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略奪の薔薇(その2)

 昨夜、闇の中で土手を降りた箇所はすぐにわかった。初めに死体を見つけたときとほぼ同じ位置から降りたつもりだったが、どうやらそれは正しかったようだ。草が少しなぎ倒されていて、見覚えのあるあざみの花が風に揺れている。

 ジェイクは降りる前に慎重にあたりを見回したが、自分が出入りした他に草に踏みしだかれた跡はついていなかった。

「わざわざ魔法を使って死体を移動したか」


 ジェイクは唸りながら、土手を降りていった。降りたところから数歩分離れたところにほぼ人一人分ほど草が乱れている箇所があって、昨日の朝フェルが倒れていたところに間違いない。

 だが、何か跡がついているのはそこだけだった。

 そこから引きずったような跡もなければ、誰かが側を歩いた跡もほとんどない。かすかに草が踏まれているのは、たぶんジェイクの足跡だろう。


 よく見ると、土手の上方には跡がないが、下方に向かってかすかに草が倒れている。

「下の川へ落としたのか」

 ジェイクは水面を透かし見た。川は小さな二人乗りの船が一艘通れるかどうかというほどの細いもので、深さもさほどない。水は澄んでいて川底に誰か、あるいは何かが沈んでいればすぐに見て取ることができそうだった。

 何の魔法を使えば、ここで起きたことを知ることができるだろうか。ジェイクはそのまま水面を眺めながら頭の中で忙しく呪文とその組み合わせを模索していた。


 **..**..**..**..**..**



 それから幾らも経たないうちにフェルの家の扉が叩かれた。戸口へ出たフェルの妻は、不安げに背の高い魔術師の顔を見上げた。

「どなたさまでしょうか? フェルにご用事ならば、あの人はお城へ出たまま戻ってはおりませんが」

「私は城付きの魔術師、ジェイク・クエイルと申す者。フェルから急ぎの用事を頼まれてきた」

「急ぎの用事ですって? なんでしょうか」

 名乗られた妻の顔に一瞬気味の悪い物を見るような嫌悪の表情が浮かんだが、すぐそれはフェルの急ぎの用事という言葉によって不思議そうなそれに変わった。

「フェルがこちらに鍵を忘れていったのではないかと思う。穀物倉庫の鍵なのだが」

 細君はあら? という顔をした。

「鍵なんて忘れるはずがありませんよ。いつだってあのじゃらついた鎖で首から下げているんですから置いていくなんてありえません」

 それから細君は不審そうにジェイクをみやった。

「ほんとにあの人がそう言ったのですか? 鍵を家に忘れたと?」

 ジェイクは曖昧に首を振った。

「それともひとつだけ落としちゃったのかしらね。前に輪っかが外れたことがあったけど」

 細君は顔をしかめた。

「前にも落としたのか?」

「ええ、そうですよ。一個だけですけどね。でも、一個だからわからなかったのよ。全部落とせばわかったでしょうけど。すぐに出てきたけど、見つかるまではご機嫌が斜めで。いやだわ、またあんなに荒れるのかねえ」


 細君は鍵の行方より亭主の機嫌のほうが気になるようだった。

「私が少し探してみてもいいかね? 急いでいるんだ。どうしても必要なんでね」

 ジェイクの言葉に細君は自分こそが不機嫌そうに顔をしかめた。

「探すところなんてありゃしませんよ。見てのとおり狭い家だし、もう掃除は済んでるんですよ」

 だが、そういう細君を尻目にジェイクは鋭い視線で部屋中を見回した。

 もちろん、フェルの鍵を探しにきたというのは嘘である。

 結局、ジェイクには死体のあった場所に何の魔法をかけるべきか思い当たらなかった。時をさかのぼる術はない。かすかな魔法の気配を頼りに跡を辿ることも考えたが、誰か殺人者によってかけられた魔法は念入りに踏みにじられ、消されていて痕跡はあっても読み取ることができなかった。


 殺人の行われたその場面の再生を行いたかったが、そのためには『何か』が必要だった。たとえば、フェルの思い入れの深い何か大事な物。

 それの助けを借りて初めて魔法は完成する。ジェイクはその何かを探しに来たのだ。

 城へ戻ることも考えたが、どうせ一度はフェルの細君に会わなければならなかったし、彼の思い入れの深いものは家にあるだろう。

 それに何より、彼の家族には何の危害も及んでいないことを確かめねばならなかった。

「勝手に探させてもらおう」

 言うやいなや、ジェイクは遠慮なく部屋中を歩き回り始めた。

「もう、好きに探してくださいよ。ほんとに鍵が落ちていたら、困っちまうのはあたしだし」

 呆れたような顔でそれでも諦めたように細君は肩をすくめた。

 部屋は細君の言うとおり、こざっぱりと片付いている。小ぢんまりとした家で部屋数もさほど多くはない。


 そこここにフェルとフェルの家族の生活が見え隠れしている。たぶん細君が作ったであろう少し歪んで色褪せた壁のタペストリー。磨かれてはいるが、肘掛部分が手ずれしている木製の大きな椅子。

 子供のものと思われる木馬が部屋の隅で埃をかぶり、大きな戸棚にはやはり子供がつけたらしい文字のように見える細かい傷がたくさんついていていた。

 暖炉の前にしかれた古ぼけた敷物の上には、だらりと尾を伸ばした灰色の大きな犬が寝そべっている。

 暖炉のそばを通っても、犬はちらりとジェイクを見上げただけで無関心を装っている。

 窓の側には小さな素焼きの花瓶があって、白いマーガレットが活けてあった。


「あの人がいつもいるのは隣の部屋ですよ。ここに落としたんなら、私がわかるわ」

 細君が隣の部屋に続く薄茶色の扉を指し示した。

 無言のままジェイクは大きな灰色の犬を跨ぎ越し、細君の言うとおりに隣の部屋の扉を開けた。

「まったくねぇ。あの人も帰ってくるのが気まぐれで困ってしまうわ。今夜は帰ってくるのかしら」

 ジェイクの後ろで聞こえよがしにため息をつきながら、細君は頭をふりふり台所のほうへ消えた。

「もう、彼はここへ帰ってはこられない」

 戸口で立ち止まり小さく声を出さずにジェイクがつぶやき、それからひとつ頭を振ると気を取り直したようにフェルの部屋の中へ足を踏み入れた。


 入ったとたん、きつい煙草の匂いが鼻をついた。いつもフェルの吸っている煙草のものだろう。居間ではあまり感じなかったが、この部屋にはしっかりと染み付いている。

 もしかしたら、フェルはここでしか煙草を吸わなかったのかもしれない。

 よくある安っぽい匂いではなく、このあたりで売っている煙草のうちではかなり高級な部類ではないかとジェイクは首をひねった。ジェイク自身は煙草を吸わないが、この独特の香りには覚えがあった。最近、沿海州のほうからこのあたりへよく行商に来ている男が売っている高級な煙草の香りによく似ている。

 居間の半分ほどの広さしかないこちらの部屋は、フェル自身の物であふれていた。

 造り付けの棚や古く頑丈そうな木机には、いろいろなものが雑多に置かれていて、そこから溢れ出した物は部屋の隅から中ほどまでも埋め尽くしていた。

 だが、そのように雑多な物もよく見ると何らかの法則があるようで、たぶんフェル自身にはどこに何が置いてあるのかわかっていたに違いないと思わせた。


 ジェイクは特に木机の上に鎮座しているパイプ置きに注目した。

 このパイプ置きは、もみの木をかたどったもので、枝のところにいろいろな向きにくぼみがついていて五本ほどのパイプを差し込めるようになっている。

 木製の置物は磨きこまれているだけでなく埃も一切なく、差し込まれたパイプもみな一様に艶があって非常に大事にされているように見える。

 差し込めるパイプは五本だが、一番下のものが一本なくなっていた。

 たぶん昨日の朝、いつものようにそこから抜き出してお気に入りの一本を持って出たのだろう。

 そこはぽっかりと空洞になっている。

 ジェイクはかすかに眉を寄せ、残った四本のパイプに手を伸ばし、一瞬だけ迷った末にそのすぐ上の焦茶色のものを抜き出した。思っていたよりも少し持ち重りがして滑らかな表面が手にしっくりとなじんだ。

「しばし借りるぞ」

 小さくつぶやくと、ジェイクはそれをマントの隠しにしまいこみ部屋を後にした。


 暖炉の前に寝そべっていたさきほどの灰色の犬が顔をあげ、のったりとしっぽを振りながらジェイクを見つめている。

 そのひたむきで真摯しんしな瞳に気圧けおされるように、ジェイクは目をそらした。

 そのまま、漆黒の風のように出て行こうとするジェイクに気づいた細君が台所の入り口に姿を見せた。

「あら、やっぱり鍵あったんですか?」

 ジェイクは振り向くといつもは見せないような優しい、しかしどこか悲しげな笑みを口元に浮かべた。

「ああ、あった。邪魔をしてすまなかった。頂いていくよ」

 ジェイクはそれ以上何も言わず、細君から視線をそらし表へ出た。


 家の前に繋いでいた馬に乗ろうとするジェイクに、細君が戸口まで出てきて大きな声で叫んだ。

「ちょっと! うちの人に会ったら、いつ戻るのかはっきりさせとくれって伝えといてくださいな」

 馬上でジェイクは顔の半分も隠れるくらい深くマントのフードをおろした。

「わかった。伝えておこう」

 彼には今はそれだけしか言うことができない。

 何も知らない細君は、ジェイクの答えに満足げにうなずいた。

 家の裏手のほうから子供たちのはしゃぐ声が聞こえ、家の奥から誰かのしわがれた声が細君を呼んでいる。

 やれやれ、というふうに細君は首を振りながらくるりとジェイクに背を向けた。

 ジェイクは前を向くなり唇を噛み厳しい顔つきに戻ると、フェルのいた場所へ向かって馬を走らせた。


 こみあげる怒りとともにジェイクは事件の現場へ戻った。

 馬を降りて道の端へはなしてやってから、彼は慎重に草を踏みしめながら土手を降りた。

 もちろんそこには何もない。倒れていた草もその驚異的な野性の力でもうだいぶ回復しつつあった。

 怒りを押し殺すように彼は拳を一度握り締め、それからゆっくりと開いた。

 ひとつ大きく息をついてから、ジェイクはあのパイプを取り出してみた。

 それはよく磨かれ手入れされてはいたが、何度も何度も使いこなしたように細かな傷が無数についている。

 ジェイクは一人の男がこのパイプを使って満足げに煙草を吸っているところを思い浮かべた。


 そんな平穏な生活を送っていた人間の日常が、突然奪われたのだ。

 それはフェルだけではなく、あの細君と顔を見せなかった子供たち、いっしょにいるというどちらかの年老いた親にもいえることだ。

 フェルを殺した人間は、彼らの平穏な日常も一緒に殺したのだ。それは決してあってはいけないことだった。

「うまくいってくれ」

 屈みこみフェルが倒れていたあたりにそれを置くと、自分の首にかけていたうずらの卵ほどもある橄欖石かんらんせきの大きな護符をはずした。

 皮ひもの部分を右手に握り腕をいっぱいに伸ばして、パイプの上に揺らめく橄欖石をかざす。

「我が命によりて、フェルよ、御身おんみの影をこの世へ映したまえ」

 軽く目を閉じたジェイクの口から呼び出しの呪文が流れ出る。


 同時に皮ひもの先で揺れる橄欖石から鮮やかな緑色の光が台地に向かって滴り落ちた。

 その光は大地へ落ち、磨きこまれたパイプを明るい緑色に染め上げていく。

 まだ日も高い。しかし、あたりの空気は暗い翳りを帯び、重苦しく湿しとっていくのが肌で感じられる。

 やがて、緑色の淡い光がパイプから緩慢な動作で立ち上がり、ぼんやりとした人の形をとり始めた。

 まるでそれは白昼夢のようで、捉えどころがなく確かに人であるとわかるのだが、顔つきまでは再現できていない。

「フェルよ。お前の話したいことを俺に教えてくれ。殺人者は誰だ。お前をこんな目に合わせた罪人となるべき者はどこの誰か」

 ささやくような低いジェイクの声に、まるで答えるかのように人影が動き出した。

 緑の影は何かを身振りで一所懸命にうったえている。正面を向いてジェイクのほうに向かって何かを話し掛けようとしている。

 だが、声は聞こえない。口と思しきあたりがぱくぱくと黒い穴のように開いたり閉じたりしているのだけが見えた。


「無理か。あまりにも綺麗に魔法の痕跡が消されているからな。彼の気配も一緒に薄れてしまっている」

 だが、諦めかけたとき、フェルの影が何かを指し示すように腕をあげた。

 ジェイクがそちらへ視線を移す。

『ロ・・・・・・』

 濁ってくぐもった地の底から湧き上がるように不吉な声がかすかに聞こえた。

 その影の指差した虚空には新たな影が生じていた。

 じっと見ているうちに、一瞬だけその影ははっきりとした輪郭を持った人の顔となった。

 その顔を認め、ジェイクは驚愕のあまり絶句した。

『・・・・・・ズ』

 フェルの最後の言葉とともに魔法は解け、緑の影も薄れて大気の中に消え失せた。

 あとにはただ夏の乾いた風が呆然と立ち尽くすジェイクの頬を撫でていくだけだった。


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