師の分際で! 一体何様のつもりなの」

「それはこちらの台詞だな。お前はいったい何様のつもりなのか。俺はお前が殺したのか、と尋ねた。聞こえなかったか?」

 ジェイクが黒い手袋をはめた長い指をヘンリエッタの鼻先に突きつけた。

「ジェイク! お前はいったい何を言い出したのだ。気でもおかしくなったのか」

 ラザラスが言葉を荒げ、つかつかとジェイクの側に寄ろうとした。

「寄るな! 気分が悪くなる」

 ジェイクが常にない怒りに満ちた鋭い声を放ち、ラザラスを制するように腕を大きく振った。


 その勢いに押され、顔に驚愕の表情を浮かべてびくっとラザラスの脚が止まる。

「おおかた、フェルに悪事の現場でも見られたんだろう。口止めのために殺したんだろうな」

 ジェイクの決め付けに白い仮面がこともなげにうなずいた。

「そうよ、娘を一人、北の棟に引き入れたところを見られたのよ。その娘もすぐに死んでしまったわ。どうしようもないわね。あんな男、殺したからといって何だというの。私は、何にも感じないわ。なぜお前がそこまで気にするのかもわからない。どうでもいいことじゃないの」

 ヘンリエッタは馬鹿にしたように言い放ち、尊大に仮面の顎を上げた。

「あんたはどうやら顔ばかりでなく、根性まで腐り果てたようだな」


 ジェイクは苦い顔でそう吐き捨てると、さっとかがみこんで、椅子にかけているフェリシアの華奢な身体を横抱きにした。

 再びラザラスの唇が何かを言いかけたその刹那、ジェイクの口から白の呪文が紡ぎ出された。

 それは思いがけないほど強力で、ラザラスが今まで聞いたことがないほど複雑なものだった。

「いったいなんのつもりだ」

 ラザラスの荒げた声は、しかしジェイクまでは届かない。白い光が辺りを染め、ラザラスはあまりの眩しさに腕を上げてそれを遮った。

「ジェイク・クエイル! 我は汝を制約する!」

 かろうじてラザラスの口からジェイクの動きを封じる呪文が紡ぎだされたが、思いがけない笑い声にそれはとどめられた。

「お前は!」

 ラザラスが絶句した。ジェイクではない。明らかに気配が変わっている。

 光の中に金色の長い髪がなびくのが見え、ジェイクの、いや、別の誰かの哄笑が響く。

「我はジェイク・クエイルにあらず。止められるものなら止めてみろ、ラザラス」



【Jake's SIDE】


 同じ頃。

 ふっと自分が「ぶれた」気がして、マリオンは思わず、あ、と小さく叫び声をあげた。

「どうかなさいました?」

 急に声を上げてベッドの上に身体を起こしたマリオンに、部屋の隅にしつらえた小さな急ごしらえの焜炉こんろで薬草を煎じていたロザリンが心配そうに声をかけた。

「い、いや」

 マリオンは思わず、自分の顔を両手で押さえた。

『奴め、何をやりやがった? 何故こんなに急に不安定になったんだ?』

 ロザリンの前で魔法が解けることだけは、なんとしても避けたい。いまここで、魔法が解けたらどうなるのか、考えるだに恐ろしいことになりそうだった。片手で顔を押さえたまま、彼は乱暴に毛布をはぎ、ベッドから降りようとした。

「いったいどうなさいましたの? もうだいぶ良くおなりになったと思いましたのに、どこかまだ痛みますか」

「寄るな! ほっといてくれ」

 彼の急激な変わりように、駆け寄って手を貸そうとしたロザリンが足を止めた。

「マリオン様?」

 不安そうに差し出した手を引っ込め、一歩後へひく。


 立ち上がったマリオン、いや、ジェイクは、顔を伏せたままで少しふらつきながら、壁にかかった大きな姿見の前に向かった。

「あの野郎、何をしやがったんだ」

 無意識のうちに乱暴な言葉が恨みがましく喉の奥から出てきた。

 小さくロザリンの息を呑む音が聞こえたが、今はそれを気にしている余裕はなかった。

 姿見に映る彼の影は、まだかろうじてマリオンの外見を保っていた。

 金色の豊かな髪が背に流れ、整った白い顔に橄欖石かんらんせきのような瞳。いつもの金色の魔術師の顔。だが、どこかが違っている。

 金色の姿の中にわずかに黒い影が混じりこんでいる。

 黒っぽい金髪、暗く蒼い瞳。本当の自分。どうやら、魔法が解けるのは時間の問題と思われた。

「何かとてつもなくまずいことが起こっている」

 苦い声でつぶやく彼を、ロザリンが呆然と見ていた。

 その視線に気がつき、彼は再び両手で顔を覆った。


 魔法が解ければ一目瞭然で、顔を隠したところでどうにもならないとわかっていたのだが、そうせざるを得なかった。

 悔しいことに自分の持つ魔力では、彼の魔法を充分に補足することができないのもわかっていた。

 魔法が解けるとすれば、そのまま解けるにまかせるしかすべはない。

「すまないが、出て行ってくれないか、ロザリン。一人になりたいんだ」

 なるべく落ち着いた声をだそうとして、彼は愕然とした。

 すでに声も戻りかけているのか、二つに割れている。

 その動揺を汲み取ったかどうか、衣擦きぬずれの軽い音がして何も言わないまま、ロザリンが部屋を出て行く気配がした。

 それだけで幾分か危険が去った気がして、彼はほっと肩で息をついた。

 恐る恐る両手をおろし、再び鏡の中を覗き込む。髪の毛が明るい金色からもっと深い色合いに変化しようとしていた。


「奴め、なんでこんなに急に魔法を解いたりなんか」

 独り言を言いかけて、気がついた。

 魔法が解けるのは、相手の身に何かあったときだと、自分が矢に射抜かれた日に言われたのではないか。

 死んでいたら解けていた、と。

「まさか」

 嫌な予感にジェイクは慌てた。

 ベッドの側に戻り、寝巻きを脱ぎ捨てると急いで手近にあった服に着替え、ブーツを履いた。

 ブーツを履き終わって足首の紐を締めたとき、再び、空間に揺らぎが起こったのがわかった。

 今度のそれは、自分だけでなく、城全体を、サモンデュールの領地自体を巻き込み、揺るがすような大きな魔力の揺れだった。

 じれ、といっても良いかもしれない。

 平常に保たれていたものが捩じれて歪んでいくような、あるいは逆に複雑に捩じれていたものが、正常な状態に戻ろうとしているような、そんな空気、感覚が彼を押し包み、つぶそうとするように圧力をかけてきている。


 どこか遠く地の底から巨大な鐘を鳴らすような鈍い音がしたかと思うと、誰かのいやらしげな笑い声がいくつも地の底から湧き上がるように響いてきた気がして、彼ははっと顔をあげた。

「まさか、北の棟の封印を解いたのか」

 あそこには、何かとてつもなく危険な何かが厳重に封印されている、とずいぶん前から気がついていたのだが、彼自身はそれが何か知らなかったし、確かめる気すらなかった。 だが、きっと奴なら、マリオンなら、興味を持ったに違いない。

 それを解き放ったのが、偶然なのか故意なのかはわからないが、きっと奴がやろうとしていたことに関係している。この俺にわざわざ大金を払ってまで、奴は何かを探ろうとしていた。

 と、そこまで考えとき、ひときわ大きな揺れが彼の足をよろけさせた。思わず、壁に手をかけて体勢を立て直す。

 今度は空間の揺らぎではなく、実際に大地が揺れたのだ。この揺らぎは、魔力がなくても感じられたことだろう。


 すでにあれこれと余計なことを考えている暇はなかった。何がどうなったのか、表へ出て確かめに行かなくてはならない。

「まだ半金しかもらってないしな。奴が無事か確かめなくちゃな」

 自分を納得させるように彼は小さくつぶやくと、もう一度ちらりと鏡へ目をやった。

 あれほどうっとおしかった金色の長い髪がなくなっている。

 そこには、似合わぬ明るい砂色の服に身を包んだ黒魔術師ジェイクの、短い茶髪に縁取られた浅黒い顔がこちらを見返していた。

「どうやら完全に解けたようだな」

 彼は久しぶりに自分のものに戻ったあごをなで、軽くため息をついてから、くるりと身体を反転させると、ロザリンの目に付かないよう、裏庭へ続く扉を開けた。


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