薔薇の虜囚(その2)
【Rosaline's SIDE】
おかしいわ、とロザリンは自分のベッドで寝返りを打ちながら考えていた。
昨夜はずっとマリオンの看病で眠れなかったのだから、本当は眠くてたまらないはずなのに、神経がさえてしまっている。気になって仕方がないことがあるのだ。
あの時、マリオンが最初に目覚めたとき、彼は自分を「私の薔薇」と呼んだ。
そう、確かに聞き違いではない。
何故、だろう。
いや、間違っているとはいえない。確かに自分はサモンデュールの薔薇だと人々に呼ばれているのだから。
だが、意外なことに今までロザリンをそう呼んだ恋人はたった一人しかいない。
なぜなら、侯爵が娘をそう呼ぶからだ。
今までのロザリンの恋人は、みな侯爵より身分が下の者ばかりだった。 侯爵がそう呼んでいるのだから、格下の自分はそう呼べないと遠慮していたのだろう。
たったひとり、ロザリンを「私の薔薇」と呼んだ男は、あいつだけ。
身分が上だろうが下だろうがいっさいおかまいなし。
自分が雇われているだけの魔術師だということも気にもとめない男。
「ジェイク・クエイル・・・・・・」
その名前を舌先に乗せてゆっくりと転がし、彼女は顔をしかめた。
嫌な男。だが、今、何故彼を思い出すのだろう。
マリオンがジェイクと同じ魔術師で、彼女を同じ愛称で呼んだからか。
マリオンは侯爵がロザリンをそう呼んでいるということは知らないはずだ。
だから、彼女をそう呼んだとしても、何の不思議もない。
だが、ロザリンの頭の中から、ジェイクの暗い蒼色の瞳が消えない。そして、あの低いトーンの彼の声も。
「・・・・・・マイローズ」
ロザリンはそのピンク色の唇をかすかに開けて、ため息をついた。
最初に会ったときから、ジェイクは無礼だった。
少し冷酷な目つきをした端正な顔のやり手の魔術師というのが第一印象だった。
「あなたが、サモンデュールの薔薇とやら、ですね。ロザリン姫」
どこか見下したような、人を小馬鹿にして面白がっているような口調を思い出す。
「まぁ、私が薔薇では何かご不満でも?」
彼女の切り返しにジェイクはにやりと笑った。
「とんでもありません、姫君。あなたは薔薇よりも美しい、とそういいたかっただけですとも」
「どうかしら。そういう口調ではございませんでしたわ」
ジェイクは肩をすくめた。
「そのように聞こえてしまったのでしたら心から謝罪いたします、姫君。私は本当にそんなつもりでいったのではないのですから」
ロザリンはくいっと顎を上げた。
「謝罪を受け入れて差し上げてもかまいませんけれど。それにしてもあなたの口調は無礼ですわ。それともそのお顔かしらね。どちらにしても改善なさったほうがよろしくてよ」
ジェイクは目を伏せた。
「これはまた手厳しい姫君だ」
それから面白そうに目を上げると、ロザリンにだけ聞こえるように小さな低いあの声で囁いた。
「あなたの外見も美しいが、私にはあなたの気性の方が好みですよ。マイローズ」
ジェイクのセリフを思い出して、悔しそうにロザリンは固くまぶたを閉じた。
「外見以外を褒められたのは、初めてだったのよ。あれがあの男の手だったんだわ」
誰も彼もロザリンを美しいとしか言わない。目が美しいとか肌が綺麗だとか優美な手だとかその類の賛美の言葉は聞きなれていた。
だが、ジェイクだけは外見よりもその気性が好みだと言い放ち、その言葉はロザリンの心の琴線に触れたのだ。
二人は恋に落ちた。
ひと月も続かないような短い恋だったが、今でもロザリンには忘れられない時間だった。
お互いの気性の荒さから離れてしまったのは、しかたのないことだったかもしれない。 ことあるごとにロザリンとジェイクはぶつかり、罵りあい、いがみあった。
それは今から思えば、価値観の相違というよりは、逆に似すぎているがための同類嫌悪というものだったような気がする。
そして、似すぎている二人が、その衝突自体をお互いに面白がっているところがあったのを否定はできない。
決して穏やかではない。常にどこかにある意味の危機感をはらんだ恋。気を抜けば、そこを突かれて面白くもない嫌味やたちの悪い冗談を聞かされる羽目になる。やり込めるためには、相手のどんな過ちも見逃してはならない。
ロザリンはあのように自分に本気で食ってかかる男など、ジェイクのほかには知らない。
「だから、忘れられないだけだわ。ただそれだけ」
ロザリンは、布団を顎の下まで引き上げると、もう一度悩ましげなため息をついた。
新しく手に入れた恋人のマリオンは優しい。
時折、緑色の瞳に浮かぶ悪戯っぽい煌きは、ジェイクによく似ているが基本的には穏やかな会話が続く。
実のところ、ロザリンはマリオンがあのように簡単に落ちたことが少し意外だった。
マリオンに最初に会ったときに感じた印象は、優しく穏やかだが、まっすぐで信念を貫き通す頑固で一途な男、というものだった。
だから、あのようにちゃんとした婚約者がいれば、いみじくもジェイクがあの時意地悪く言ったとおり、ロザリンに目を向けるまでには時間と手間がかかるだろうと思っていた。
「おかしいわ。本当に彼はあの”彼”なのかしら?」
まるで人が変わったようだ。
だが、別にそれでもいい。極端なことを言うならば、マリオン自体に興味はないのだ。
確かに若くて綺麗な外見の魔術師ではあったが、個人的な趣味を考慮しなければ、彼ぐらいの外見をした男など星の数だけいることだろう。
魔術師として一流かどうかということも、ロザリンにはあまり興味の湧かない話だった。もちろん一流であるほうがいいに決まっている。だが、それは一瞥したところでわかりはしない。
魔術ということに関しても、ロザリンには通り一遍の知識しかなく、使えれば便利なことだ、としか思えなかった。
むしろ気になっているのは、あの白魔女のほうだった。
美しい清楚なフェリシア。 控えめで優しげな、それでいて気の強そうなあの瞳。
「そうね、あなたとマリオンはきっとよく似ているわね」
ロザリンは、黒髪のあの美しい女に心の中で話し掛けた。
マリオンは、彼女のどこに最初に惹かれたのだろう。 あの美しい顔立ちだろうか。それとも、優しげなあの声と物腰だろうか。
「おまえは自分の価値を、自分の外見にだけ求めすぎている」
いつか言い合いをした際のジェイクの言葉が、ロザリンの耳によみがえってきた。
「おまえの美貌は認めよう、マイローズ。だが、お前の価値はそれじゃない。何故、気づかない? 何故、見ないふりをする?」
「わからないわ、あなたが何を言っているのか。だって、私の外見がこうでなかったら、あなたは私に惹かれたかしら?」
眉間に皺を寄せて怒っていたはずのジェイクが、ふっと肩から力を抜くと、ごくまれにロザリンの前でだけ見せる極上の笑みをその唇に浮かべた。
「お前の中には、マイローズ。その外見よりももっと価値のある魂が眠っている。お前がそれに気づかないならそれでもいい。俺はそれを認めているよ」
皮肉な事にロザリンは、ジェイクが自分に外見以外のどんな価値あると認めたのか、とうとう最後までわからなかった。
「一緒に旅に出よう。お前には姫君は似合わないぜ」
さほど冗談とも思えないほど熱心なジェイクの言葉を、ふん、とロザリンは鼻であしらった。
「それで? 私には流れ者の黒魔術師の妻が似合うとでも言いたいの?」
いいや、とジェイクはロザリンの手をとってその青い瞳の中を覗きこみ、まるで誘惑の魔法をかけようとでもするようにあの低い声で耳元に甘く囁いた。
「お前には魔女が似合う。黒い魔女だ。今からでも遅くはないさ。お前ならきっと一流の黒魔女になれるよ」
その声に背骨を融かされてしまったようにロザリンは彼に身体を預け、少し残念そうにかぶりを振った。
「行けないわ。サモンデュールには私以外に跡取りがいないもの。私はこの城に、サモンデュールに囚われているの」
ベッドの中で思い出にふけっていたロザリンの頬をつうっとひと筋の涙が伝った。
「馬鹿ね、ロザリン。何を嘆くことがあるの」
ロザリンは半身を起こし、薄い寝巻きの袖で目の縁を拭った。
「あんな男、いなくなればいいのよ。そうすれば、もうこんな思いはしなくてすむわ」
それからいきなり振り向いて羽根枕をつかむと、思い切りベッドの支柱へ叩きつけた。鈍い音がして枕からこぼれ出た羽根が、まるで季節外れの雪のように宙を舞った。
「大嫌い! あの女も、あんな男も、みんな死ねばいい、消えてしまえばいい! 私を惑わすどんなものもこの世にはいらないのよ」
枕からこぼれ出た白い羽へ向かって小さな拳を突き出しながら、ロザリンが叫んだ。布団の端をつかんだ手の関節が白くなり、その瞳の中には、はっきりとした憎悪と黒い決意が宿っていた。




