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不機嫌な薔薇

【M & J's SIDE】


 ざらついた石の階段を延々と降りている。

 いったいどれだけの深さがあるものか、ジェイクは首を傾げた。

 この際限のない階段の様子では、地下二、三階などという可愛いものであるとは、到底思えなかった。あるいは、魔法で空間が捻じ曲げられているのかもしれない。

 階段には、何重もの魔法がかかっていた。隣を歩くラザラスが手にしているろうそくの頼りない灯りの中に照らされる石の壁には、いくつもの複雑に絡み合った魔方陣が模様のように描きこまれている。

 そのうえ、長い階段を通って地下から吹きあがる風は独特の気配を持っていて、それを感じたジェイクは思いきり顔をしかめた。


「城の底に、妙なものを飼っているんじゃあるまいな」

 ジェイクのつぶやきとも問いともつかない言葉にラザラスがほうという顔をした。

「あれが読めるか、この場所から」

「読めるさ。隠し切れていないぜ、全然」

 地下にうごめくものが何なのか知れない。だが、そのおぞましい気配だけはしっかりと読めている。強大な魔力を伴う何か黒いものが城の奥底に眠っている。

 そこには秘匿ひとくの魔法がかかっているのだろうが、うごめくものはあまりにも黒く、禍禍まがまがしい気配を帯びていて、ジェイクにははっきりと読み取れるものだった。

 ただ、それが地下の何かの気配だと気がつくのは、強い魔力を持った者に限られるだろう。

 他の者たちは、北の棟へ来るとなんとなく不穏な落ち着かない気分になる、というだけに違いない。

「よく侯爵夫妻はこんなところに住んでいるな。感心するよ」

 あきれたようなジェイクの言葉に、ラザラスは嫌な顔どころか、妙に嬉しげな表情を浮かべて見せた。

「やはりおぬし、最初に思ったより見所があるな。頼もしい限りだ」

 ジェイクはふん、と顎を上げた。

「馬鹿にしているのか。俺は一流の魔術師だぜ」

「確かにな。あのとき、あのマリオンという小僧の胸に刺さった黒い矢を一瞬で消滅させた力を見たときは、我が目を疑ったよ。正直、侮っていた」


 ジェイクはひそかに冷や汗をかいた。

 あのときは切羽詰っていたので、禁を破って本来の自分の力を使ったのだ。その話は思い出して欲しくなかった。

 だが、マリオンとジェイクの間で交わされた魔法にラザラスが気がついていないのであれば、今は知らぬふりを決め込むしかない。

「見ているんだろうな、とは思っていたよ。あんたの差し金なんだろう」

 ラザラスは顔色も変えない。

「いろいろと事情があってな」

「いったいなんの」

 いいかけたジェイクの言葉は、唐突にろうそくの灯りの先に現れた黒い扉によって遮られた。

「ここから先は禁忌の領域だ。おぬしもここを超えれば、もう元の生活には戻れまい」

 ジェイクは軽く肩をすくめて見せた。


「こんなところまで来ておいて、手を引くなら今のうち、などという月並みな台詞を吐くんじゃあるまいな、ラザラス殿。くだらないことを言っている暇に、さっさと鍵を開けたらどうだい?」

 ラザラスは、ジェイクのまねをしたように小さく肩をすくめて扉へ向き直ると、懐から取り出した鍵で扉を開けた。彼はそのまま取っ手に手をかけた姿勢のまま、それを廻さずにジェイクを見上げた。

「月並みであろうとも、これだけは言っておこう。ジェイク」

 ラザラスの脅しとも取れそうな言葉にジェイクは目を細めた。

「ここから先へ踏みこんだら最後、裏切りは許されぬ。命を賭ける覚悟で臨まれよ」

 ジェイクが言葉を発せぬまま、口元に皮肉げな笑みを刻み、右手をあげ掌を上にしてすっと扉のほうへ向けてどうぞ、という仕草をして見せると、ラザラスはそれ以上何も言わず、軋んだ音を立てて扉を押し開いた。


 中へ通ると、すぐに燭台が両脇にずらりと取りつけられた長い廊下が続いていた。

 奥には両開きのもうひとつの扉が見えている。

 ラザラスは今度は躊躇ためらうことなく鍵を開け、その扉を大きく引き開けた。

 黒々とした戸口のその先は意外なほど広く、横に広がった天井の高い部屋になっている。正面と右側にさらに扉があったが、ラザラスはそのまま部屋の左側へ向かった。ジェイクもそのまま彼の後をついていく。

 一番奥まったところに大きな祭壇があり、その前の椅子には黒い布地をすっぽりと胸の辺りまでかぶせられた何者かが座らせられていた。

 祭壇の上には金と六つの石で作られた六芒星ヘキサグラムが壁にはめ込まれている。

『何を祭っているのだろう。石が普通の六芒星とは異なるようだが』

 ジェイクは六芒星にはめこまれた六つの石を見上げ確認しようとしたが、部屋の暗さでははっきりとした石の色までは見えず、すぐにそれをあきらめ、もっと興味を引くもうひとつの存在へ視線を移した。


 椅子にかけた人物は、体つきから女性のように見える。黒い布の下はどうやら明るい色のドレスのようだ。

 その前には、何の飾りもそっけもないテーブルが置かれていて、黒い布の切れ目から伸びたほっそりとした白い右腕がその上に投げ出されている。

 身体のどこにもいましめは見えないが、その場におとなしく座っているのは彼女の本意ではないようにジェイクには思えた。

 ジェイクは嫌悪感を隠さず、目を細め口の端を歪めた。

「これは誰だ。なぜここにいるんだ」

 ジェイクの声に、黒い布をかぶせられた女性の身体がかすかにぴくりと反応するのが見て取れた。だが、声は発せられない。たぶん沈黙の魔法もかけられているのだろう。

「この女が誰かなど、今は気にする必要はない。そのうちわかる、嫌でもな」

 ラザラスは、ジェイクの嫌悪感などに斟酌しんしゃくした様子はない。

 その女性の前につかつかと歩み寄ると、彼女の手首をつまんで持ち上げて見せた。

「おぬしには、これを治してもらいたい。なるべく早く、そして綺麗に、だ」

 ジェイクは目を細めたまま、しばらくじっとその場に立っていたが、やがてゆっくりと祭壇に近づいた。


「俺は、治療魔法が苦手なんだがね」

 ラザラスの無骨な指につままれているのは、すらりとしたしみひとつない美しい腕だったが、その手首にはひどい火傷が見てとれた。

 それは赤く腫れあがり、あちこちに水腫とそれが壊れた痕が見られ、痛々しく無残な状態だった。

 そして、ジェイクは火傷以外のもうひとつのことに気がつき、愕然とした。

『フェリシア!』

 ジェイクは我を忘れて思わず叫び出しそうになる自分を、ようやくのことで押さえ込んだ。

 腕の主は、フェリシアだった。

 見覚えのあるなめらかな肌の美しい腕。何度も何度も口付けをした自分の恋人の腕。それを見誤るはずがない。


『だが、今の俺はジェイク・クエイルだ』

 ぎりりと一度だけジェイクの奥歯が鳴ったが、ラザラスはそれに気がついた様子はなかった。

 彼が見ているのはジェイクではなく娘の火傷痕だったからだ。

 ラザラスは気難しげに眉を寄せ、それからゆっくりと自分が摘み上げている白い腕を台の上へ戻した。

「この腕の火傷の治療をすぐに始めてくれ。傷跡が残らないように、綺麗な肌に戻したいのだ。できるか?」

 ジェイクは深くゆっくりと息を吸った。

「それは多少時間はかかるが、できないことはない。だが、なにゆえに?」

 苦労して落ち着いた普通の声をジェイクは出そうとしていた。

 ラザラスから見えないほうの右手は、これ以上はないというほど堅く握られ、やり場のない怒りに震えているが、ジェイクの口元には皮肉気ないつもの笑みが薄く浮かんでいる。


 ラザラスはジェイクを見て満足げにうなずいた。

 ジェイクの苦労は、どうやら報われたものと思われる。ラザラスはジェイクの変化に毛ほども疑問を持った風はない。

「おぬしならできるだろうと思っておったよ。この娘は、明日の晩、どうしても必要なのだ。美しい最上の状態で」

「侯爵のために?」

 間髪をいれぬジェイクの短い問いに、一瞬、ラザラスはあっけに取られたような顔をしたが、すぐにその意味に気がつくと低い笑い声をあげた。

「違う、とだけ言っておこう。侯爵殿は、もう長年、薔薇に囚われておるよ。この百合リリウムではなく、極上の、だが、黒い薔薇に」

 ラザラスは口元にゆがんだ笑みを浮かべた。

「この娘を必要なのは、その黒い薔薇、奥方のほうさ」

「奥方?」

 ジェイクの眉間に深いしわが刻まれた。瞬時にフェルの最期の言葉を思い浮かべたのだ。

 ラザラスはそれ以上のことは口にせず、口元に薄笑いを浮かべたまま、

「さぁ、治療を頼むぞ」

 と、だけ言うと娘から離れた。


 気は急いていたが、殊更ゆっくりとジェイクは前へ進み出て、フェリシアと思われる娘の腕をとった。

 近くで見て改めてジェイクは、その娘がフェリシアであると確信した。

『落ち着け」

 心の中で自分にそう言い聞かせながらも、再びきつく彼の口元がかみ締められた。

 だが今、この他人の魔法、自分の魔法とそれぞれにがんじがらめになった状態で、果たして彼女を無事に救い出せるのか。

 一瞬、彼は目を閉じ、短くふっと息をはいてから彼女の腕に注意を戻した。

 まずはこの彼女の腕に刻まれた痛々しい火傷を治療してやりたい。

 ラザラスなぞの頼みなどなくても、真っ先にそうしたかった。

 ジェイクは注意深く火傷の跡を見つめた。

 それは骨にまで達していそうなほどひどいものに見えた。


「これは、鉄の魔歌まがうたか・・・・・・」

 自分も痛みを感じているように顔をしかめてつぶやくジェイクに、ラザラスはそうだ、というように小さく頭を動かした。

「つまり彼女の腕に鉄の腕輪をつけて虜囚りょしゅうとした、ということだな?」

 低く押し殺したジェイクの声には、隠しても隠し切れない怒りがかすかににじみ出ていた。

 だが、別のものに気をとられていたラザラスは、そのことに気づいた様子はない。

「今日は地下がいやにざわめいているな」

 はっとしたジェイクは、思わず足下へ視線を落とした。

 フェリシアにばかり気をとられていたが、確かに城の奥底で何かがさっきよりももっとざわめいているのが感じられた。ブーツの裏側をぞくぞくする感じが背中のほうまで這い登ってくる。

 それは闇の恐怖なのか。あるいは虚無のようなもの、黒いぽっかりとあいた深遠のような得体の知れないもののようにジェイクには感じられた。だが、ジェイクに恐怖はない。何故ざわめいているのか、彼にはその理由に心当たりがあったのだ。


「おぬしのせいか? ジェイク。何か強力な魔法がかかったものでも持っているのか」

 ラザラスの問いに、ジェイクは否定の印としてゆっくりとかぶりを振った。

 しかし、それとは裏腹に口元は笑みを堪えるようにかすかに緩んでいる。

『そう、持っている。左眼に白い竜を』

 声に出さず心の中でそうつぶやいて、それからジェイクは尊大にくいっと顎をあげた。

「ここで治療魔法を行うのは無謀だな。場所を変えよう」

 ジェイクの言葉に、思い切りラザラスの眉が上がった。ジェイクは皮肉げな笑みを浮かべながら、大げさに肩をすくめ言葉を続けた。

「こんなに厳重に結界で守られた場所で、治療魔法が使えるとは思えないぜ。まして俺は白い魔法は得意じゃない。失敗したら目も当てられんね」

 ラザラスはひとつ唸り声を上げた。


「なるほどもっともだ、と言いたいところだが。今、この娘を外に連れ出すのはまずいのだ。ここでなんとかしてくれ」

「では、俺には治療はできないな。こんなざわめいたところで落ち着いて魔法が使えるものか」

 うーんと再びラザラスが唸り声を上げた。

 考えてみればジェイクの要求は、当然といえば当然の成り行きではあったが、もしかしたら、という期待もなかったとはいえないだろう。

「どうしても御所望ならやってみてもいいが、それこそ地下にいるやつが怒り出しても、あんたに文句は言えないぜ? いいのかい?」

 ジェイクが追い討ちをかけた。

「では、どこならいいのだ。ここ以外にあの小僧の目が届かないところなんて」

 言いかけてラザラスはいらただしげに言葉を切った。

 あの小僧、とは当然、マリオンのことだろう。

『ふん、小僧とね、覚えておくよ』

 と、ジェイクは心の中でつぶやき、口元にはいつもの皮肉げな笑みを浮かべた。

「どこでもいいさ、ここ以外なら。ここは結界魔法がきつすぎる。できれば、この城の外のほうがいいな。そうすれば、奴の、マリオンの目も届かないだろうし」

 ジェイクの言葉の中のマリオンの名前に反応して、ぴくりとまたフェリシアの腕が揺らいだ。

『ごめんよ。いましばらく辛抱してくれ』


 心の中で彼女に謝り、なかなかラザラスが結論を出さないことに少しあせりながらも、ジェイクはどこか面白がっているような顔を崩さない。

 駄目だというなら、このまま強引に彼女を攫って逃げることも、当然、彼の選択肢の中には含まれている。

 これくらいの結界を崩して彼女と2人で逃げるだけなら、今自分にかかっている魔法を解き放ち、封じている左眼の魔力を解放すればすむだけのこと。

 無理がかかれば空間が魔法に侵されたまま歪みを生じ、城は何かしら混乱を生じるかもしれないが、あとがどうなろうと彼の知ったことではない。

 今の彼にあるのは、彼女へ行われた行為への怒りだけだった。

 ヘンリエッタの消息をつかむだけなら、フェリシアを逃がした後で、自分ひとりが戻ってくればいいことだ。

 地下に潜むこの黒い何者かが目覚めたところで、少しの間ならラザラスが何とかするだろうし、ジェイク、いや、マリオンは自分の身は自分で守ることだろう。あとでさんざか文句はいわれるだろうが。

 それからゆっくりと自分で始末をつけてもいい。

 いいや、きっとこの始末は僕がつけてやる。


 彼から黒い魔術師ジェイクの仮面が今、少しずつ剥がれ落ちようとしていた。


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