失意の薔薇(その2)
【Jake's SIDE】
一方、その肝心のジェイクは、と言えば、穀物庫の整理と小麦袋の搬出に明け暮れていた。
作男頭のフェルが行方不明になったおかげで、その仕事が彼の負担になってしまったのだ。他にも人材がいないわけではないが、小麦袋の数を合わせ、それを帳簿につける、ということになるとなかなか難しい。その間にもひっきりなしに近隣の町から荷馬車がやってきては、小麦だのたまねぎだのじゃがいもの袋を割り当て数の分だけ積み込んでいく。力仕事に慣れた作男たちはおろおろするばかりで、そういう方面ではまったく役に立たなかった。
仕方なくジェイクがその役どころを買って出たのはいいのだが、とにかく暇がない。ちょっとしたあき時間があると、今度はマリオンの治療のためにロザリンに呼びつけられる。
次から次へと用事があって、昼間のジェイクにはフェルの事件を調べる余裕がなかった。
だが、頭の中からそのことが離れない。
最期の言葉として、フェルの亡霊が残したローズという単語が耳について忘れられなかった。
このサモンデュールで、薔薇といえばロザリンのことだ。幻のように一瞬だけ浮かび上がったあの顔もロザリンの面影を宿していた。
しかし、本当にそうなのだろうか?
ロザリンが、あのようなことを行うことなど考えられない。理由がないのだ。
もちろん、彼女がとんでもない性癖の持ち主で夜ごと血に飢えている、とでもいうのならわかるが、ジェイクの目から見ても、彼女はかなりまともな神経を持っているように思えた。
第一あの朝、彼女は一人ではなかったのだ。
だが、もう一人いる。薔薇と呼ばれた人物が。
そして、あの顔を持った女性が。ロザリンの母であり、侯爵の妻であり、そして・・・・・・。
『ヘンリエッタ? この国の王の妹君だぞ? 彼女が殺人を犯したなんて冗談じゃないぞ、まったく』
小麦袋を担ぎ、入り口の床の上に蝋石で縦棒を引いていく作男たちを見ながら、ジェイクは小さくため息をついた。
今日は朝からずっと同じような光景を見つづけている。
いや、それはもう三日あまりも続いているのだ。
いったいいつになったらこの職務から解放されることだろう。
いらだつ心を隠し、ジェイクはそれでも自分に与えられた役回りをてきぱきとこなしていった。
だが、ともすれば心は小麦の袋から離れ、二人のローズのことや消えたフェルの死体のほうへ流れていく。
彼が殺された理由はなんだったのか。彼は一体何をしたのか。
そしてそれらよりももっと気にかかっていること、それはあれから五日も経つのに、いまだに城に姿を見せないフェリシアの消息だった。
彼女の性格ならば、マリオンが怪我をしたと聞いたその瞬間から、きっと城を出てこちらへ向かうことだろう。どんなに馬が遅くとも三日以上かかるとは思えない。
迎えに行った者が道に迷っているのだろうか。ありえなくはない。
マリオンの城へ向かうあの道には、彼の強力な魔法がかけられている。
彼に招かれたものならば城へたどり着くのは容易だが、そうでなければ容赦なく排除される。だが、それでも迷い込んだものの姿は、守護者の目を通して城へ届けられる。
賢い彼女が騎士がサモンデュールの急ぎの使者であることにもその意味にも気づかない、などということはほとんどありえない。
だとすれば、彼女が既にこの城へ向かいつつあることは、ほぼ間違いがないと思っていい。
では、どうしてしまったのか。なぜまだ彼女は城へやってこないのか。
彼女は今どこにいるのだろうか。自分の城か。それとも旅の途中なのか。彼女の安否を確かめたい。
今や彼の頭の中はそのことで大きく占められつつあった。
正直なところ、彼女に何かあったのであれば、今これらを全部投げ出してしまってもいい。
この国の王もヘンリエッタも侯爵もロザリンもジェイクも知ったことか。
自分の城へ駆け戻りたい。
ばきりと音を立てて彼の手の中で大きな蝋石が折れ、彼はふと我に帰った。彼の力強い手で蝋石は粉々に砕かれていた。
このままでいては、かけられた魔法が揺らいでしまう。彼は”いつものジェイク”に戻るために気持ちを切り替えなければならない。
深いため息をつき、彼は粉々になった蝋石を大地にはたき落としながら立ち上がった。
「すみません、ジェイク様。鍵を開けていただきてぇんですが」
おずおずと控えめな声にジェイクは振り返った。
最初に門番小屋へフェルの不在を知らせにやってきた男だった。
「やあ、ジョン。どこの鍵だい?」
「北っかわのあの小麦倉です」
ジョンが、指し示したのは、ことのはじまり、鼠よけの魔方陣が壊されていたあの倉庫だった。
鍵束を持ったままフェルが消えてしまった今、鍵は侯爵の元鍵を使うしかなかったのだが、なぜかそこの鍵だけは肝心の元鍵もないのだ。
「ああ、いいとも。今行って開けてやろう」
どこかに憂慮の影を残したまま、それでもジェイクは腰軽く穀物倉へ行って魔法で鍵を開けてやった。
ゆっくり階段を降り、それからジェイクは振り向いて倉を眺めた。
何の変哲もないただの小麦の詰まったどこにでもある倉だ。
しかし、ここで何かが起こっている。
さっそく次の仕事へかかろうとするジョンに、ジェイクが声を掛けた。
「なぁ、ジョン。ここの小麦がたりないと言い出したのは、お前さんか?」
ぎくりとしたようにジョンが足を止めた。
ゆっくりとジェイクを振り向いたその顔は、心なしか青ざめている。
ジェイクはおどけたように眉をあげ、軽く肩をすくめて見せた。
「怒っているのではないよ。咎めるつもりは毛頭ない。事実を知りたいだけさ。そうでないと殿様に言い訳もできないからな」
「そ、それは」
「フェルが小麦を何袋かごましていた、そうだろう? それを勝手に売って自分の金にしていた、違うのか?」
畳み掛けるようなジェイクの穏やかだが有無を言わせぬ口調に、ジョンは半ばあきらめたように目を伏せた。
「おっしゃるとおりです」
「では、なぜ言いつけた? お前たちは、おこぼれをもらっていたんじゃなかったのか?」
ジョンはかぶりを振った。
「おこぼれったって、そんなたくさんの金をもらっていたわけじゃありませんです。
何よりばれて仕事がなくなってしまうほうが、俺たちには怖いことでした。だけども、言いつけたって話でもないんで」
それきりジョンは迷うように口をつぐんだ。視線が泳ぎ、明らかに話すかどうか逡巡している。
「では誰がフェルのことを殿様に言いつけた? 調べれば、すぐわかることだぞ? 下手にかき回されたくはあるまい?」
先を促すジェイクの顔に視線を戻し、ジョンはあきらめたように重い口を開いた。
「ある日、ラザラス様がいきなりやってきたのです。先だっての満月の夜にあの小麦倉にいたのは、誰だ? と」
「あの小麦倉?」
「いや、はい、ええと、魔方陣が壊されていた、この倉のことです」
ジョンは肩をひねると、今まさに自分が入ろうとしていた倉を指差した。
「俺たちは訳がわかりませんでしたけど、ラザラス様にはすぐにフェルさんだとわかったようです。もちろん鍵はあの人がずっと持っていたわけですから、夜中に入り込めるとしたらフェルさんしかいないんで」
「それで?」
ジェイクが促すと、ジョンは視線を落とし拗ねた子供がやるようにつま先で土をほじりながらぼそぼそと話しはじめた。
「後は知りません。ラザラス様はそれ以上何も言わずに黙って引き上げなすったです。フェルさんは少し蒼くなってましたけども、『俺はあいつら以上に悪いことなどやってやしねぇ』って息巻いてました」
「あいつら以上に悪いこと? 確かか? 確かにそう言ったんだな?」
ジェイクの強い口調に驚いたようにジョンが顔をあげた。
「は、はぁ、確かに、そう言ってました」
「詳しいことは言わなかったのか? あいつらが誰で、何をしている、とか」
詰問するジェイクの口調におびえたように、ジョンは無言でふるふるとかぶりを振った。
「それ以上はなんにも。あの人はちょっと、あの、とっつきにくい人だったんで」
「秘密主義者ってことか。わかった、もういい。だが、他言は無用だ。この話は誰にもするな」
それ以上ジョンに聞いても無駄と判断したジェイクは、最後にそう釘を刺した。
ジェイクはすっかりしおれた顔でうなずくジョンの肩を励ますように軽く叩くと、再び倉の階段を昇った。
倉はどれも似たような造りになっている。
五段ほどの階段がついていて、四方に鋲の打たれた頑丈な両開きの扉がついていた。
鉄製の取っ手を引くと、外側へ大きく扉が開く。
厚い頑丈な石材で作られたこの倉の中には、明り取りと通風を兼ね備えた小さな横長の窓が
すべての壁につけられている。嵐のときは雨が吹き込まないように木製の鎧戸を閉めるが、たいていの場合それは開け放されている。
造りつけの木製の棚がいくつかあって、小麦袋はそこへきっちりと並べられていた。
鼠除けの魔方陣は固定されてはいない。
それはたいていの場合、魔力を持った者によって蝋石で床の上に丹念に書き込まれる。
季節によって、あるいは年によって毎回少しずつ違う呪文が加えられ書き換えられるものなのだ。それだけを仕事にしている魔術師も農村地方にはたくさんいる。
ジェイクは、自分が書き直した魔方陣の前に立ってみた。
普段、皆が踏まないように気を遣っているおかげで、先だってジェイクが書き直したときと同じ鮮明さを保っている。
もちろん、頻繁に通り道となる場所にそれが書かれるわけではない。特に今回のそれは倉の奥のほうに書かれていて、めったに人が通るようなところではなかった。
目を上げると、ちょうど前には明り取りの小窓があった。
大股にジェイクは窓のほうへ近づいて外を覗いてみた。だが、そこからは緑以外、何も見えない。
目の前のぶなの大木が邪魔をしているのだ。諦めてジェイクは右手のほうへ目をやった。
通れないほどの細い隙間があってそちらにも同じような小窓の半分が見えた。
ジェイクは目を細めた。
通れない隙間はさほどの長さはなく、窓の前に立たなくてもそこから外は充分に覗くことができる。
そこから見えたのは、北の棟、ヘンリエッタと侯爵の居室となっている辺りのように思えた。
ジェイクはできる限り、そちらへ近づいてみた。
幾ら細身の彼でも、その隙間の奥までは入れない。だが、無理やり顔を突っこんで小窓を覗き込むと、確かに北の棟の渡り廊下と北門から続く通路が見えた。
「ここでフェルは何かを見て」
と、ジェイクは顔を引いた。
「驚いて後ろへ下がった?」
と、一歩二歩と下がってみた。
足元へ視線を落とすと、ちょうどそこは魔方陣の真上だった。
「それから慌てて出口のほうへ向かってみる、と」
ジェイクはぐいっと身体を廻し、強くブーツの底で床を擦った。最初に見たときと同じように、魔方陣が乱れ靴跡が残った。
「そういうことか」
しゃがみこんで、魔方陣を指でゆっくりとなぞりながら、ジェイクは納得したようにつぶやいた。
「ジェイク様」
入り口の方からジョンが大きな声で叫んでいる。
「なんだい、ジョン」
「ラザラス様がいらしてますが」
ジェイクはさっと立ち上がり、きっと鋭いまなざしで戸口を見据えた。
「おいでなすったか。さて、何の用かな?」
口元には小さく不敵な笑いが浮かんでいる。
「今、そっちへ行く」
戸口へ向かって怒鳴ってから、ジェイクは懐から新しい蝋石を取り出して、床の魔方陣をすばやく描き直した。
**..**..**..**..**..**..**..**
ジェイクが戸口に姿を現すと、明らかにジョンがほっとしたような顔をした。
彼の後ろにはラザラスの小柄な姿が見えている。
黒い影のようなラザラスは、昼間の光の中には似つかわしくなかった。
『典型的な黒魔術師ってやつだな』
ジェイクは目を細めた。
「俺に何か用なのか、ラザラス殿」
ラザラスは声も出さず、ただ北の棟へ向けて腕をあげ指差した。
その姿はまるで不吉な予言をしにやって来た亡霊のようだった。
だが、それにも臆した様子もないジェイクは肩をすくめた。
「来いということか。相変わらず、ものぐさな御仁だな」
ジェイクの軽口にジョンが恐れをなし身を縮めたが、ラザラス自身はさして気に止めた風もなく、そのまま北の棟へ向かって歩き始めた。
「俺にいったい何をさせようと企んでいるんだい?」
北の棟のジェイクにとっては初めて入ることになる奥の寝所へ向かいながら、終始無言で歩き続けるラザラスにジェイクはついに焦れてそう話し掛けた。
「金がほしいか、ジェイク。それとも地位か名誉か」
地の底を這うような陰気な声で、いきなりそう切り出したラザラスにジェイクが目を丸くした。
「これはまた、いきなり御挨拶だな。俺はその程度の男に見えるのか」
前を歩いていたラザラスがいきなり立ち止まり、ジェイクも一緒に足をとめた。
振り向いたラザラスは、口元に笑いのように見えなくもないゆがみを浮かべていた。
「それともロザリン姫の寵愛とか?」
「馬鹿な」
ジェイクは負けずに口元に彼特有の皮肉げな笑みを浮かべた。
「それを俺にくれようというのか? それがあんたに可能だとでも? 馬鹿馬鹿しい」
陰気な声でさほど面白くもなさそうにラザラスが笑い声を立てた。
「可能かどうかはわからんな、確かに。あの魔術師がいる限り、お前さんに機会が巡ってくるとは思えんし」
「あの魔術師? マリオンのことか。それこそ馬鹿馬鹿しい。すぐに飽きるさ」
「どっちが?」
間髪いれずに放たれたラザラスの問いにジェイクが一瞬だけ窮すると、またラザラスが低く笑った。
「お前さんの欲しい物はなんでもくれてやる。もしかしたらあの姫君も。もっと欲しければこの城すらも」
ジェイクの眉が不審そうにひそめられた。
ラザラスの言葉が冗談には聞こえなかったのだ。
「その代わり、といっては何だが、ひとつやって欲しいことがある」
「俺に? 一体何を」
「私についてくればわかる」
ラザラスは低く笑いながら再び奥へ向かって歩き始めた。
「あんたがそんなに陽気な奴だったとは、知らなかったよ」
眉をひそめたままジェイクはひとりごち、それから意を決したようにラザラスの黒い影について歩き始めた。




