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汚部屋女子が、片付けのプロのフリをして好きな人の部屋を片付けた話  作者: 鈴澤ゆき(めもすた)


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2/12

2.自分への呪いを解く、魔法の言葉

 小さなメモ帳の妖精(?)めもすたは、じっとこちらを見ていた。


 十センチほどの小さな体。頭頂部のリング金具が照明を受けて鈍く光っている。棒のような手足の先に、丸い手と丸い足。さっきまでただのメモ帳だったものが、今は春香のことをまっすぐに見ている。


 夢だ、と思った。


「……本当に、喋った?」

 恐る恐る聞くと、めもすたは静かにうなずいた。


『はい』

「幻覚じゃなくて?」

『違います』

「私、やっぱり疲れすぎてる?」

『それは、否定できません』


 春香は一瞬固まって、それから全身の力が抜けて、ベッドに倒れこむ。

「……なんなの、本当に」天井を見上げ、ため息交じりにつぶやく。

 普通こういうとき、もっと何かない?

 キラキラ光るとか、選ばれし者ですとか。

 なのに目の前のメモ帳は、ただそこにあった。


『驚くのは当然です』と、めもすたは言った。


 そう言ったっきり沈黙が続く。


 その静けさが、春香の何かを、少しだけほぐした。

 

 冷蔵庫の低いモーター音だけが続いている。

ローテーブルの上には書類の山、床に脱ぎっぱなしの服、回収日に出しそびれたゴミ袋。何も変わっていない。さっきと同じ部屋のはずなのに、なぜかひとりぼっちじゃない気がした。


「こころと暮らしの案内人、って言ったけど」春香がようやく口を開くと、めもすたが『はい』と答えた。

「一体何を案内してくれるっていうの?私が今困っているってのは分かるんでしょ?片付けを教えてくれるの?」

『教えるというより……一緒に考える、という方が近いです』

「どっちでもいいけど」春香は体を横にして、ようやくめもすたの方を見る。「私、本当にどうしたらいいかわからなくて」

『…今、どんな気持ちですか?』


 春香は答えようとして、言葉が出てこなかった。どんな気持ち。怖い、焦っている、情けない、助けてほしい——全部そうなのに、どれもしっくりこない。


「……最悪」

 結局それだけ言った。


『最悪、というのは』

「嘘ついた。気になってる人に。しかも二重に。片付けが得意って嘘と、副業でやりたいって嘘。どっちも全部でたらめで……私の部屋、見てよこれ。アドバイザーどころか、アドバイスされる側だから」


『何があって、その言葉が出たんでしょうね』


 なぜ、と聞かれなかった。責めるように理由を迫られたわけでもない。ただ、“何があって”と聞かれたことで、春香は少しだけ自分の内側を見た。


「……藤北さんに、近づきたかった」


 ぽつりと落ちた声は、自分でも驚くほど素直だった。


『はい』

「この人にも、片付けられない部分があるんだって思ったら、なんか……自分だけじゃないって、ちょっと安心して」

『…はい』

「それで、距離が縮まるかもって思っちゃって」

『はい』

「でも本当のこと言ったら、がっかりされる気がして」

 そこまで言ったところで、春香は顔を手で覆った。

「だから、片付け得意なんです、とか言った」

『はい』

「…副業にしたいとか」

『…はい』

「…モニターとか」

『…はい』

「もう、何言ってるのかわかんない」

『そうですね』


 あまりにもそのまま受け止められて、春香は少しだけ笑いそうになった。笑えない状況なのに、笑いそうになる。

こんなとき、春香はいつもは笑う。笑って煙に巻く。それが得意技だった。

 でも今夜は、なぜか笑えなかった。


「だらしないでしょ」と春香は言った。

「28にもなって、自分の部屋も片付けられなくって、嘘ついて、泣きそうになってる」

『だらしなくは、ないです』

 めもすたの声は、平らだった。責めてもいないし、慰めてもいない。ただ、事実として言っている声だった。

「? こんな部屋なのに?」

『部屋と、あなたの人格は別の話です』

 春香は少し、黙った。


『ずいぶんと、お疲れのようですね』

その声は、穏やかで、静かだった。


 春香は大きく息を吐き出す。

「……疲れてるよ。疲れてるに決まってるじゃない」

天井を見ながら、春香はぽつりぽつりとこぼし始めた。


「外ではずっと、気の利くいい子を演じてるの。仕事だって、誰かの機嫌を損ねないように必死で」


春香の視界の端に、ローテーブルの上の「書類の山」が映る。

 ポストから持ち帰って、無意識に重ねてしまったチラシや封筒。あれを見るだけで、またこめかみの奥がズキズキと痛み始める。


「あれだってそう。帰ってすぐ開ければいいのに、”とりあえず置く”ってしちゃう。面倒くさがりで、意志が弱くて、だらしないから。……昔から、ずっとそう」

自嘲気味に笑った春香に、めもすたは静かに身体を横に振った。


『春香さん。その山ができたのは、あなたがだらしないからではありませんよ』


「はぁ?」

『あなたは今日一日、何回の”判断”をしてきましたか?』

めもすたの唐突な問いに、春香は目を瞬かせた。

「判断? ええと……」

『朝、何を着るか。どうメイクをするか。会社に着いて、どのメールから返信するか。その文面はどうするか。誰に、どのタイミングで話しかけるか。飲み会で、誰のグラスが空いているか。……あなたは今日、数え切れないほどの判断をしてきたはずです』


めもすたの言葉を聞きながら、春香は自分の今日一日を振り返った。


 そうだ。ずっと、頭をフル回転させていた。どうすれば正解か、どうすれば嫌われないか、どうすれば「役に立つ春香」でいられるか。


『判断には、エネルギーが必要なんです。使えば使うほど消耗します。朝から晩まで判断し続けた春香さんのエネルギーは、夜にはほとんど残っていません』

「…スマホのバッテリーみたいだね…」


『はい、その通りです。もう残量がないのにテーブルの上の紙一枚一枚は、「捨てる?」「取っておく?」「いつまで?」などの判断を要求してきます。エネルギー切れの脳は、これ以上エネルギーを使わないために一番コストのかからない「保留」を自動的に選びます。とりあえずそこに置く……それは意志の弱さではなく、脳が今のあなたを守ろうとした、省エネ行動なんですよ』


省エネ行動。


 その言葉が、春香の胸の奥にすとんと落ちた。

 私がだらしないからじゃない。意志が弱いからじゃない。ただ、今日一日、一生懸命に生きて、疲れ切っていたから……?


「でも……」

春香の喉の奥から、かすれた声が漏れた。


「でも、私、このだらしなさのせいで……二年前、大事なものを失くしてるの」

胸の奥にしまい込んでいた、苦い記憶の蓋が開く。


 二年前に付き合っていた、優しい彼。休日は一緒にカフェに行き、他愛のない話で笑い合える、温かい人だった。

 けれど、春香は半年以上付き合っても、決して彼をこの部屋に入れなかった。外での「完璧な春香」しか知らない彼に、この惨状を見せたら、絶対に幻滅される。がっかりされる。それが怖くて、はぐらかし続けた。


最後の日、彼は怒るでもなく、ただ悲しそうに笑って言ったのだ。

『春香って、たぶん俺のこと、信用してないんだよね』――と。


「私のせいなの。私が、自分の本当の姿を見せるのが怖くて、部屋を片付けられなくて……結局、彼を傷つけて、終わらせちゃった。私はそういう、欠陥品なのよ」

春香はぎゅっと目を閉じた。


 なぜ片付けなかったの? と責められるのが怖かった。お前が悪いのだと、突き放される準備をしていた。

しかし、めもすたから返ってきたのは、追及の言葉ではなかった。


『……その経験の後、春香さんのお部屋に対する気持ちは、何か変わりましたか?』

「……え?」

『片付けられないご自身を責め続けて、このお部屋にいる時間は、心地よいものになりましたか?』

 何を感じたのかを問う、静かで優しい声。

 春香は目を開けた。


「……なるわけ、ないじゃない」

声が震えた。


 自分の部屋なのに、ずっと息苦しかった。

 積み上がった服も、書類の山も、全部が「お前はダメな人間だ」と責め立ててくる証拠品みたいで。帰ってくるたびに、自分のことが嫌いになっていった。


『もう、十分ではありませんか』


めもすたが、ふわりと宙を浮き、春香の顔のそばにそっと着地した。

かすかな温もりのようなものを感じる。


『毎日外で気を使って、くたくたになるまで頑張って。その上、家に帰ってからもご自身を責め続けるのは、あまりにも悲しいです』

「だって……っ、そうしないと、私……」

『あなたはただ、疲れ果てていたんです。だから、まずはご自身に「今日もお疲れさま。よく頑張ったね」と言ってあげてください』


その瞬間、春香の胸の奥で、張り詰めていた冷たい氷のようなものが、音を立てて崩れ落ちた。

「あ……」

 目頭が熱くなり、視界がぐにゃりと歪む。


泣くときは、お風呂の中か、布団に潜り込んで声を殺すのが春香のルールだった。人前で涙を見せることなんて、大人になってからは一度もなかった。

 けれど今、春香の目から大粒の涙が、堰を切ったようにボロボロとこぼれ落ちていた。

「うぅ……っ、ひっ……」

眼を覆った手が濡れていく。

 めもすたは何も言わず、ただ春香のそばで、静かに寄り添っていた。


 誰かに「ダメなやつだ」とがっかりされるのが怖くて、ずっと笑顔でごまかしてきた。自分自身には「だらしない」とレッテルを貼って、心を麻痺させてきた。


 でも、本当は。本当は、ただ……いっぱいいっぱいだったのだ。


どれくらい泣いただろうか。

 鼻をすすり、手の甲で乱暴に涙を拭った春香は、小さく息を吐き出した。泣きすぎて頭は痛いが、胸の奥につかえていた重たい泥のようなものが、少しだけ流れ出た気がした。


「……なんか、変なキャラクターに泣かされちゃった」

春香が照れ隠しに笑うと、めもすたの口が柔らかく弧を描いた。


『少し、息がしやすくなりましたか?』

「うん。……でも、現実は変わらないよ。あの書類の山もあるし、藤北さんにも嘘ついちゃったし」

『今はあの山には触らなくていいです。でも、一つだけ、春香さんにお願いがあります』

「お願い?」

『今日から、ご自身に「だらしない」という言葉をかけるのをやめてください』

めもすたは、まっすぐに春香を見て言った。


『言葉は、自分への注文です。わたしはだらしない人間だ、と言い続ければ、脳はその通りの自分を作ろうとしてしまいます。山ができたのはだらしないからではなく、ただの省エネ行動。だから、自分を責める言葉を、もう口にしないでください。代わりに、《私はラッキーな人間だ!》って言うんです』

「……それだけ?」

『はい。まずは、そこからです』

めもすたの言葉は、静かな波のように春香の心に染み込んでいった。


 自分を、責めない。

 《私はラッキーな人間だ!》って言う


「……わかった。やってみる」

春香が小さく頷くと、めもすたは満足そうに目を細め、そのままふわりとローテーブルの上に戻っていった。



ジリリリリリ!

けたたましいアラーム音で、春香は目を覚ました。

 カーテンの隙間から、朝の白い光が差し込んでいる。

「んん……」

重い体を起こし、ベッドに座る。


 視界に飛び込んできたのは、昨日と何一つ変わらない部屋の風景だった。

 床にある服の山脈。ローテーブルの上の地層のような書類。昨日持ち帰ったチラシや封筒も、無造作に積みあがっている。

 そして、一番上には何の変哲もない普通の「メモ帳」がポツンと乗っていた。目も口もない。手足もない。ただの文房具だ。


――やっぱり、全部夢だったんだ。


春香は小さくため息をつき、いつものように自嘲の言葉を吐き出そうとした。

「あーあ、相変わらず散らかってる。本当に私ってだらしな――」

そこまで言いかけて、春香はハッとして口を噤んだ。


喉元まで出かかった『だらしない』という言葉を、飲み込む。


『言葉は、自分への注文です』

夢の中で聞いたはずの、あの静かで優しい声が、耳の奥に確かに残っていた。


 春香はゆっくりと息を吸い込み、もう一度、部屋を見渡した。

 散らかっている。でも、昨日まで感じていた「自分を殴りつけたくなるような自己嫌悪」が、少し薄らいでいた。


「……よし。………私はラッキーな人間だ!」

 言うのにちょっとためらったけど、なんとか言えた。

 言ってみたら重たい足枷がひとつ外れたような、不思議な軽さがあった。


春香は立ち上がり、洗面台へと向かった。

 まずは今日の仕事を乗り切ろう。帰ってきたら、あのメモ帳がまた動くか確かめなくちゃいけない。


そして何より――。


「藤北さんのモニターの件……どうにかして、ごまかす方法を考えなきゃ!」

 洗面台の鏡の前で、春香の独り言が響いた。

 タイムリミットは、刻一刻と迫っているのだ。

最後までお読みいただきありがとうございます。

自分を責めるのをやめた春香。いよいよ次回、めもすたから「最初の片付けの魔法」を教わります。

続きが気になる方は、ぜひブックマークと下部の【☆☆☆☆☆】から評価をお願いいたします! 執筆の大きな力になります!1日1話、毎日更新予定です♪

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