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失意の薔薇 (その1)

【Felicia's SIDE】


『いいかい、フェリシア。地下で張られた結界は、地上との連動で行われることが多い。つまり』

 と、マリオンはそこで言葉を切って天井を指差してみせた。

『地下における天とは、そらを意味するものではなく、一階の床を意味している。だから、魔術師は上部の結界を念入りにかけることになる』

 フェリシアは昔、彼に教わったことをゆっくりと心の中で反芻していた。

『その地下がどの階層になるのか、ということが同じ意味で重要だ。地下がさらに深くなっていれば、地下室の床はその下に掘られた地下室の天井部分にあたる。結界は強力にかかっているはずだね。だけど、そこが最下層階で、その下に大地しかない場合、多くの魔術師がかける結界のその床部分の結界は弱くなることが多い。のままの大地から侵入するものはそう多くないし、地の魔術師でない限り、大地をうまく操ることは難しいからだ』

 それならば、この地下牢がどこにあるのか、探ってみるのは無駄ではないだろう、とフェリシアは考えた。

 もしも最深層にあるならば、地の部分における魔法は弱くなっているかもしれない。


 フェリシア自身は風の魔女で本来は地とはあまり相性がよくないはずだが、白魔法を使うことによってそれは緩和されていた。

 加えて彼女は薬草の知識が豊富にあり、そのためにマリオンの領地内の地の聖霊とは、非常に仲がよいといってもよかった。ここはかなり彼の領地から離れてしまっているが、彼女のまとうオーラを見れば、どこの地の聖霊でも彼女に悪意を持つとは考えにくい。

 ほんの少しでも力を分け与えてもらえるならば、逃げられる確率は高くなる。

「それにもしかしたら、どこかに隙間があって風と会えるかもしれないじゃない」

 フェリシアは自分の手首に重く絡みつく鉄製の蛇を引っ張ってみた。もちろん、その程度の力ではびくともしない。


「その前にこの鎖を何とかしなければ」

『物質はね、フェリシア、それぞれ細かい粒子でできている。それぞれは変形しても元の性質を持っている。鎖に変わった鉄も蹄鉄に変わった鉄も元をたどればみな同じものでできているよね。さらに元を戻ればどろどろの熱い塊で、さらにさかのぼれば山から掘り出された鉱石の形になるんだ』

 ならば、鉄に元の形を思い出させればよい。どろどろの熱い塊であったころを。フェリシアは背伸びして燭台の大きな蝋燭をつかんだ。

 それはフェリシアの華奢な手ではうっかりするとつかみ損ねそうなほどの太さがあった。

 それを慎重に床の上に立てて、手首に程近いところをゆっくりと炎の先端であぶっていく。


「この結界の中で、創始の魔法が効いてくれればいいのだけど」

 フェリシアは真剣な顔で蝋燭で鎖をあぶりながら、少し不安そうにつぶやいた。

 傍目から見れば、何故そのように馬鹿なことをしているのか、といわれるかもしれない。

 たかが蝋燭の炎ごときで頑丈な鉄が融けるはずはないのだ。しかもろくな魔法は使えない、この場所ではなおのこと。

「鉄よ、思い出せ。そなたの昔を。熱き塊なりし、かの昔を」

 だがフェリシアは、軽く目を閉じ、小さいがはっきりした声で鍛冶たちが歌うという呪歌を唱えた。


『創始の魔法というものはね』

 マリオンが教えてくれた。

『この世の中に人間が生まれたそもそもの最初からある力のことをいうんだ。それは、人の祈りであり願いであり、僕たちが普段使っている魔法とは、少し形の違ったもののことだ。幻の大地の聖杯が、人間たちに分け与えてくれた、特別な力、「魔法」というものではなく、それは自然に僕たち人間の間から生まれた「まじない」だ。魔力がない人でも使えるその力は、非常に小さい。だけど、それはきわめて強靭きょうじんだ。細く、か弱いが、決して消滅することはない。そしてそれは、たとえ結界の中でもその効力を発揮する。いや、むしろ、結界の中でこそ、真の力を発揮する、と言ってもいい』

「何故?」

 フェリシアの問いにマリオンが小さく笑った。

『理由については、難しいところだね。研究者の間でもいろいろ意見が分かれている。あくまでも僕の意見としては、こうだ。人間と、この世の中を根本から支え、つかさどる幻の聖杯とは因果の深い密接な関係にある。聖杯は、僕らに魔力を授けたが、そのために人間としての本来の力は少し弱まったのかもしれない。生命力や治癒力、創造力などというものがね。僕たちは、魔法によっていろいろなことを成し遂げてきたが、人間のもつ本来の力は、その影に眠っているのかもしれないよね。その力は魔法と相対し、反発するのだと思う。だから、魔法結界の中で、その力は、相反するがゆえに目覚め、真の力を発揮する』


 フェリシアの手首の鉄は、まださほど熱くなっていない。

『鉄やその他の鉱物を掘る作業をする工夫たちは、山で鉄の祈り歌を歌う。山をつかさどる神に祈り、鉄のために歌い、鉱石を掘り出す。

 またそれを加工する鍛冶たちも同様だ。原石を加工し、丈夫でよりよい物を作るためにまじない歌を歌う。彼らに魔力はない。だが、ささやかなそのまじないの力は、時によってはとてつもない効力を発揮する。ある町で行われた実験の中に、その祈り歌があるときとないときの掘り出された鉄の質や量を比べたものがある。そこに、これはこうだと言えるほど明確な違いがあるわけではない。だが、常に僅かではあるが、祈り歌のあるほうが勝っていた、とその実験を行った魔術師は述べているんだ』


 その僅かな差が、魔法結界の中では増幅される。

 それがマリオンのいうように、後から付け加えられた魔法への反発力によるものかどうか、フェリシアにはわからない。

 彼女が信じているのは、そのような実験の結果ではない。

 彼女はマリオン自身を信じているのだ。

「だから、きっとうまくいく。きっと」

 フェリシアの額にうっすらと汗が滲んだ。


 やがて、鉄の鎖が徐々に熱と光を帯び始めた。

 フェリシアはずっと小さな声で鎖に言い聞かせるかのように、鉄のまじないを唱え続けている。

 かすかではあるが、鈍い光を放つ黒色が赤く染まり始めたような気がし始めたとき、いきなりそれは急激な変化を遂げた。

 太い鎖の幾つかの部分が、どろりと赤く融けて石の床に滴り落ちたのだ。

 フェリシアは、小さく歓喜の声をあげたが、すぐにその声は苦鳴に変わった。

 彼女の手首に巻きついていた2インチほどの幅の鉄のベルト部分も一緒に熱くなったのだ。

 その部分は融けこそしなかったが鉄の表面が色が変わるほど熱くなり、フェリシアの細い手首をいた。


 フェリシアは悲鳴を堪えた。

 今ここで、見つかるわけにはいかない。

 額だけでなくじっとりと背中にもいやな汗をかいている。

 痛みに耐えかねて、フェリシアは頭に最初に浮かんだ癒しのまじないを唱えてみた。

 母親がよく転んだ子どもに唱えてやる素朴で拙いまじない歌である。

「早く治れよ、よくなれ坊や。怪我はどっかへ飛んでった」

 子供だましのまじない歌は、フェリシア自身の持つ治癒魔法の力とあいまって高い効力を発揮した。

 白い肌が赤くただれてしまったものの痛みが一気に引いていく。


「ありがとう、聖なるものよ。感謝します」

 フェリシアの頬を一筋涙が伝い落ちた。

 もろくなった鉄のベルトは、手首ごと床に叩きつけると鈍い音を立てて壊れてしまった。

 それとともに、おさまっていた痛みが右手の先から背骨を抜けて頭の芯までフェリシアを貫き、彼女はそれを歯を食いしばって耐えた。無意識のうちに胸に下がった護り石を握り締める。その冷たい感触がフェリシアを慰め、痛みを少しだけ鎮めてくれた。

 傷は思いの外、深いようだった。すぐには、どうこうなることもないだろうが、傷跡は一生残るかもしれない。


 一瞬だけフェリシアは悲しげに赤く爛れた火傷を眺め、それから気を取り直して唇を噛み締めると、決然と次の作業に取り掛かった。

 鎖から自由になったフェリシアは、床の上から蝋燭を取ると牢の鉄格子へ向かった。

 うまくいけば、鉄格子も融けてくれるかもしれない。

 フェリシアは、牢の鍵の部分に蝋燭が当たるように両手で持ち上げて、鉄のまじない歌を唱えた。

「鉄よ、思い出せ。そなたの昔を。熱き塊なりし、かの昔を」

 重く太い蝋燭に腕が痺れるまで、諦めずに辛抱強くフェリシアはまじないを繰り返した。

 だが、今度は鉄は融けなかった。

「どうして?」

 フェリシアは蝋燭の炎が当たっていた部分へそっと指先を当てた。

 そこは火傷をしそうなほどの高温になってはいたが、融けるところまではいっていなかった。

 フェリシアは、絶望に打ちのめされた気分で呆然と座り込んだ。


 だが、それもしばらくのことだった。

 際限なく襲ってくる手首のうずきが、逆にフェリシアを脱出へ向かって駆り立てた。

「そうだわ。地下を探ってみなくては。大地の聖霊、あるいは風の友に会えるかもしれないわ」

 フェリシアは最初に考えたように、床の上の結界を探っていった。

 そろそろと冷たい石畳を指でなでていく。何らかの魔法がかかっている様子だが、フェリシアの力ではどのようなものかまではわからない。

 それでも強力な結界魔法がかけられていることだけはわかった。

「きちんと地下にまで張られているわ。きっとこの下には、何かあるんだわ」

 落胆しながらも、諦めずにそろそろと慎重に掌で床の上を撫でていく。


 と、ふいにその掌の触れている部分からフェリシアは言い知れぬ恐怖を感じ、おもわず悲鳴をあげた。

「何かいるわ」

 この下に何かいる。

 ラザラスの張ったであろう強力な結界をも越えてなお、その存在を感じさせる何かの禍々しい気配がしている。

 フェリシアは一瞬だけ感じたその恐怖を拭い去れず、自分の手を抱きしめたまま、牢の端まで後退りした。

 固い鉄格子が背中に当たったが、それに気がつかぬまま、フェリシアはなおも後退ろうとしていた。

 その目はさっき自分が気配を感じた床から離れない。

 今にもその何物かが結界を越え、床から不意に飛び出してきそうで、どうしても視線をはずすことができないのだ。

 震える手でフェリシアは胸に下がった守護石をさぐり強く握った。


「助けて! マリオン、助けて。お願い」

 その声に答えるように、淡い薔薇色の護り石がかすかに明るんだ。

 結界がなければ、フェリシアの呼び声は、どこにいても確実にマリオンに届いているはずだった。

 だが今のこの場では、それは絶望的だった。

「お願い・・・・・・」

 フェリシアの頬を再びひと筋の涙が濡らしていく。


「『あれ』を見たか、いや感じただけか。余計なことをしなければいいものを」

 気がつかぬうちに牢の前に忍び寄ってきていたラザラスの声に、フェリシアは文字通り飛び上がった。

 だが、あの気配に比べたら、ラザラスのほうがまだ何倍も人間味がある。

「お願い、出して。私をここから出して」

 床から視線をはずさぬようにしながら、フェリシアは牢越しにラザラスの上着をつかんで懇願した。

 その答えは、ラザラスの気色の悪い低い含み笑いだった。

「出してはやるさ。じきにな。だが、それまでは」

 そこまで言うと、ラザラスは不意に言葉を切って、鉄格子の中に腕を差し込み、焼け爛れたフェリシアの右手首をつかんだ。


 突き抜けるような激しい痛みがフェリシアの全身を貫き、彼女は大きな悲鳴をあげた。じんじんと手首が痛みで痺れ、不意打ちを食らったフェリシアはほとんど失神しかかっていた。

「あの鎖に何をした、この馬鹿者が。このような怪我などしおって。奥方様におしかりを受けるではないか。醜い傷が残ったらどうするのだ」

 ラザラスは舌打ちをしながら仔細にフェリシアの手首を眺めて、顔をしかめた。

「鉄のまじない歌を使ったのか。愚かなことを。この鉄格子は、あのまじない歌では融けぬ。鉄以外のものがたっぷりと混じっているからな」

『魔術師用なの? ずいぶんと行き届いた牢屋なのね』

 フェリシアは痛みによってぼんやりとした頭でその言葉を聞き、納得した。

「薬では間に合わん、さりとて俺ではこんなひどい火傷は治せん。さて、どうするか」

 彼は半分気を失って倒れかかっているフェリシアの身体を、鉄格子越しに床に静かに横たえると、小さくため息をつき陰気な声でつぶやいた。

「この娘が自分で素直に治療するとも思えんし。となれば、仕方がない。ここはジェイクか。どちらにしても、あやつに手を借りねばならんしな」


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