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略奪の薔薇(その1)

【M&J's SIDE】


 ベッドに運んで傷口を薬草で洗い清浄の呪文を唱えると、マリオンの苦しげな呼吸はだいぶ落ち着いてきた。

 ジェイクは額の汗を拭い、長く悩ましげなため息をついた。

 マリオンはサモンデュールの城へ運ばれ、いまジェイクの手当てを受けていた。


 城へ怪我をしたマリオンがぼろぼろの荷車で運ばれてきたとき、知らせを受けたロザリンが血相を変えて飛んで来た。

「これはいったいどうしたことなの? ジェイク」

 責めるようなロザリンの言葉に、ジェイクは無言でかぶりを振った。答えにくいということもあったが、それどころではない、というほうが正しい。一刻を争うのだ。長々と状況の説明をしている場合ではない。

 そのジェイクのただならぬ様子にロザリンはそれ以上何も言わなかった。すぐに状態を悟ったようにてきぱきと侍女たちに的確な指示を与え、マリオンの部屋に治療に必要なものを揃えさせた。


「治療はあなたで大丈夫なの? ジェイク」

 それは心配というよりも単に事実を聞いているだけ、という口調だった。だめだ、とジェイクが答えたらすぐにも城の外にいる白の治療師を呼ぼうというのだろう。彼女の目の中には、嘘やあいまいさを許さぬ固い決意があった。

 身分が高ければ高いほど世間知らずのおっとりした女性が多い中で、なかなかに賢く機転の利く姫君だとジェイクは心の中で舌を巻いた。

『彼女はあなどれないな』

「大丈夫。私が治療できます」

 白の治療は彼が得意とするところではない。だが、そんなことを言っている暇はない。

 そもそも、彼に白の治療ができないというわけではない。苦手だというだけで。

 治療師側の負担が大きいだけのことだ。


 完治まで時間はかかるだろうが、彼はやがて平癒するだろう。

「そう。ではあなたにお願いするわ。でも」

 ロザリンはきつい目でジェイクを睨んだ。

「マリオン様に何かあったら、覚悟なさいね」

 ジェイクはそれには答えず、部屋から皆を追い出し治療に専念し始めた。

 苦手なことは一人でゆっくりと落ち着いてやらねばならない。


 治療はきわめて念入りに行われた。

 すぐに幾種類かの薬草を混ぜて煎じた香りが部屋の中に漂いだした。

 この場合、薬草はあくまでも補助に過ぎない。黒の呪いを取り除くためには白の治癒、光の魔法が必要だった。そうでなければ、傷は癒えても身体の中の血が腐っていく。放っておけばいつかは身体中が腐り落ち、死よりも辛い状態にいたるだろう。

 ジェイクの口から白の呪文が紡ぎだされ、その左手の指先からは淡い治癒の光が溢れだした。

 その魔法の白い光はマリオンの傷口を洗い、身体中を駆け巡る血液を清めていく。

 やがて、長い長い時間をかけて一通りの治療を終えたジェイクはふっと息をついた。

 額に汗が滲んでいる。


 疲労によって身体がいつもの何倍かの重さに膨れ上がったような感じがしている。

 だがそのかいあって、ジェイクの疲労と引き換えにマリオンの呼吸は先ほどよりもさらに穏やかで、蒼ざめていた頬にも少し赤みが戻っていた。

 結果に満足しながら、ジェイクは緊張していた肩から力を抜いて、病室と定められたマリオンの部屋を出た。

 次の間には不安そうな顔でロザリンが長椅子に座り込んでいて、ジェイクの顔を見ると物問いたげな視線を投げてきた。

「最初の治療は終わりました。明日もやらねばなりませんが、しばらく続けて安静にしていればすぐに元気になるでしょう」

 ジェイクの言葉にロザリンはほっとひとつ安堵の息をついた。

「そう。では、明日までは私が看病いたします。必要なこと、大事なことは何かしら?」

「そうですね。まずは、部屋の空気を清浄に保つことを忘れないように。彼の目が醒めたら薬草はこれを煎じて飲ませてください。木のさじでふたつほどを水で薄めます」


 ジェイクはロザリンに丁寧に薬草と看病の仕方を説明した。

 何事も聞き逃すまいとして熱心にジェイクの説明を聞いていた、ロザリンの顔にふと不審の影が宿った。

「いつもと違うのね、ジェイク。あなたがそんなに真摯な態度で私に接してくるなんて」

 ジェイクは内心の動揺を隠して、口元にいつもの皮肉げな笑みを浮かべた。

「非常事態ですからね。今だけ、です。御心配なく」

 ロザリンは、軽く瞳を閉じ息を吸い込むと、すぐに目をあけて挑むようにジェイクの目を覗き込んだ。

「そうね。わかっていてよ。そういうひとだったわ」

 ジェイクはうなずいて再び薬草の説明を始めたが、そのロザリンの言葉に何か少し引っかかるものを感じていた。


 **..**..**..**..**..**..**


 ロザリンにあとを任せ、例のフェルと思しき死体をもう一度検分しようとジェイクは裏門へ急いだ。誰のものであれ、あのまま死体を放置しておくわけにはいかない。

 あれは午前中の話だったのだが、すでに陽は翳り、夜も間近い時間になっている。すっかり夕焼けの赤みは消え失せ青味がかった夕闇に塗りつぶされたこの時間は、かわたれ時と呼ばれるように廊下ですれ違う人の顔もよく見えない。

 だが、交差した廊下の向こうを横切った黒い影にジェイクはぎくりと足を止めた。

 その黒い影は、あきらかに魔力を帯びた気配を宿し、いかにも夜の住人のように見えたからだ。

「ラザラス! 待て」

 迷わずジェイクはその名を呼び、長く暗い廊下を影が横切った端まで全力で駆けた。

 彼がたどり着く前に廊下の影は、すでにゆらめく幻のように闇に融けている。

 急いで角を曲がろうとすると、すぐ目の前に黒い頭巾の小柄で陰気な顔つきの男が立っていてジェイクは思わず身を引いた。


「ジェイクか。何か用か」

 顔と同じく陰気な湿った声にジェイクは背筋に不快なものを感じた。

「どこへ行っていた? ずっと見かけなかったが」

 ジェイクの問いにラザラスはかぶりを振って答えた。

「あいかわらず秘密か。フェルがどうしたか知っているか」

「フェル? 作男頭か。奴がどうかしたか」

「今朝、彼は仕事にやって来なかった」

 ふっと陰気な笑いを浮かべたラザラスがジェイクを見上げた。

「作男頭がどうしようと私の知ったことではない。私の仕事は」

 そこで言葉を切ったラザラスに逆にジェイクが皮肉げな笑みを浮かべて問い返した。

「あんたの仕事は?」

「私の仕事は侯爵さまのお世話係だ。作男頭はお前さんに任せるよ。ところで」

 くっくっくとラザラスの陰気な声が含み笑った。

「客人が大怪我をしたようだが」

 ジェイクの眉があがった。


「なんとかね。生きてはいるよ」

 なるほど、とラザラスが小さくつぶやき、それからふいにくるりと踵を返し廊下を歩み始めた。その痩せて小さな背中には、やはり黒い影が張り付いているようで彼が歩くに連れて廊下の気温が下がったような気さえする。

 同じく無言でその後ろ姿を見送りながら、ジェイクは彼の不快さにかすかに顔をしかめた。

『腐臭がする男だ』

 そして、漂うジェイクの視線がラザラスの足に吸い寄せられた。

 そこには、穀物倉庫でジェイクが得体の知れない男たちの足に巻いたはずの光の細い糸が僅かに煌きを放っていた。

『奴があの時の片割れか。フェルとラザラスはあそこで一体何をもめていたんだ?』


 すると、数歩歩いたところでまるでジェイクの視線を感じ取ったかのようにふいにラザラスの足が止まった。

 ラザラスは斜めに顔をこちらに向け、ささやくような低声で告げた。

「そうそう、知っているかな? 客人の婚約者殿がもうじきここへやって来るそうだ。すでに使者が向こうの城へ向かっている」

「なにっ!?」

 ジェイクの目が驚愕に大きく見開かれた。

 その反応を楽しむかのようにくくっと小さく引き込むような含み笑いをしながら、ラザラスがまた前を向いて歩き始めた。

 後には半歩離れたら表情すらも読めそうにない深い夕闇と、唇を噛み締めたジェイクだけが残った。


 **..**..**..**..**..**..**


 ぼうっとした頭で目覚めると、目の前には金色の髪の美しい妖精が座っていた。柔らかな金色の髪に縁取られた白い小さな美しい顔が、心配そうに彼の顔を覗き込んでいた。

私の薔薇(マイローズ)

 思わずあげた彼のかすれた呼び声にロザリンが驚いたように一瞬だけ大きくその目を見開き、それからにっこりと可憐な微笑を浮かべた。

「気がつかれましたのね、マリオン様。よろしゅうございましたわ」

 今まだ、彼の頭は混乱していた。眠りの魔法をかけられたあと、一度も目覚めていなかったのだ。

「今は、朝?」

 視界の端に入っている窓のステンドグラスの白い薔薇が、明るい光に輝いている。


 ロザリンは、水差しと薬ビンを載せた盆をいそいそとマリオンの枕元へ運んだ。

「ええ、そうですわ。すっかり夜が明けてしまいましたわ」

 マリオンは一度深く息を吸い込み、それをゆっくりと吐き出した。

 背中から胸にかけて鋭い痛みが走る。だがそれは、矢で打たれた直後ほどひどい痛みではなかった。

「マ・・、ジェイクは?」

 ロザリンは眉間にかすかに皺を寄せて首をかしげた。

「ええ、ジェイクは治療をしてくれましたけれど、もうとっくに部屋へ下がっておりますわ。ご気分がお悪いのでしょうか? 呼びにやりましょうか?」

 マリオンはどこか虚ろな瞳でわずかにうなずいた。

 一晩起きていたであろうロザリンは疲れも見せず、その薔薇色の頬にほんのりと微笑みを浮かべた。


「では、お待ちくださいませ。すぐに人を呼びにやりますわ」

 白いロザリンの手がマリオンの頬を愛おしげに撫でた。

 やがて、呼ばれたジェイクが慌しくマリオンの部屋の扉を叩いたとき、マリオンはちょうどロザリンの手で薬を飲まされているところだった。ロザリン付きの侍女が扉を開けると、ジェイクは黒いマントを翻してつむじ風のように入ってきた。

「ジェイク・・・・・・」

 マリオンはロザリンの手にある薬の鉢を押しやり、弱々しくジェイクの名前を呼んだ。

「目覚めたと聞きましたが」

 それから彼は二人の様子を認め、顎を上げ不快なものでも見るように目を細めた。


「ロザリン姫、彼と二人きりにしていただけますか」

 マリオンの掠れた声にロザリンが優しく彼の緑の目を覗き込み、うなずいて答えた。

 ロザリンは優しくマリオンには微笑んだが、扉へ向かいながら軽くお辞儀をしているジェイクの傍らを通り抜けるとき、じろりとその顔をきつく睨むのは忘れなかった。

 ジェイクは苦笑した。

「よっぽど嫌われてるな、お前」

 マリオンは、枕に深くもたれて弱々しい笑みを浮かべた。まだ少し顔色が悪い。

「僕、じゃなくて『自分』だろう、ジェイク」

 ジェイクは肩をすくめた。

「……ばれたときが怖いな」

「ばれないさ。ところで」


 マリオンの口調が真面目なものに変わった。

「気づいているか?」

「何に?」

「僕が今、生きている理由はなんだ?」

 ジェイクの眉が寄せられた。

「何故、とどめが刺されなかったのか、とそう言いたいのか?」

「気づいていたな。何故だ? 目覚めてからずっと考えていた。機会はいくらでもあったはずなのに、なぜ奴は僕を生かしておいたのか」

「それを言うなら、何故襲われたのか、すらわからん」


 ジェイクはそばにあった小さな椅子をベッドの側に引き寄せて、どっかりと座り込んだ。

「ハロウ村へ行かせないためなのかとも考えたが、今更あそこで何か見つかるとも思われない。それとも何か本当にあるのか、と逆に注意をひきつけてしまうだけだと思うのだがね。と、なれば傷つけることだけが目的だった、とも考えられる」

 ジェイクの言葉にマリオンがうなずいた。

「なんの利益があるんだろう。それも誰にとっての利益なのか」

「ラザラスに会った」

 いきなり、ジェイクが苦々しい口調で吐き捨てた。

 ほう、とマリオンの眉があがる。

「フェリシアがこちらへ向かっているそうだ」

「フェリシアが? 何故」

 意外な名前にマリオンの目が大きく開かれた。

「お前さんが瀕死の怪我をしたから、治療師の婚約者殿を呼んだということだろうが、果たしてそれが真意かどうかはわからん」

 まさか、とマリオンがつぶやいた。

「彼女を呼ぶために僕がこんな目にあったんじゃあるまいな? 対応が早すぎないか」

 じろっと凶悪な瞳でジェイクがマリオンを睨んだ。


「どうであれ、この状態でフェリシアがここへ来たらどうなると思う。少しは反省しろ」

 くっとマリオンの口から小さく笑いが漏れた。

「大丈夫。彼女が僕に会ったら、一発で僕と君にかけられた魔法に気がつくよ。誤解はしないさ」

 ジェイクは天井を仰いだ。

「それはそれで困る。彼女を巻き込みたくないんだ」

 ふーんとどこかに笑いを含んだ顔でとぼけるマリオンを再び睨みつけ、ジェイクは椅子から立ち上がった。

「もう、行かなくては。フェルが殺されたんだ」

「なに? 作男頭か。いったい誰に?」さすがにマリオンが驚きの声をあげた。

「まだわからない。昨日、お前から呼び出しを喰らったとき、俺はちょうど死体を検分していたところだった。たぶんフェルだと思う。俺は彼の顔を知らないが、前後の状況から見て間違いなかろう」

「四十代後半。面長。肌は浅黒く頬が少しこけていて唇が右に曲がっている。目の色も髪も茶色。鼻は少し鉤鼻かぎばなだな。確か額に白い傷跡があった気がするが」


 目を閉じて思い出すように、マリオンがよどみなく男の特徴を口にした。

「なかなか適切な描写だな。傷跡は見ていないが、たぶんフェルに間違いない。しかし、確認のすべはない」

 と、そこでジェイクは言葉を切って、奇妙な目つきでマリオンを見た。

「夜にその場所へ戻ってみたら、死体は見つからなかった」

 マリオンは驚いて目を開けた。

「え、死体がなくなった?」

 ジェイクはため息をついた。

「これから俺はもう一度同じ場所へ行く。何か見つかるという保証はどこにもないがな」

 マリオンは枕に深く頭を落とし、ほっと息をついた。

「治ったら手伝うよ」

 ふん、とジェイクが鼻で笑った。


「結構だ。黙って養生していろ。フェリシアをどう言いくるめるかだけ考えておけ」

 ジェイクはそう言い置くと、そのまま返事も待たずに入ってきたときと同じようにマントを翻し風のように出て行った。

『本当に、尻に敷かれてるな。まぁ、俺も同じか』

 マリオンが声を出さずに唇だけ動かして面白くもなさそうにつぶやいた。

「ジェイクの治療は済みましたの?」

 ほとんど入れ替わりのように扉が開いてロザリンが入ってきた。短い時間ですばやく白い清楚なドレスに着替えたらしく、先ほどとは髪の結い方も変わっている。

 マリオンはそちらへ首を廻し、うっすらと笑みを浮かべた。

「ええ、しばらくゆっくり眠るように言われました」

「そうですの。では、しばらくお休みになってくださいませ。その間、私も少し休ませていただきますわ。代わりに侍女を置いておきます。何でもお申し付けくださいませ」

 ロザリンは額にかかるマリオンの金の髪を右手でそっと払った。彼の左目があらわになったが、金色の瞳にもロザリンは怯む様子もなく、そのまま彼の額にそっと口付けを落とした。


「ありがとう、ロザリン。僕のために一晩中無理をさせてしまいましたね。どうぞゆっくり休んでください」

 ロザリンは微笑み、今度は彼の唇に自分の花びらのような唇を押し付けた。それにマリオンが答え、恋人同士の甘い口付けが交わされる。

「早く治ってくださいませね。私にあまり心配をかけていただきたくないわ」

 ややあって名残惜しげに唇を離したロザリンは、少しだけ拗ねたようにマリオンの耳元で囁いた。

 目を閉じてマリオンがかすかにため息をついた。

「ええ、申し訳ありません。ロザリン姫」

 眠そうな声にロザリンがもう一度彼の頬を静かに撫でて、おやすみなさいと囁いた。

 ロザリンが侍女を置いて出て行くと、マリオンは目を開けた。

 あたりには薬湯の匂いに混じって彼女の置いていった薔薇の柔らかな香りが漂っている。

「怪我をしたのがジェイクならどうなっていたか、なんて野暮なことは考えるだけ無駄なことか」

 くくっと彼の口から思わず自嘲の笑いが漏れた。

「どうかなさいましたか?」

 部屋の入り口にひっそりと控えていた侍女が声をかけたが、すでに彼は穏やかな眠りの波に飲み込まれかけていた。


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