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汚部屋女子が、片付けのプロのフリをして好きな人の部屋を片付けた話  作者: 鈴澤ゆき(めもすた)


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14/17

14.自分を褒める魔法と、彼を縛る呪い

 土曜日の午後。春香は、律の部屋に向かうエレベーターの中にいた。

 今日の服装は、先日会社にも着ていった薄いグレーのリネンシャツに動きやすい黒のパンツだ。無理をして明るく見せるための服ではなく、律の部屋の片付けをするための服を選んだ。

 不思議と、以前まで感じていた「プロを演じなきゃ」という気負いはなく、足取りは驚くほど軽かった。


 *


 チャイムを鳴らすと、2週間ぶりの律がドアを開けた。

「いらっしゃい、緑野さん。……あれ、今日はなんだか雰囲気が違いますね」

「あ、わかりますか?」

「なんというか…いつもより落ち着いた感じで、いいですね」

 少しだけ目を細めて微笑む彼に、春香は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら部屋に入った。


 リビングに入ってまず目を向けたのは、ダイニングテーブルだ。

「テーブル、きれいですね」

 思わず声が弾む。この間二人で山を消滅させたテーブルの上には、今日も何一つ置かれていなかった。

「ええ。毎日、今日の分を処理するようにしています。もう習慣になっていますよ。あと、部屋のあちらこちらにあった書類もほぼ処理しました」

 藤北さんが嬉しそうに語りながら、本棚を見やる。

 春香もそちらに視線を送ると、本棚の一角に真新しい縦置きファイルBOXが並んでいるのに気がついた。

「しばらく保管と重要書類はあそこに並べているんです」

 アドバイスを素直に実践し、自ら進んで環境を整えようとする律の真面目さに、春香は深く感心した。


「素晴らしいです、藤北さん! 毎日テーブルを綺麗に保てているのも、ご自身でファイルを買い足して整理を進められたのも、本当にすごいことですよ」

春香が両手を叩いて心から称賛すると、律は少し照れくさそうに視線を逸らし、首を横に振った。

「いえ、こんなこと……当然のことです。今までが酷すぎただけですから、褒められるようなことじゃありません」

「だめです、藤北さん。そういう時は、『自分、よくやった』って、ちゃんと自分自身を褒めてあげてください」

「えっ? 自分で自分を、ですか?」律が驚いたように目を瞬かせる。

「はい。お片付けって、どうしても『まだここが散らかっている』『全然終わらない』って、できていない部分ばかりに目がいって、自分を責めてしまいがちなんです。だからこそ『できたこと』をしっかり自分で認めて、褒めてあげることがすごく大切なんですよ」 

 それは、以前春香が教わったことだった。そして、これまでひとつずつ”できた”を重ねていったからこそ心から伝えられる言葉だった。

「さあ、声に出して言ってみましょう。『テーブルを綺麗に保てている自分、えらい!』」

「えっ、あ、ええと……」戸惑う律に、春香は笑顔で促す。

「『テーブルを綺麗に保てている自分……えらい』、ですか」

 律は少し頬を赤くしながら、小さな声で復唱した。

「そうです! 『部屋にあった書類を整理できた自分、すごい!』」

「……『部屋にあった書類を整理できた自分、すごい』」

 言い終えた律は、何とも言えないくすぐったそうな表情をした後、ふっと目元を和らげた。

「なんだか、とても不思議な気分ですが……悪くないものですね」

「でしょう? 自身の頑張りをちゃんと認めてあげることが、リバウンドしないための秘訣でもあるんですよ。これからもその調子で、どんどん自分を褒めていきましょうね」

 春香がにっこりと笑いかけると、律も小さく頷き返した。


 *


「では、今日は次のステップに進みましょうか」

 見渡せば、律の部屋には、私が時間をかけて整理した小物や服などは、あまりない。彼の生活空間を圧迫しているのは、本棚と床に積んである膨大な本だ。ビジネス書が重なり合い積まれている。それらは書類が片付いた分、ずっしりとした存在感を放っていた。


(この本たちを片付けないと前に進めない感じだ…)

 本を春香は整理したことがないため、不安だが、小物や服と同じようにしていけばいいと、なんとなく分かる。困ったときは助けてね、と心の中で冷や汗を流しながら、バックの中のめもすたの入っているであろう部分を外側からこっそり撫で

「今日は、本にしましょう」と言った。


「本、ですか…」

 少し戸惑いを含んだ視線でこちらを見る律がいる。

 (服を片付けると言われた時の自分と似ている…)

「大丈夫です!書類が整理できた藤北さんなら出来ます!」

 春香はそう断言して、不安を感じさせないようにっこり笑った。

      

 まずは本を一箇所に集める作業から始める。

 積み上がった本を崩していくと、そのほとんどが分厚いビジネス書、自己啓発本、資格の勉強本、そして経済雑誌であることがわかった。

「すごい量ですね。これを『捨てる』『大切な本』『しばらく保管』で仕分けていきましょう。ただし、中身を読むのは禁止です。表紙を見て、直感で決めてください」

「わかりました」

 律は本を手に取り始めた。明らかな古い雑誌などはスッと『捨てる』へと仕分けられていく。しかし、ビジネス書や自己啓発本になると、ペースが落ちる。


「これは……話題のビジネス書だから、読んでおかないと」

「こっちは、いつか時間ができたら読むつもりで……」

「これも、今後の仕事に役立つはずだから……」

 そう言って、手に取った本を『大切な本』へとどんどん積んでいく。

『春香さん。彼に伝えてあげてください』

 トートバッグの中から、春香にしか聞こえないめもすたの声が聞こえた。

『「いつか読む」の「いつか」は、永遠に来ません、と』

(いつかは、永遠に来ない……これ、前に聞いたっけ)

『はい。本は、買った時が一番「読みたい」という情熱のピークなんです。それを逃して積まれたままになっている本は、今後も読む確率は極めて低いです。未読の本は、「今のあなたにはこの本を読むタイミングではなかった」と教えてくれたことで、すでに役割を終えているんですよ』

 めもすたの言葉を心の中で反芻し、春香はこくりと頷いた。


 そして、大切な本を山にしつつある藤北さんを真っ直ぐに見つめる。

「藤北さん。『いつか読む』の『いつか』は、永遠に来ませんよ」

「……え?」

「本は、買った時が一番『読みたい』っていう時なんです。その時に読まなかった本は、『今の藤北さんには読むタイミングじゃなかった』って教えてくれたことで、すでに役割を終えているんです」

 春香の言葉に、律は痛いところを突かれたように顔をしかめた。

「でも……知識は常に入れておかないと。周囲からの期待もありますし、立ち止まるわけにはいかないんです」

 焦ったようなその声を聞いた瞬間。春香の脳裏に、黄色のカーディガンやピンクのフリルブラウスにしがみついていた、数日前の自分の姿が重なった。そして、引き出しの奥で眠らせていたブランドのハンカチのことも頭をよぎる。


(あぁ、やっぱり藤北さんも……私と同じだ)


 みんなから好かれる「ムードメーカー」でいなきゃと、無理をして明るい服を買い込んでいた私。いつか来る日のためにと、ハンカチをしまい込んでいた私。

 仕事ができる人物でいなきゃと、本を買い込んでいる藤北さん。いつか時間ができたら読むと、本を積み上げている藤北さん。


対象が服や小物か、それとも本かの違いだけで、根本は同じなのだ。


 春香は、借り物のアドバイザーとしてではなく、一人の人間として彼に真っ直ぐに向き直った。

「藤北さん。この本たち、藤北さんが『読みたい』本ですか? それとも『読まなきゃいけない』と思っている本ですか?」

「それは……」

「これらは”もっと人から求められる存在でいなくては”と、自分を追い詰めるための本じゃないですか?」

春香の言葉に、律はハッとして目を見開いた。

「会社で完璧に仕事をこなして、ヘトヘトになって帰ってきて。それなのに、部屋にあるこの本の山を見るたびに、本から『もっと頑張れ、まだ休むな』って責められているみたいで……苦しくないですか?」


 律は、床に積まれたビジネス書の山を見下ろした。

 『一流の条件』『時間を支配する』『限界を突破しろ』——表紙に並ぶ力強い言葉たちが、刃のように彼を囲んでいる。

「……息が、詰まると思っていました」

 ぽつりと、彼が本音をこぼした。

「部屋に帰ってきても、ずっと誰かに監視されているような気がして。でも、それは他でもない、俺自身が本という形で自分を追い詰めていたのですね…」


 春香は静かに頷き、自分の着ているリネンシャツにそっと触れた。

「本も『自分がどうありたいか』で選んでいいんです。学びたいというのが、藤北さんの心からの願いだったらいいんです。

……ただ…他人からよく思われたいという気持ちや自分を装うためのものならば、手放してもいいんじゃないでしょうか」

「そして、藤北さんが、この部屋でどう過ごしたいかを考えてみてください」


春香が微笑みかけると、律の表情がふっと和らぐ。

「…………この部屋では、ゆっくり息がしたいです」

 囁くような声量で律がつぶやいた。


 *


 そこからの律は、早かった。

「読まなければいけない」という不安や他人からの評価の呪縛から解き放たれた彼は、迷うことなく本を仕分けていった。

 次々にビジネス書が手放されていく。


 そんなスピードを持ってしても総量が多いため、気がつけば3時間ほどが経過していた。

 窓の外を見ると、いつの間にかすっかり日が落ちて、街の明かりが点き始めている。

(うわ、もうこんな時間!? いくらなんでも長居しすぎちゃった……)

 春香はハッとして、慌てて立ち上がった。

「藤北さん、今日はここまでにしましょう。大分片付きましたし、すっかり遅くなってしまったので、私はそろそろ帰りますね」

そう言ってトートバッグを手に取ろうとすると、律が仕分けの手を止めて顔を上げた。


「えっ、もう帰られてしまうんですか?」

「はい。休日の貴重なお時間を、これ以上お邪魔するわけにはいきませんから」

(それに、夜まで男性のお宅にいるのは、さすがにまずい気がするし……)

 春香がそそくさと帰る準備を整えていると、律は片付いて少し広くなった床面を見渡し、深く、とても深く息を吐き出した。

「……なんだか、背中がすごく軽くなりました」

 ぽつりと漏れたその声には、今まで聞いたことのないような安堵感が滲んでいた。


「本を手放しただけなのに。ずっと背負っていた重たい荷物を、ようやく下ろせた気がします」

 そう言ってこちらを向いた律の顔には、今まで見たこともないような、憑き物が落ちたように穏やかで、優しげな笑顔が浮かんでいた。

 その無防備な笑顔を見た瞬間、春香は自分の心臓が「ドキン」と大きな音を立てて跳ねるのを感じた。

「緑野さん。今日は本当に、ありがとうございました」

 律は立ち上がると、まっすぐな瞳で春香を見つめた。

「もしよろしければ……この後、お礼に夕食をご馳走させていただけませんか?」

「えっ?」

 思いがけないお誘いに、春香はドクドクと鳴る心臓を抱えたまま、目を丸くして立ち尽くした。

第14話、お読みいただきありがとうございます!

「他人からどう見られるか」ではなく「自分がどうありたいか」。

服の整理でそれを学んだ春香だからこそ、律の心に寄り添い、重たい荷物を下ろす手伝いができたのだと思います。


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