破滅の薔薇(その2)
ぎくり、とジェイクは身体をこわばらせた。
「今、呼ばれたな」
顔を上げ、きっと鋭い目で街道のずっとはずれ、空の向こうを見やる。
足元にはまだ誰のものとも知れない亡骸がまるで物のように無残な有様で転がっているが、彼はもうそちらには目もくれなかった。
何か尋常でないことが起きたのだ。死者には申し訳ないが、今は生きている人間のほうが大事だった。
ジェイクは身軽く土手を駆け上がると空を見上げ、右手を口へ当て鋭い指笛を高く、そして息の続く限り長く鳴らした。
指笛が鳴り止んだとき、城の方から何か黒いものが駆けてくるのが見えた。
それはジェイクの黒い馬で土埃を巻き上げながら街道を疾駆してくる。
みるみるうちに距離を詰めた馬は、ジェイクの傍でほんのわずかだけ速度を落としたが、そのまま止まらずに街道を駆けていく。鞍も手綱もついていない。
だが、黒いマントが翻ったかと思うと、次の瞬間、ジェイクの長身は馬上にあった。
鞍も手綱もなしに膝で馬の胴体を挟んでうまく均衡をとりながら、ジェイクは自分が呼ばれた方向へ向かって馬を走らせた。
「駆けろ、エルグ。奴が危ない」
ジェイクの叱咤にエルグと呼ばれた馬がさらに速度を上げることで答えた。
狂った風のように馬を走らせていく黒い魔術師の姿に、街道沿いにいた近隣の村の者達は一様に目を丸くし農作業の手を止めた。
やがて、ジェイクが石の導きによってハロウへ向かう街道でうつぶせに倒れているマリオンを見つけたとき、彼の命の灯はほとんど消えかけていた。
馬から下りて彼の傍にかがみこむなりジェイクは、懐から水の入った筒を取り出しその口をこじ開けた。
白いマントと上着の背の上半分が赤黒く血に染まっている。
どうやら左の肺を矢が突き抜けたようで、呼吸が浅く弱くなっている。
「だが、心臓には当たってない。ありがたい」
ジェイクはマリオンの身体をゆっくりと横に向かせ、蒼白になった顔を覗き込んだ。
「水よ、流れいずる美しき水よ、その命の源をわれに分け与えたまえ」
呪文とともに淡い薔薇色の光がジェイクの左手にささげられた筒にまとわりつく。
斜めにその筒を傾けると、筒の上方に開けられた小さな穴から細い光の糸のように煌く水が流れ落ち、マリオンの唇と胸の傷を濡らした。
ぽうっと傷口が薔薇色に光りはじめ、マリオンの唇がかすかに開き大きく息を吸った。まだ意識はないが、蒼白い頬にほんのわずか赤みがさしたことにジェイクは安心し、今度はマリオンの背中から生えている矢を仔細に調べ始めた。
それは黒い破滅の魔法がかかった矢で、かなりの力で打ち込まれている。
胸に一インチほど突き出した凶悪な鏃を見る限り、後ろへ引いたからといって素直に抜けるものではない。
だが、抜かなくては完全な治療はできないうえに、城へ運ぶのも厄介な事になりそうだった。
逆に前に押し出してしまうことも考えたが、時間がたっていて魔法を使ったにもかかわらず彼の意識がないことを考えると、あまり荒っぽい方法はとれない。
そもそも、ジェイクは治癒魔法が得意ではない。これ以上、身体に負担がかかると彼では対処できなくなる可能性もある。
「しばらく辛抱しろ」
ジェイクは乱暴な口調とは裏腹に、優しい動作でマリオンの身体を横向きに寝かせた。
それからすっくと立ち上がり、顎を上げ左手を自分の左目の上にあてた。
ぶんっとあたりの空気が揺れる。ジェイクが手をおろすと、彼の深い青だった瞳が金色に輝いていた。
あたりには強力な金色の魔法の気配が満ちる。まるで空気すらもその魔力を怖れるかのようにかすかに震えをおびている。
「光よ。滅びの光よ。わが命によりその禍々しい悪しき魔を滅ぼせ」
大きく両腕を広げ、顔を昂然とあげて呪文を唱えるジェイクの全身をすっぽりと白い光が包み込む。ジェイクがそのまま左手をマリオンへ向けて差し向けると、その光は大地を揺るがすような衝撃とともにマリオンを覆い、巨大な光柱となって空へ向かって吹き上がった。
遠くから見ていた者の目には、いきなり空間に空を染め上げるような巨大な光柱が立ち上がったように見えただろう。
光が収束したとき、マリオンの背から胸に向けて突き刺さっていた矢は跡形もなく消え失せていた。
「たかが、矢一本にえらく派手な魔法を、つ、使いやがったな・・・・・・」
気を失っていたはずのマリオンの口から、切れ切れだがしっかりとした声で彼に似つかわしくない乱暴な言葉が漏れた。
彼はいつのまにかうっすらと目を開け、苦しげながらゆっくりと深い呼吸を繰り返していた。
マリオンが意識を取り戻したことで幾分ほっとしたジェイクが、改めて眉間に皺を刻んだ。
「しかたあるまい、一刻を争う」
「・・・・・・結界を踏んじまった。あげくにモーリスがいた」
ジェイクは訝しげに首をひねった。
「あの黒い魔法の矢がモーリスの放ったものだというのか?」
「ち、がう」
否定しながらマリオンは、無理やり身体を起こそうとした。
「無理に起きるな。俺は矢を破壊しただけで傷を治したわけではない。血止めをして最低限、呼吸ができるようにはしたが、肺に損傷も受けているはずだ。心臓に当たらなくて幸いだったとはいえ、あまり動くとまた呼吸ができなくなるぞ」
非情なジェイクの言葉に、起き上がる気力を無くしたように元の姿勢に戻ったマリオンが片頬に皮肉げな笑みを浮かべた。
「はっ、痛みが増すような御丁寧な解説をありがとう。まったく、感謝するぜ、マリオン」
ジェイクが思い切り眉を上げ、唇をゆがめた。その左目はすでに紺碧に戻っている。
「俺は”ジェイク”だ。忘れるな。いいか、これは自業自得というやつだ。人の忠告を真剣に聞かないからだろう」
ジェイクの言葉にマリオンが思い切り顔をしかめ、それから少し笑った。
「にしてもたいしたもんだ。これだけのことがあっても、お前のかけた魔法は解けなかったな」
ジェイクが小さくため息をつき、
「完全に死んでいれば、解けていたと思うが」
と、答えるとマリオンが嫌な顔をした。
「誰かがモーリスに剣を持たせた。彼はすっかり操り人形になっていたよ。矢は誰のものかわからない」
マリオンの言葉にジェイクはうなずいた。
「だろうな。背後からものすごい力で打ち込まれている。心臓だったら即死だな」
ジェイクの言葉にもう一度マリオンが嫌な顔をして見せ、それからぶり返してきたらしい痛みに歯をくいしばった。
やがて痛みが治まると、マリオンは額に脂汗を浮かべたまま何事もなかったかのようににやりと不敵に笑った。
「少し眠い。用があるなら起こせ」
ジェイクは小さくうなずいて、左手をマリオンの額に当てて眠りの魔法をかけた。眠っていたほうが痛みに苦しまなくてすむ。
ジェイクの魔法によってマリオンはすぐにまぶたを閉じ、深い眠りについた。
それからジェイクは、マリオンの上着の胸元を開け傷口へ手を当てると、自分にできる限りの治癒魔法を行った。だが、傷口から入り込んだ黒い魔法は毒のようにすでにマリオンの全身にまわリ始めている。
普通の矢傷と違って、この場合には白魔術での治療を行わなければならない。
「白の治療はフェリシアが得意なんだが」
と、ジェイクがぽつりとつぶやいた。
だが今、マリオンの城へ運んでいる時間的余裕はない。フェリシアを呼びつけることもしたくなかった。
「城へ戻ってもっと本格的に治療をほどこす必要があるな」
彼が顔をあげてあたりを見まわすと、ちょうどそこに小さな荷馬車が通りかかった。荷馬車といっても木でできたぼろぼろの車輪と板でかこった粗末な荷台がかろうじてあるだけで、つながれた馬も相当くたびれている。
「どうかしなすったかね?」
ほとんど御者台とは呼べそうもないようなところに座っていた人の良さそうなしなびた老人が声をかけてきた。
ジェイクはふっと強く息を吐いて、それから唇の端に小さく笑みを浮かべた。
まだ運は尽きてない。
「怪我人なんだ。その荷馬車を貸してもらえるかい?」
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【Felicia's SIDE】
「誰かしら?」
誰かが大急ぎで城を目指してやってくる、と城の番人である白い鳥が居間の鳥かごの中で甲高く警告を発していた。
その声に不安をかきたてられたフェリシアは恐る恐る窓の外をのぞいた。だが、まだそれらしき影などどこにも見当たらない。
城の周りはさわやかな初夏の緑の香りに包まれている。
この城は、誰でも勝手に訪れることができるというものではない。城主であるマリオンが認めた者でなければ、城へ足を踏み入れることはおろか、城自体を視界に入れることすらかなわないこともある。
城主が不在の今は特に念入りに警備されているといってもいい。
城の周囲には番人代わりの鳥や動物たちがいて、見知らぬ者の侵入には警告を発してくれる。
今、城からもっとも遠い森の鳥たちから見知らぬ者の侵入を告げられたのだ。その森は本街道からだいぶはずれており、森の中を斜めに突っ切る道の果てにはマリオンの城しかない。
間違いなくその侵入者は、ここを目指している。
フェリシアは居間に置いてある自分の顔ほどの大きな水晶玉を覗き込んだ。
「やってくる人は誰? お願い、映してちょうだい」
水晶は森の道を疾駆する馬を映し出した。乗っているのは、騎士の格好をした若い男。急ぎの使者の印である黄色い布を巻いた短い槍を手に、必死の形相で馬を操っている。
森の辺りから少し空気が違っていることに彼は気がついているだろうか?
そこからがマリオンの広大な領地になっているのだ。
このまま、何もせずに彼を放っておけばぐるぐると同じところを走るばかりで、永遠に城へはたどり着けない。運がよければ、いい加減疲れたころに元の入り口にたどり着きすごすごと引き返すことになる。
記憶にない顔だがよくよく眺めてみると、彼の胸にサモンデュール侯爵の紋章が刺繍されているのが見て取れた。
「まさか、侯爵様の使者なの?」
フェリシアは片手で口を押さえた。マリオンに何かあったに違いない。そうでなければ、わざわざこんな遠いところまであのように急ぎの使者をよこすはずはない。
フェリシアは今まで明るく陽のさしていた部屋が急速に翳りを帯びて暗くなったように感じた。不安に胸の動機が早くなる。使者を迎え入れねばならないのに足が震え、力が入らなくなっていた。
「いいえ、いいえ。こんなことでどうするの? 彼に何かあったのなら、私にできることがあるはずよ。しっかりしなさい、フェリシア」
自分を叱咤するように大きな声を出すと、少し気持ちが落ち着いた。話を聞く前からこんなことでは先が思いやられる。
フェリシアは深く息を吸って、もう一度水晶を覗き込んだ。
「彼を城まで道案内してあげて」
水晶が瞬き、それに答えた。
フェリシアが覚悟を決めて一階の広間へ降りて行ったとき、若い騎士は立ったまま物珍しそうに、しかし無礼にならない程度に辺りを見回していた。
あまりごてごてとしていないすっきりと使いやすそうな作りは、彼の目には好ましく映ったのかもしれない。どことなくほっとしたような表情を浮かべている。
明るく柔らかな色合いでまとめられたそこは、時間があればゆっくりと休みたいような空間だった。
魔術師の城ということで、もっとおどろおどろしいところを想像していた彼は、ある意味期待を裏切られた気分だっただろう。
髑髏もなければ、血まみれの生首もない。トカゲの尻尾やなんの物だかわからないようなどろどろの臓腑の固まりも見あたらない。
あるのは、綺麗に咲き始めた薔薇が生けられた大きな花瓶がいくつかと乾いた清々しい空気。どこからともなくパンケーキを焼くような美味しそうな匂いもしている。
いかにも女性の好みそうな家庭的で優しい雰囲気だったが、これはフェリシアがやって来たことによってどことなく柔らかく暖かなものに変化したもののようだ。前はもう少し無機質で硬質な感じだった、と使用人たちが口をそろえて言う。フェリシアが特にいじりまわして変えさせたわけではないが、城は主であるマリオンの心のままに変化を遂げたものらしい。
そもそも、マリオンはごちゃごちゃと乱雑なものやあまりごてごて飾り立てられたような華美なものは好まない。すっきりとした白い壁と開放的な高い天井と光のよく通る窓、あまり物のない空間を好んでいる。明るい色合いを好み、身の回りもそのようなもので固めている。
「こんなに明るくて綺麗だとあまり魔術師のお城らしくないわ」
と、フェリシアがからかうと彼は肩をすくめた。
「自分がもう充分真っ黒だし」
耳を澄まさないと聞こえないほどの声でつぶやくマリオンの答えに、フェリシアはどきりとした。
それから、その答えを少し後悔したように彼は明るく笑って彼女を見た。
「掃除、面倒くさいでしょ? 片付かなきゃ全部まとめて魔法で捨てるんだ。そしたらいつもこんな感じにすっきりしてるよ。それに他の魔術師と一緒って嫌なんだよ」
そう、とフェリシアも笑って見せた。彼の最初のつぶやきには気がつかなかったかのように。
彼はもう充分いろいろなものを背負っているのだ、とフェリシアは傷ましく思う。
魔族の父と人間の母の間に生まれたばかりに背負ってしまったものは、彼にしかわからない。幼い頃からどんなにか辛い思いをいだいていたのだろう。小さなときから、歯を食いしばって生きていたのよ、と前に一度だけ会った彼の母は寂しそうに笑った。苛められても泣かない子だったの、とも。きっと、あの子を一番ひどい目にあわせたのは私だわ、と彼の母は締めくくった。母親の嘆きもフェリシアには痛ましい。どちらも深く相手のことを思っているのだ。
だが、それだけに彼は強くて優しい、とフェリシアは思う。彼がいなかったら、自分はこんなに幸せに暮らしていられない。フェリシアはきゅっと唇を噛んだ。その彼に、何があったというのだろう。いいえ、何があってもきっと大丈夫よ。
フェリシアが現れると、彼は一度大きく目を見開き彼女の顔をまじまじと見て、それから自分の無礼に気づいてあわてて膝をつき、丁寧に礼をした。
城と同じく、女主人だと言って現れた魔女も、それらしくないと思ったのだろう、とフェリシアは少しほほえましく思った。彼はまだ若く、表情が手に取るように読める。
彼の目に見えているのは、少し青ざめて硬い表情の大きな黒い瞳と黒髪の痩せた若い魔女。
今日はドレスも簡素な型の淡い空色で、胸につけているのは水晶と橄欖石を組み合わせた首飾りだった。一般で言われる黒い魔女には見えないだろう。そもそも彼女は、白の治療師なのだ。
「私が、フェリシアでございます。いったいあなた様は、どのような御用でお越しでしょうか?」
膝をついて顔を伏せたままの騎士に彼女が声をかけると、きゅっと背を震わせて彼は一度目を硬くつぶった。
「私はサモンデュール侯爵の使いで参りました、エドモンドと申します。フェリシア様、どうぞ落ち着いてお聞きください。こちらのご城主のマリオン様が」
淡々と語られる彼の言葉に、フェリシアは身体中の血の気が音を立てて引いていくのを感じ、一瞬めまいを覚えた。
だが、ここで自分が取り乱してしまっては、彼を救うこともできない。
フェリシアはきっ、と面をあげ、使者である騎士を見た。
「私、すぐに侯爵様のお城へ伺います。彼には、私の治療が必要だと思います」
エドモントと名乗った騎士は、ほっと安堵の息をついた。
「では、フェリシア様、一刻も争います。すぐにも御一緒にいらしてください。道中は私がお守りいたしますゆえ」
フェリシアは落ち着いた顔で静かに、そして強くうなずいた。
それが罠だとは気づきもせずに・・・・・・。




