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汚部屋女子が、片付けのプロのフリをして好きな人の部屋を片付けた話  作者: 鈴澤ゆき(めもすた)


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1.汚部屋女子、片付けのプロを名乗る

初投稿です。「片付けノウハウ×片付けられない心理×恋愛」現代小説です。よろしくお願いします。

 ガチャリ、と重い鉄の扉が閉まる。


 その無機質な金属音を合図に、緑野春香みどりのはるかの顔から「明るくて気の利く営業アシスタント」の仮面が音を立てて剥がれ落ちた。


「……あー、疲れたぁ……」


 暗い玄関に、自分の掠れた声が吸い込まれる。

 部屋の電気をつける。

 パンプスを乱暴に脱ぎ捨てると、窮屈な締め付けから解放された足先がひんやりとしたフローリングに触れた。同時に、ムワッとした埃とわずかな生活臭が混ざった停滞した空気が鼻を突く。

 

 肩に食い込むバッグを床にドサリと置き、ジャケットを脱ぎながら部屋の奥へ。ハンガーにかける気力すらない。脱いだジャケットは、すでに先客の服たちが積み重なっているソファの背もたれへとバサリと投げられた。


 手に持っていた郵便受けに入っていた物をローテーブルの上に放る。

 ピザのチラシ、いつ届いたかわからない圧着ハガキ、光熱費の明細、スポーツクラブの案内…そこには、すでに書類の山ができていた。


 床に散らばる物の山を越えた先のベッドに腰かけ、春香は両手で顔を覆った。指の隙間から漏れるのは、深い後悔の念だ。


——どうして私、あんな嘘をついちゃったんだろう。


数時間前の出来事が、鮮明に脳裏に蘇る。

***

 今夜は、クライアントである『ヴェクトル』との大きなプロジェクトがひと段落した打ち上げだった。春香はいつも通り「楽しそうな女の子」を纏って参加した。誰かのグラスが空けばビールを注いで、座が静まりかけたら話題を振って。ムードメーカーを好きでやっているのか義務でやっているのか、もう自分でもよくわからない。


 春香はテーブルの端に置いた紙ナプキンを指先でいじりながら、さりげなく周囲を見た。仕事終わりの飲み会らしい、ゆるんだ顔が並んでいる。ネクタイを少し緩めた人、頬を赤くしている人、声がいつもより大きくなっている人。


 その中でひとりだけ、藤北律ふじきたりつは相変わらず静かだった。


 ヴェクトルのプロジェクトリーダー、歳は31歳。

 半年前からこの案件で顔を合わせるようになって、社内では密かに人気がある人だ。若いのに仕事ができて、判断が早くて、落ち着いていて、しかもちゃんと人の話を聞く。今日もスーツの襟元はきれいで、座っている姿勢まで妙に整って見える。


 なのに、不思議と近寄りがたいだけではない。笑わないわけじゃない。むしろ、たまに口元がやわらぐと、その一瞬だけ隙が見える気がして、余計に目で追ってしまう。


 ――あ、見すぎ。見すぎだって。


 春香は慌てて視線をグラスに落とした。

 氷がひとつ、からんと鳴る。


 宴も中盤に差し掛かった頃、席替えの流れで律が春香の隣に座った。

 焼き鳥のたれの甘い匂いが立ち上り、向かいの席では誰かが声を上げて笑っている。グラスがぶつかる音、揚げ物がジュウと鳴る音、いくつもの声が重なり合う居酒屋の喧騒の中で、律だけが静かだった。


「緑野さんは、週末は何をしているんですか」

 不意に、律が聞いた。大きくもなく、小さくもない声。隣に届けるための、ちょうどいい声量だった。

 春香は少し驚いた。律から話しかけてくることは、あまりなかったからだ。

「私ですか? えっと……友達とご飯行ったり、映画見たりですね」

「そうなんですか」

「藤北さんは?」

 律がグラスを少し持ち上げて、中の氷をカランと鳴らした。

「……最近は、あまり家にいたくなくて、カフェで仕事をすることが多いんですが」

「え、休日もですか?」

「仕事というより、その方が落ち着くというか」


 春香は少し首をかしげた。「家だと、落ち着かないんですか?」

 律が少し間を置いた。

「散らかっていて」

 さらりと言った。それだけ言って、またグラスを口に運んだ。

「散らかっている、って……もしかして、かなりですか?」

「かなり、です」

 春香の脳裏には、ハテナしか浮かばない。シワひとつないスーツ、キッチリした資料、プレゼンの時に一度も言葉に詰まったところを見たことがない、あの律が。

「仕事のことは整理できるんですが」と律は続けた。「なぜか家のことになると、どこから手をつければいいかわからなくて。そのままにしていたら、手のつけようがなくなってしまって」


「……いつ頃からですか?」

「一人暮らしを始めた頃から、段々と。最初はそうでもなかったんですが」

 律が窓の外を、少しだけ見た。居酒屋の窓ガラスに、夜の街が映っている。

「帰っても、どこに座ればいいかわからないような部屋なんです。ソファがあるはずなのに、ソファに座れなくて」

 その言葉が、春香の胸に刺さった。

 疲れて帰っても、ソファにすら座れない。自分の部屋なのに、落ち着けない場所になってしまっている。

 春香は、自分のテーブルの上のビールグラスを見た。


 完璧に見える彼の奥に、こんな顔が隠れていたのか。

 たぶん、似ている。自分の部屋の惨状を思い起こしながら、ふと思う。

 いや、そんなふうに思うのは失礼かもしれないけれど、それでも一瞬、距離が近づいた気がした。

 少しだけ見えた彼の脆さに触れたくて、そして「本当は自分も同じだ」と知られて嫌われるのが怖くて。


気づけば、春香の口は勝手に動いていた。


「私、片付けが得意なんです!」


自分でも信じられないほど、明るく自信に満ちた声だった。律が目を丸くしてこちらを見る。もう、止まれない。


「実は今、片付けを副業にしたいなーって思ってて。いきなりお金もらうのは怖いので……モニターさん、探してるんです」


 何を言っているんだ。自分の口が、自分の意志と関係なく動き続ける。

「あのぅ、1回だけでも!藤北さんがよろしかったら……モニター協力、お願いできませんか?」


 「モニター……」

 藤北さんは、その単語を口の中で転がすみたいに繰り返した。

 それから、静かに迷うような間があって。


「……それなら、お願いしようかな」そう言った。


「ありがとうございます!モニターさん見つからなくて困っていたんで助かります!」と答えている自分の声を、春香は遠くから聞いていた。


 そこから先の会話を、春香はあまり覚えていない。誰かが頼んだポテトが届いて、営業の一人が酔った勢いで変なモノマネをして、朱里先輩が容赦なく突っ込んで、場は何度か笑いに包まれた。春香もきっとそれなりに笑っていたと思う。いつも通り、感じよく、楽しそうに。


 でも頭の中では、さっきの一言がずっと反響していた。


 私、片付け得意なんです。 私、片付け得意なんです。 私――


 帰り道、夜風は少し冷たかった。 駅からマンションまでの道には、コンビニの白い明かりと、街路樹の影がまだらに落ちている。パンプスの底がアスファルトを叩く音だけが、やけに乾いて響いた。


 スマホが震える。

 律からだった。


『今日はありがとうございました。話せてよかったです。日程について、近いうちに相談させてください』


 短い文面。丁寧で、余計なものがない。 そのぶん、本気なのが伝わる。


 春香は立ち止まった。 街灯の下で、スマホの白い画面が顔を青く照らす。


「……どうしよう」


 誰に言うでもなく呟いた声は、夜気の中ですぐ薄れた。


 部屋に着き、玄関の鍵を開けるーーーー


***

 バカバカバカ、私の大バカ!


 春香はベッドの上でゴロゴロと転がりながら、悶絶した。

 片付けが得意?副業? どの口が言ったのか。

 本当は、テーブルの一角すら片付けられず、休日はベッドから一歩も動かない生粋の汚部屋住人のくせに!


「……本当に助けが必要なのは、藤北さんより私の方だよ……」


 何かしなきゃ、と思う。

 でも何から。

 テーブル? シンク? 床? 服? 段ボール?


 考えた瞬間に、頭の中にいくつもハテナが浮かび、頭が重くなる。

 ズキズキと、こめかみの奥が痛む。


「もうやだ……」 ぽつりと落ちた声は、ほとんど泣き声だった。


 そのときだった。


 視界の片隅で何かが動いた気がした。

 ローテーブルからだった。まさか黒いヤツではないだろう…


 春香はこわごわ、そちらを見る。


 動いたのは、メモ帳だった。表紙に星のマークがついたメモ帳。どこにでもありそうな小さなやつ。ずっと前にバッグの中から出したきり、そこに置いたままのもの。


 風もないのに、ぱら、と表紙がめくれる。


「……え」


 目をこする。 見間違いかと思った。

 けれど、今度ははっきり見えた。


 メモ帳に、目と口が浮かび上がる。ちいさな眉まである。棒みたいな手足が、ぴこんと生えた。


 身長十センチくらいの、その奇妙な存在は、テーブルの上でちょこんと立ち上がった。頭頂部のリングが照明を受けて小さく光る。


 はるかは完全に固まった。悲鳴を上げるタイミングすらわからない。


 メモ帳は――いや、その小さな存在は、部屋を見回してから、ベットに座るはるかを見た。



『初めまして、春香さん。わたしは、こころと暮らしの案内人、めもすたです』


 ちょこん、とそのメモ帳——めもすたは、器用に頭を下げた。


 春香はポカンと口を開けたまま、瞬きを繰り返した。


「幻覚……私、酔ってるのかな。それとも疲れすぎてるのかな……」


『幻覚ではありませんよ。あなたが、ご自身の心と部屋の本当の姿に気づきそうになっていたから、わたしはここに来たんです』


「……なに、それ」 かろうじて出た声は、ひどく弱かった。


 泣きたいのか、笑いたいのか、驚きたいのか自分でもわからないまま、春香はしゃくり上げそうになる息を飲み込んだ。


 散らかった部屋で。紙の山と洗っていない皿と脱ぎっぱなしの服に囲まれて。

 その夜、春香は不思議な案内人と出会った。


 この出会いが、自分の部屋だけじゃなく、心の奥にしまいこんでいたものまで少しずつ動かしていくことを、彼女は知らない。

最後までお読みいただきありがとうございます!

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