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幕間:一ヶ月が過ぎて、勇者カエデ

(カエデ視点)


 おっす、みんな。勇者のカエデだよ。  


 人生とは風に流される木の葉のようなもの。それが物心ついた時からの座右の銘なんだ。だから、強制されない限りは何の努力もしようと思ったことはない。ずっと怠惰に生きてきたし、見下されても気にしなかった。ただダラダラ寝ていられればそれでよかったんだ。


 そんな僕の人生は……【勇者】という名の風が吹き込んできた時に一変した。


「勇者様ぁぁ!!」

「少しお話を伺ってもよろしいでしょうか!!?」

「ちょっとあんたたち、私たちの方が先よ!」

「うるせえ! 早い者勝ちだろ!」


 記者が嵐のように僕を取り囲む。


 ……なんだか吐き気がしてきた。目の前で十数人の大人が押し合いへし合いしながらインタビューを求めてくる光景は、あまりにも目がチカチカする。  


 どうやら今日はエネルギーを使いすぎたみたいだ。今日が終わったら、ひたすら寝溜めをしよう。  


 勇者のギフトを手に入れてから一ヶ月余り。人生は一気に変わった。


 軽蔑の視線を送っていたお世話係の態度は手のひらを返したように変わり、突然僕や孤児院のみんなに対して甲斐甲斐しく接するようになった。  


 シスターは嬉しさのあまり涙を流し続け、司祭のじいさんは知らせを聞いた途端、恥も外聞もなく「助かったぞぉー!」と大声で叫んでいた。孤児院の兄貴分や友達、下の子たちまでがみんな僕を祝福し、「カエデ様」と呼び始めた。それまでの無礼な反応は、跡形もなく消え去った。  


 最初は気分が良かったけれど、だんだん胸焼けがしてきた。時々、みんなから向けられていたあの軽蔑の視線が恋しくなる。……あれ、もしかして僕って、虐げられるのが好きなタイプなのかな。  


 やだ、まあ。僕、変態になっちゃったのかな。まだ十二歳なのに、自分の将来が心配になってきた――あ。


 マイクを突きつけられ、記者の荒い鼻息が耳元に届いて我に返った。


「ええと、カエデ様。これまでの人生はどうでしたか?」  


 おっと、最初の質問が来たね。  僕は指でピストルの形を作って顎に当て、真剣に考えた。これに今日のエネルギーの約五パーセントを使った。


「……本当に、苦労の連続の人生でした」  


 そう言うと、記者さんは「待ってました」と言わんばかりの笑みを浮かべた。それなら、こっちだって打ち返してあげなきゃね……!


「一日に十二時間しか寝られなかったんです。それ以上寝ようとすると叩き起こされて手伝いをさせられたし、どんなにサボろうとしても引きずり戻されて仕事をさせられました。本当に死ぬかと思うほど過酷な日々でした。危うく生き残れないところでしたよ」


「……」


「どうしたんですか?」


「……あ、いえ」  


 なぜか絶句している。僕が直面してきた苦労に圧倒されちゃったのかな。


 まいったな、照れちゃうよ。僕の苦労なんて他のみんなに比べれば大したことないのに。朝から晩まで働いて、戻ってきたら子供たちの世話をして、さらに司祭のじいさんの酒代の尻拭いまでしているシスターに比べれば、ね。へへへ。


「……それだけ、ですか?」


「……?」  


 変なことを聞く人だな。  


 うん、それだけだよ―と、勝手な返事をする前に。  一つ年上くらいの女の子が割り込んできて、無表情に口を開いた。


「カエデ様が多くの睡眠を必要としたのは、起きている間はずっと、司祭様やシスターを助けるために重労働をこなしていたからです。孤児院には幼い子や、体の不自由な子も多い。目が覚めてから眠るまで仕事尽くしの生活だったと言えるでしょう」  


 彼女は整った顔立ちで、淡いブルーの髪をポニーテールにまとめ、厚めの眼鏡をかけている。そのせいで瞳の色ははっきり見えないけれど、ネタバレしておくと、彼女は髪の色と同じように綺麗な色の瞳をしているんだ。


「そうですよね、カエデ様」


「……」  


 幼い子が多いのは本当だけど、体の不自由な子なんていなかった気がする。みんな元気だよ。一生懸命シスターを手伝っていたし……。


「あの、ふくよかな子がリーダーをしていたグループを覚えていますか? 彼らは体が不自由で、あまり仕事ができなかった。だからカエデ様が常に重い負担を引き受け、数人分の仕事をこなして毎日倒れ込むように眠っていたのですよ」


 えっ、そうなの?  あ、いけないいけない、台本通りに。  


 僕は作り笑いをして答えた。


「その通りです」


「他に質問はありますか? 私はカエデ様の世話役を務めております。よろしければ、私がカエデ様の考えを代弁した上で回答いたします」


「えっ、でも私たちは勇者様本人の口か―」


「これは最低条件です。従わないのであれば、一切のインタビューには応じません」


「……チッ」


 ……仕事熱心だね、サリアさんは。  真面目そうで教養もあり、僕とは正反対のこの女の子の名は「サリア」。一歳年上で【秘書】の保持者だ。アイエンティア? カランティア? 名前は何だっけ、ベラミが言っていた有名大学を卒業するまで、僕の世話をすることになったパートナー。つまり、これから長い付き合いになる人だ。  


 少なくとも卒業までは、と偉い人が言っていた気がする。


「それでは」  


 それから一時間ほど、まるで尋問のようなインタビューが続いた。サリアが質問と回答をコントロールし、その内容の真実は十パーセントにも満たなかった。


 記者が全員去った後、エネルギーがゼロになった僕はソファに倒れ込み、眩しい天井を仰いだ。


「ずいぶん見栄を張っちゃったな。なんだか申し訳ないよ」


「カエデ様、今のあなたは勇者という立場なのです。以前がどのような生活であったにせよ、これからは精進し、イメージを改めてください。部外者に見下されないためです。今のあなたの存在は、我が王国の顔も同然なのですから」  


 大袈裟じゃないかな。そう言い返したかったけれど、サリアの厳しくも真剣な顔を見たら、聞く勇気が出なかった。  


 吐き気がするほど重い責任だ。 風って、時々強く吹きすぎるよね。僕みたいな脆い木の葉には、ちょっと意地悪すぎるよ。


「あと十年くらい、何もせずに寝ていたいなぁ」


「……はぁ。とにかく、もうすぐ剣術の基礎訓練の時間です。シャワーを浴びて着替えてください」


「あと三十分だけ……」


「いい加減にしてください!」  


 僕は寝返りを打って、うつ伏せになった。


 三十分経つまでは絶対にソファから動かないと心に誓った。それから、さらに一時間まで延長して、それから行動する。よし、これで決まりだ!


「カエデ様……!」


「あ、そういえばベラミは今どうしてるかな」  


 イラつき始めたサリアを無視して、僕は気になることを聞いた。


「ベラミ? 【ベラミ・フォロ・マティル】のことですか。……もう、カエデ様はあの方とどういう関係なのですか? やけに頻繁に聞きますし、いえ、最初の日から毎日聞いていますよね。元々の立場からして、あなたとあの方に関わりがあるとは思えませんが」


「偶然ちょっと話しただけだよ。……面白い人なんだ」


「……面白い?」


「有名人だろ? ファッションリーダーだったり、社交界のリーダーだったり。……ぷっ、はははは!」  


 あんな大物が、ただのクソギフトを授かっただけで人生崩壊してると思うと、つい笑いが込み上げてくる。


「相変わらず笑いのセンスが絶望的ですね」


「ははは、悪い悪い。だっておかしくて。ベラミってば本当に面白いんだもん」


「勇者として、他人の人生が壊れたことを笑うのは、相手がたとえあのクズだとしても不適切だと思いますよ」


「ク、クズって……え、サリアはベラミが嫌いなの? 教会の友達はみんな彼のことが好きだったよ」


「今でも彼を好きな人がいるのか、と聞くべきですね。……新聞も、数々の噂も、彼の不名誉な話ばかりです」  


 サリアは目を閉じた。


「ただの子供の喧嘩すら、王室という国家機関への不敬罪にまで飛躍させ、親族や同盟相手さえ愛想を尽かさせている……。今は相当苦しい立場に追い込まれて、身動きが取れなくなっているはずです」  


 サリアは鼻で笑って、どこか満足げだ。  


 本当に冷たいなぁ。


「私自身も、ベラミにはろくな思い出がありません。私の婚約者……いえ、『元婚約者』が『七英雄・武闘祭』であの方にひどく屈辱を味わわされたのです。決して許すことのできない、大きな心の傷になっています」  


 元婚約者? ああ……あの「大賢者」のことか。  


 サリアは僕と同じ年に神の子を授かったギフト「大賢者」の元婚約者らしい。でも「大賢者」のギフトを得た後、男側のステータスが一気に跳ね上がって釣り合わなくなったから、婚約は破棄されたんだって。今でも世間の注目の的なんだけど、そんな政治的なことに関わるつもりはない。  


 政治なんて面倒すぎる。僕の生き方には合わないよ。  


 それにしてもベラミ、本当に嫌われまくってるなぁ。どう生きたらこんなに多くの人に恨まれるんだろう。  


 想像したら、また笑えてきた。


「ははは、ベラミって本当に性格悪いんだね」


「ええ。アイリス王女様のお話によれば、その通りでしょう。……彼は自業自得なのです。それで、カエデ様はベラミが好きなのですか?」


「……」  


 好き?  


 サリアが真剣な目を向けてくる。僕も少しだけ気合を入れて、考えてから答えてみた。


「好きだよ。だって、ベラミの人生ってすごく楽しそうだし。……彼はいつか僕に勝つって言ってたんだ」


「正気を失ったのですね。そんなの不可能です。たとえ最悪のギフトではなかったとしても、神の子に勝てるのは、同じ神の子だけです。歴史を見れば明らかなことでしょう」


「……どうかな」  


 僕は世界についてあまり詳しくない。誰が誰より強いとか、ギフトがどれほど重要か、その差がどうとか、正直どうでもいいと思ってる。誰かに教えられた知識やスキルも義務として受け取ってるだけだ。こんな生活だけど、自分が持っているギフトの凄さも、それによる不平等も嫌というほど理解してる。  


 でも……あの時のベラミの顔。あれは忘れられないし、見下すこともできない。無理だと決めつけるのは、無意識に失礼な気がしちゃうんだ。  


 彼が僕の立っている場所まで来られるかは断言できない。でも――強く否定もしない。


「楽しみだね。サリアも期待してなよ、ベラミが僕に挑んでくる瞬間を」


「嫌ですよ。私はベラミの顔も見たくありません」


「元婚約者がバカにされただけで、そんなに嫌いになれるものなの?」


「ただの侮辱では……。まあ、いいです。そういうことにしておきましょう」


「サリアって可愛いね。婚約破棄されたのに、元婚約者のことを本当に想ってるんだ。優しいなぁ、あったかいねぇ」


「からかわないでください。別に婚約破棄のことは気にしてません。どうせ当主同士が決めたことですから。むしろ、私は彼のことを『弟』としか見ていませんでした―今の関係の方がいいんです」


「ツンデレだぁぁ。可愛い〜」


「……カエデ様」  


 サリアの殺気に、頭の毛が逆立った。


「す、すまん! ふざけすぎた! ごめんね、もういじらないから!」


「ええ。分かったなら、早くお風呂に行って訓練の準備をしてください」


「う、うん。分かった、そうするよ!」  


 サリアがキレる前に、僕は慌てて指示に従った。


 そういえば。


「あ、そうだ。せっかくだし、一緒に入らない?」


「……」  


 サリアはパチパチと瞬きをして、すぐに頬を赤くした。


「な、何を言っているのですか!? あなたは勇者なのですよ、もっと慎んでください! 今は婚約者がいないとはいえ、将来は高貴な紳士の家に嫁ぐ身なのです。礼儀をわきまえてください!!」


「どこが失礼なんだよ。ただ一緒にお風呂に入ろうって誘っただけなのに」


「私は誇り高き女性なのです!」


「そんなの分かってるよ」  


 どうせ彼女も貴族なんだろうし。階級は知らないけど。月に一度、僕の教会に寄付をしに来る貴族様たちと同じ、誇り高い人なんだろう。


「お風呂に一緒に入るだの……あれこれ世話を焼くだの、それが勇者として、ほ、誇りある行動だと言うのですか!!? その思考回路を修正してください!!! 女に対してすることではありません!」  


 ええー、なんでだよ。


「こういうのは、女だと思ってるからこそ誘うもんなんだよ」


「カ、カエデ様……。あなた、そこまで重症だったのですか」


「うん、そこまで重症だよ」  


 何についての話かはさっぱりだけど、とりあえずそういうことにしておこう。――サリアは唇を噛みしめ、目にうっすらと涙を浮かべていた。その表情は、嫌悪感に満ち溢れている。


「……っ……この、ケダモノ……」  


 け、ケダモノ? いきなりケダモノ呼ばわりされちゃったよ、僕。  


 そんなに僕と同じ湯船に浸かるのが嫌なのかなぁ。……ひどいよ。いくら勇猛果敢で、心臓が岩のように硬い勇者様だったとしても、僕にだって心はあるんだ。みんなと同じ人間なんだよ。


「……分かりました」


「む、無理しなくていいんだよ? 僕は誰かに無理強いするつもりなんてないからさ」


「いいえ……。私も、勇者のお世話係としての職務にもっと真摯に向き合うべきでした」  


 ……うーん。  


 なぜか僕の方が悪いことをした気分になってきた。僕、何か間違ったこと言ったかな?


「先に行って待っていてください。……私は心の準備をしてから参りますので」


「……」


「何か、特別なご要望はありますか?」


「……」  


 正直、僕たちが同じ話をしているのか全く自信が持てないけれど、たぶんお風呂の話だよね。うん、それ以外にあり得ない。とりあえず、いつもシスターと交代でやっていたことを提案してみよう。


「お互いに背中を流し合って、マッサージしようよ! すみずみまで、最高に気持ちよくなれるようにさ!」


「くっ……!!!!!!」  


 僕は何も考えずにそう答えた。対照的にサリアは、教会の近くにいたホームレスのじいさんが、翌日に木にぶら下がった遺体で見つかって、二度とその姿を見ることがなくなった時のような……そんな絶望的な顔をしていた。


「これは職務……職務なのです。……はい、承知いたしました」


「うん!」  


 楽しみだなぁ! ――その後、色々なことが起きた。



「キャーーーーーーーッ!!!!!!!!!!!!!」



 結局、サリアの悲鳴で幕を閉じた。入浴中の執拗な尋問、そして要望通りに行われた背中流しやマッサージ。……でもそれは、サリアの激しい怒りがこもった、あまりにも暴力的なマッサージだった。僕は思わず涙を流してしまった。  


 僕って、本当に運が悪いよ。ううっ……。


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