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10:スライムの魔獣さんと一緒に③

 この街についてそれほど詳しいわけではないが、僕は彼女のガイド役として立派に立ち振る舞っていた。何しろ、人間と魔獣では、人間社会の常識そのものが住む世界ほどに違うのだから。


「見て、あれ」

「おい、やめなよ」  


 一組のカップルが僕と魔獣スライムの方を見て、クスクスと笑っていた。理由は、不審者のようにメイクされた魔獣スライムの顔だ。


「……」  


 魔獣スライムから不機嫌なオーラが漂ってくる。


「す、すみません」


「別に怒ってなどいないぞ」  


 ……そうは見えないけれど。  


 まあいい。  


 その後、彼女の機嫌は、噴水や公園、市場、小さなカフェ、あるいは行ける限りの高級レストランへ連れて行くことで癒やされていった。全メニューを制覇せんばかりの勢いで。僕の財布はかなり軽くなったが、彼女の幸せそうな姿を見て、恩返しができたという充足感があった。


「ところで、魔獣にも味覚があるんですね」


「……愚者ベラミは知らないかもしれないが、魔獣だって食事は摂るのだ」


「それはまた、世界が変わるほどの新知識ですね」  


 魔獣スライムは不思議そうに首をかしげると、大きな肉の塊を口に運んだ。  

 時間はあっという間に過ぎ、太陽が沈み始めた。  


 ベンチに座るスライムの魔獣さんのもとへ、僕は両手に持った二つのアイスクリームコーンを運んだ。彼女には、僕が一番美味しいと思っているストロベリー味を差し出した。彼女は他の人間と会話ができないため、何かをしたい時や欲しい時は、すべて僕を通さなければならない。


「どうぞ」


「ありがとう」  


 彼女はそれを受け取ると、じっと見つめていたが、やがてゆっくりと舌を出して舐めた。


「……不思議な感じだ。何と言えばいいのだろう」


「良い感じですか、それとも悪い感じ?」


「たぶん、良い感じ」


「それを『美味しい』と言うんですよ」  


 僕は隣に座って足を組み、上品にアイスを嗜んだ。


「子供はみんなアイスが大好きです。もちろん僕も含めて。身体に良い影響を与えるわけではありませんが、一言で言えば『最高に無益で美味しいもの』ですね。でも、とびきり美味しいのは否定できません」


「美味しい……。人間には美味しいものがたくさんあるのだな。食べ物が並んでいる場所には、美味しいものが溢れている」  


 さっき連れて行ったレストランのことだろう。


「どうですか? 人間らしい生活を味わってみた感想は」


「説明が難しいな」


「悪くはなかったでしょう? ずっとニヤニヤしていましたから」


「うむ。おそらくポジティブな感情だと思う」  


 舌でアイスを転がしているうちに、アイスが溶け始めた。魔獣スライムはコーンごと口に放り込み、一気に飲み込んだ。その直後、彼女の身体がビクッと震え、両手で頭を抱え込んだ。


「この不思議な感覚――嫌い」


「ふふっ、キーンときたんです。すぐに治まりますよ」


「ううう……嫌いだ、この感覚」


「それは、この『輝ける星』ことベラミのインタビューによれば、十二歳以下の子供が嫌いな感覚トップ十に入っていますからね」  


 スライムの魔獣さんは数秒間頭を押さえていたが、痛みが引くと、涙目の端で僕を見上げた。


「ひどい苦しみだった」


「……やれやれ」  


 僕はティッシュを差し出した。彼女はそれを受け取り、涙を拭った。  


 それからしばらくして、落ち着きを取り戻した彼女は、多くの命がそれぞれの営みを送る街並みを眺めた。


「我たちはこれまで、常に旅を続けなければならなかった。人間に居場所を悟られないよう、毎年住処を変えてきた。なのに、人間はずっと同じ場所にいられるのだな。生まれてから死ぬまで、ずっと。居場所のない私たちとは正反対だ」

 

 スライムの魔獣さんは、どこか憤りを含んだ顔で言った。


「人間とは、憎たらしい存在だな」


「気に入らないですか?」


「言葉で説明するのは難しい感情だ。……心の一方では『良いな』と思うのに、もう一方では激しく憎んでしまう。壊してしまいたいわけではないのだが。……愚者ベラミ、この感情が何なのか分かるか?」


「分かりませんよ―と言いたいところですが」  


 僕は目を細めた。すると、あの男の顔が再び浮かんだ。……毎日、あの顔が脳裏に現れる。その背後には様々な感情が渦巻いているが、その中に確実に存在するものが一つある。それは――


「『嫉妬』ですよ」


「嫉妬?」


「どうして自分じゃないんだ、目障りだ……というような感情のことです」


「ひどく忌まわしい感情なのだな」


「仕方がありませんよ。それは自然なことです……弱者にとってはね」  


 嫉妬とは、つい最近まで僕が一度も味わったことのない感情だった。  


 それはあまりにも不快な感覚で、この感情を日々受け流しながら生きている弱者たちに、ある種の敬意を抱くほどだ。……僕は自分の胸に手を当てた。今もなお、惨めな悲鳴を上げているこの場所に。


「スライムの魔獣さんも、彼らのように街を歩き回りたいと思ったんでしょう? でも自分にはできない。だから気分が沈み、壊してしまいたいと思う。でも本心では壊したいわけじゃない。正しく言えば、それを奪い取りたいんですよ」


「……おそらく、その通りなのだろう」


「なら、それは嫉妬ですね。ふふっ、おめでとうございます。この世のゴミのような生物として、また一歩近づきましたよ」


「愚者ベラ三のようにか?」


 ……手厳しいですね。ですが、


「その通りです」


「愚者ベラミは、自分を責めるのが好きなのだな」


「事実ですから。もし事実がそう感じさせるなら、責められて当然だということです」


「……本当に悲しい考え方をするのだな」  


 スライムの魔獣さんは僕の考えを批評すると、空を仰いだ。


「ベラミは、前の『愚者』とは正反対だな」


 ……え?」


「その者は、たとえ世界が自分を責めても、自分は悪くないと信じ続けていた。世界からできる限りの幸せを貪り尽くそうとしていた」


「それは完全に愚者ですね」


「うむ。だが……そうか。その者の笑顔を見ていた時も、別の感情を抱いていたのを思い出した。今の、街の人々が幸せそうに歩いているのを見た時と同じ感覚だ」  


 スライムの魔獣さんは僕に向かって微笑んだ。


「やはり、嫉妬だったのだな。――ありがとう、愚者ベラミ。学ばせてもらった」  


 なんだそれ。こんなことで幸せそうに笑うなんて。  本当にバカげている。


「……ところで、今回の移動はどちらへ行くつもりですか?」


「南の方かな」  


 南? この街からはそれほど遠くない。ここから最も近い街だ。僕が読んだ地図の記憶では、ここでの環境と大差はなかったはずだ。  


 ふん、彼女には合っているかもしれない。


「それでは」  


 スライムの魔獣さんは立ち上がった。今の彼女は、ひどく満足げな表情をしていた。


「もう行く」  


 彼女は短く別れを告げると、僕に返事を求めることもなく歩き出した。


「また会おう」とも言わなかった。それでいい。――魔獣との出会いは、それほど良いものではないのだから。  


 もうすぐ、空が完全に暗くなる。


「……帰るとするか」  


 僕は街の出口へと続く道を歩き始めた。  


 その途中だった。


「……ん?」  


 前方に、街の先輩冒険者たちが集まって大声で話し込んでいるのが見えた。それを見て、僕は情報を得るために近づいた。


「何かあったんですか?」


「ん? おお、坊主か」


「ええ、坊主です。……何をそんなに騒いでいるんですか。魔獣でも見つかったんですか?」


「へっ、いや。それがよ、あのマックの野郎が突然、ギルド本部への増援要請を取り消しやがったんだ。『自分の勘違いだった』なんて言い出しやがって、みんなを大混乱させやがった。朝から魔獣狩りに出たっていうのに、報酬は一銭も出やしねえ」


「はあ?」  


 そんなはずはない。 何が彼を「勘違い」させたんだ?


「……まさか」  


 魔獣本人と会ったからか?


「ん? 何か知ってるのか?」


「い、いえ、何でもありません」


「……なんだよ。何か隠してることでもあるのか、あぁ!?」  


 突然、冒険者が怒鳴りながら詰め寄ってきた。


「そういや、てめえはどうしていつもフードを深く被ってやがる。何かやましいことでもあるのか!」


「それは―」  


 答える間もなく、フードが乱暴に剥ぎ取られた。露わになった僕の顔を見て、その場にいた全員が目を見開いた。


「……お前……『ベラミ・フォロ・マティル』か!?」


「……ちっ」


「ま、待てっ!」  


 フードを掴み取ると、すぐさまその場から走り去った。





 @@@@

「……はぁ」  


 全力で走り抜き、自分の寝室に飛び込むと、僕は部屋の隅に静かに座り込んだ。


「正体がバレてしまったのか……。それにしても、どうしてマックさんは増援要請を取り消して、魔獣のことをみんなに隠したんだ? 全然理解できない。僕の勘違いかもしれないけれど、でも……」  


 あの魔獣の顔が浮かぶ。彼女が血の海に沈んでいる不吉な光景までもが。 しばらく一緒に過ごして分かったのは、スライムの魔獣さんは弱いということだ。


 僕でさえ勝てるかもしれない。そんなに弱いなら、マックさんのような高ランク冒険者にとって、彼女を仕留めるのは造作もないことだろう……!


「……ちくしょう」  


 僕は自分の頭をかきむしった。時間を無駄にはできない。すぐに立ち上がり、剣を腰に差し、短剣や冒険者道具一式をひっ掴んだ。もちろん、カバンの中には三色のスライムたちも入っている。  


 準備を終えると、部屋を飛び出し、家を出ようとした。  


 しかし―玄関のドアの前には、ジェミリーさんが立ちはだかっていた。


「こんな夜更けに、どちらへ行かれるのですか、ベラミ様」


「……」


「ベラミ様には自由があるとはいえ、正体を明かさないこと、そしてこの敷地内からは出ないことが条件です。夜間に出歩く許可は出せません」  


 僕はジェミリーさんの言葉を無視して歩き続けた。


「このことをベラミ様のお母様に報告すれば、あなたはもっと不自由な場所へ軟禁されることになるのですよ――」


「どうぞ、そうしてください」


「……」


「僕自身、もうここにはいられないと思っていましたから。……ええ、好きなようにしてください」  


 もし報告するつもりなら、ジェミリーさんは昨日そうしていただろう。彼女はただ僕を脅しているだけだ。僕のことを本当の孫のように可愛がってくれているのだから。


「それに、僕の正体はもう冒険者ギルドの連中に知られてしまいました。ちょうどいい機会ですよ」


「えっ、その話は……」


「ここを発つ時が来たんです。……今までありがとうございました。カイランさんにも感謝を伝えておいてください。それと……ああ、もういいです」  


 カイリーには特に感謝することなんてない。むしろ、あのアホな20歳児の方が僕に感謝すべきだろう。


「行ってきます」


「本当によろしいのですか? ……静かに大人しくしていれば、大人たちやあなたを愛する者たちが守ってくれるのです。無理に足掻く必要などないのですよ。……あなたのお母様も、そう願っていらっしゃるはずです」


「ジェミリーさん」  


 僕はドアを押し開け、振り返って微笑んだ。


「僕は足掻いているわけじゃないんです」  


 自分を鍛えること、身体や技術の訓練は、確かに過酷でひどく疲れる。自分の立っている場所と夢を比較して、絶望することだってある。  


 でもね……一度だって「楽しくない」と思ったことはないんだ。そう、楽しくないなんて言ったことは一度もない。だから――これは足掻きじゃない。


「僕は、生きているんです」  


 高尚なことをしているわけじゃない。哀れまれるようなことをしているつもりもさらさらない。


「……そこまで言うのでしたら、仕方ありませんね」


「ええ、そういうことです」  


 話すことはもう何もない。僕はその家を後にした。もう戻ることはないだろう。少なくとも、すぐには。――次の冒険の章へ。でもその前に、マックさんが彼女を見つけるより先に、僕がスライムの魔獣さんを見つけ出さなければならない。


「南……追いつけるかな」  


 別れてから数時間が経過している。全力でマナを使って走っても、追いつくには数十分はかかるだろう。それに、その方法はマナの消費が激しすぎる。……仕方ない、試したことはないけれど、やるしかない。


「レッドグレイヴ」と「グリーンティフ」を取り出し、地面に投げ、両足で踏みつけた。スライムには「粘液」と「硬化」という二つの基本原理がある。それは神と呼ばれる存在が作った、モンスター特有の構造だ。  


 けれど、僕が彼女から譲り受けたスライムは違う。……この構造は彼女によって作られたもので、普通のスライムのように「粘液」や「硬化」を命じる魔力核を持たない。  


 ということは―僕が代わりに命令を書き込めるということだ。  


 少し難しいけれど、本能で命令を送る。足の裏からの魔力回路。昨日マックさんと走った時に使った、走りを強化するためのマナコントロール技術。  


 マナを爆発させて速度に変えて消えるのではない。  


 スライムの内部でマナを循環させるんだ。


「……ふんっ!」  


 ダダダダダダダダダッ!!  


 走り出した。あのマナコントロール技術に匹敵する速度で。  


 いや、わずかに遅い。けれど、マナは全く減っていない―スライムの中でマナが循環しているからだ。それは「粘液」でも「硬化」でもない、新たな二つの属性――スライム内部での「マナ爆発」と「再吸収」の繰り返し。


「ははっ……あはははははっ!!!!!!」  


 愚者とは何だ。  


 最弱は何だ。  


 これこそ―最高のギフトじゃないか。


「今、助けに行きますよ、スライムの魔獣さん――」


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