9:最初のクエスト②
ドッドッドッドッドッ! 激しく、そして速い足音が響く。
目の前で、ゴールドランク冒険者のマックが高スピードで走り出していた。体に魔力を纏わせているわけでもないのに、異様に速い。足が地面を叩く瞬間、足の裏で常に小さな魔力を爆発させているからだ。
それは繊細な魔力操作が必要だが、決して不可能な領域ではない。難しくはないが、もし失敗すれば大怪我をするというだけのことだ。 肉体がそれに耐えられなければならず、集中力を切らしてもいけない。
もちろん、ずっと訓練してきた僕にも同じことができる。だから僕はマックと同じ方法で彼を追っている。
「【最強の子】という名は伊達じゃないな」
マックが振り向いて言った。
「ゴールドランクの冒険者でも、これができない奴はいるんだぜ」
「お世辞は結構です」
「了解。――おっと」
不意にマックが足を止めた。ちょうど目の前が二股の分かれ道になっていた。
「どっちがいいかな」
「……」
僕の予想は左だと言っている。ただ……【勘が働かない】こそが、僕の持つ「愚者のギフト」の効果だ。
「右です」
「了解した」
僕の言った通り、僕たちは右へと走り出した。それから間もなく――緑色のジャイアントスライムに遭遇した。
高さ四メートル、幅は約二メートル。全身が緑色の粘液。これこそがジャイアントスライムだ。
……それはまだ僕の存在に気づいていない。気づいた瞬間、ギフトの効果で真っ直ぐこちらへ突進してくるだろう。
「よし、作戦は一人が引きつけ、もう一人が仕留める。シンプルだ」
「簡単でいいですね。個人的には初級魔法なら全属性使えますが、通じるかどうかはわかりません」
「まあ、いけるだろう。剣術はどうだ?」
「まだ使えません」
「オーケー。じゃあ、ベラミが前、俺が後ろだ。ターゲットにされた奴が回避に専念し、もう一方が攻撃する。標的が切り替わるまで距離を保ちながら交互に攻撃を仕掛け、あの粘液を突き破るまで繰り返すぞ」
「わかりました」
話し終えると同時に、マックと僕はすぐに行動を開始した。
僕はスライムの目の前まで走って止まった。僕を見つけた瞬間、それはできる限りの最高速度で這い寄ってきた。
「すごい興奮してるな!」
僕は後ろへ跳んで、ジャイアントスライムの攻撃をかわした。
右、左、左、右……。回避を続けながら、手を伸ばして魔法を放つ。
「『フレア・エア・ライトニング』!」
風で増幅され、雷を纏った炎がジャイアントスライムの巨体を直撃した。だが、少しのけぞらせる程度で、奴の体は瞬時に再生していく。
「チッ……!」
「いいぞ、その調子! 時間稼ぎはバッチリだ!」
マックが剣を取り出した。
それは古びた黒い剣だった。彼は三歩下がり、構えを取り、一瞬で魔力を剣に集中させた。踏み込み、そして投じる。それが『剣術』へと姿を変える。
「『トール』!!」
『トール』。剣を投げつける剣術だ。一般的なギフトでも使える基本的な技だが、破壊力を高め、剣の軌道を正確に操る能力がある。
黒い剣がスライムの体に突き刺さり、粘液を突き抜けて魔力核へ到達しようとした。しかし、突如として奴の全身の粘液が硬化し、黒い剣は届かなかった。
スライムの最も得意とする特性なのに、なぜ彼はこの攻撃手段を選んだのか。理由もわからぬまま、無駄に剣を失ってしまった。
困惑してマックの方を向くと、その瞬間、彼は走り出し、スライムの体の上へと跳び上がった。そして真下へ向けて手を指し示す。
「『フレア』」
炎が叩きつけられたが、緑の粘液を破壊することはできなかった。――その時、ジャイアントスライム最大の特長が現れた。魔力核の移動だ。
魔力核は最下部、黒い剣の真下へと逃げた。
それを見たマックはニヤリと笑う。彼はスライムの次なる攻撃を跳んでかわし、数歩下がると指を鳴らした。
「『プラス』!」
刹那、黒い剣が魔力核を粉々に押しつぶした。
ドォォォォン!! ジャイアントスライムの巨体が弾け飛び、粘液が四方八方に飛び散る。
ジャイアントスライムはあっけなく敗北した。
「ふぅ、見たかベラミ。これがゴールドランクの実力だ」
「……えっ、剣が勝手に動いたのか?」
いや、違う。
僕はマックの自慢話には興味がなく、むしろその剣の方に興味があった。僕は歩み寄って柄に触れ、引いてみた――重い!
持っている力を振り絞っても、びくともしない。マナを注ぎ込んでも無理だ。無理をすれば腕の骨が折れるだけだろう。 しかし、マックは何事もないように歩いてきて剣を拾い上げると、先ほどと同じように魔力を剣に注いだ。
「『マイナス』」
そう呟いてから、剣を鞘に収めた。
「親切な大人から譲り受けた名もなき魔剣さ。能力は『プラス』と『マイナス』。魔力を通じて命令することで、自身の重量を増やしたり減らしたりできる。マナを注げば注ぐほど重くなり、少なければ二歳児でも持てるほど軽くなるんだ」
マックのギフトは「荷物持ち」。
それはつまり、彼ならどんなに重くてもこの剣を扱えるということを意味している。限界がどこまでかは分からないが、荷物持ちのギフトにはこれ以上ないほど相性の良い剣だ。
ジャイアントスライムに見せた使い方だけでなく、その圧倒的な重量でモンスターや敵を粉砕する戦い方は他にもあるはずだ。
「平凡なギフトでも、自分に合った良いアイテムを見つければ、驚くほど強くなれるんだぜ。誰もが使える基礎を徹底的に鍛え、持っている剣に合わせた剣術を磨く。自分のギフトにしかできない戦い方を作り上げるのさ」
「すごいですね。剣も、マックさんも……本当にゴールドランクなんです」
「当たり前だろ。それにしてもベラミ、お前もやるじゃないか。魔法の合成ができるなんて。初級とはいえ、三つ以上の魔法を合成するのはかなりの高等技術だぜ」
「僕は最大五つの属性まで合成できますよ」
「えっ、マジか? 俺なんて最大二つだぜ! 魔法特化の奴らじゃなきゃ、ゴールドランクでもせいぜい三つまでだってのに」
僕は腕を組んで胸を張った。
「かつての『一番輝く星』ですから」
「そりゃすげえな」
マックは腰を下ろし、ガラスの瓶を取り出した。緑の粘液を掴んで中に詰め込み、バッグにしまう。
「とりあえず、クエスト完了だな」
「僕はあまり何もしていない気がしますが」
「そんなことないさ。普通の状況なら、スライムに狙われてるせいで、あんなに簡単に剣を投げつけることはできなかっただろうしな」
マックは残った粘液の塊を見つめてから、地面にどっかと座り込んだ。
「あの……」
「疲れた。少し休憩させてくれ。お前も座れよ」
「そうさせてもらいます」
僕はマックの向かい側に腰を下ろした。……モンスターが出るこんな森の真ん中で座り込むなんて、本来なら冒険者らしくない行動だけど。
「ベラミ、お前なら知ってるだろ。モンスターってのは何なんだ?」
不意にマックが問いかけてきた。僕は少し戸惑いながらも、自分の知識に従って答えた。
「……マナの異常です」
モンスターとはマナでできた生物であり、マナの異常であると定義されている。
まず言っておくべきは、僕たちの世界にはマナと呼ばれるものが存在しているということだ。この世界のあらゆるものにはマナが宿っている。人間であれ、空気であれ、あるいは物であれ。だが当然、それぞれが持つマナの濃度は異なっている。
おもちゃの車が生きている人間と同じマナを持つはずがないし、一人の人間が数万平方メートルの土地と同じだけのマナを持つはずもない。何がどれほどのマナを持ちうるかには、明確な論理的根拠がある。
才能のない人間であっても、あるいがある人間であっても、これより少なくはならず、これより多くはならないというマナの境界が存在するのだ。
だが、モンスターは違う。モンスターには限界というものがない。
その身には無制限に使えるマナを秘めており、ただモンスターの種類によってどのような力を発現させるかが決まっているだけだ。そして、そのすべてのエネルギー源は世界そのものから得ている。
例えばミノタウロスと戦う場合、勝つためには奴を仕留めるしかない。体力を削って疲れさせて自滅させる、といったことは不可能なのだ。
この異常な存在ゆえに、モンスターはマナの異常と呼ばれている。
「正解だ。だとしたら―奴らは一体何から生まれてくると思う?」
「……」
それは確定した事実としての情報がない問いだ。どの教育課程においても明確な答えは示されていない。諸説ある推測があるだけだ。
僕が最も納得しているのは、マナが最も激しく行き交う場所、つまり人間が多くいて文明が栄えている場所に発生するという説だ。
「人が多い場所です」
「ほう、ウェルソンの理論じゃないか」
「基礎課程ですから」
僕が言ったのは、数十年前、つまり二世代ほど前の「大賢者」の保持者である『ウェルソン』の理論だ。彼は人生の最期の日までモンスターの起源を追い求めた人物だ。
二十代後半という若さで亡くなったため辿り着くことはできなかったが、彼の理論や膨大な資料は世に広まり、世界を変えた。
モンスターの分類において、極めて重要な人物である。
「ウェルソンは真実に辿り着いたが、世界評議会によって口封じのために殺された、なんて噂もあるぞ」
「くだらないですね。マックさんはそんな陰謀論を信じているんですか?」
偉い人たちがそんな決断を下す理由はない。モンスターは世界の脅威だ。その多くは歴史上で「災害」と呼ばれ、それほどの強さを持つモンスターによって滅ぼされた王国も少なくない。
「まあな。こういうのが実は本当だったりすると、面白いじゃないか」
「興味深いとは言えますが、面白いというのはちょっと……。では、マックさんの方はどうなんです? モンスターは何から生まれると考えていますか?」
「奴らはたいてい、自然発生するものだ」
「……ふーむ」
「その理論をすぐに決めつけないでくれよ」
彼は僕が考えそうなことを先回りして言った。……本当によく分かっているな、この人は。
「奴らはランダムに生まれるが、たいていはダンジョンや森、あるいは深海といった人のいない場所で発生する。ウェルソンの理論に従うなら、深海やダンジョンに強いモンスターがいるはずがないだろう? 人が密集しているわけじゃないんだから。なのになぜ、すべてのダンジョンの最深部や海に災害級の強さを持つモンスターが生まれるんだ?」
マックさんは笑みを浮かべて言った。
「人が多い場所に生まれるんじゃない。人が、モンスターの多い場所に移動して住み着いたのさ。最高の文明の進歩を利用して、モンスターが暴れ出さないように抑え込むためにね。そして、基礎課程の内容は間違っている。意図的かそうでないかは分からないがな。……これが俺の考えだ」
「俺の考え、ですか? 今の話も有名な理論の一つじゃないですか。ここ十数年で一番話題になっている説ですよ」
「おっと、バレちゃったか。よく本を読んでるな、ベラミ」
「ええ。個人的には小説や童話の方が好きですが、こういう本を読めば読むほど世界の見方が広がる。だから、小説をより楽しむために必要な読書なんです」
例えば、説明が不足しがちな小説などは、自分自身の知識から来る想像力に頼る必要があるでしょう?
僕は腕を組み、自分自身に言い聞かせるように頷いた。
「それに、今の話には反論があります」
「ふーん、言ってみなよ」
「裏付けとなる理由があるんです。ダンジョンや深海には、他の場所よりも膨大なマナがあるからです。だから、人が少ないという部分を補っているんですよ」
「じゃあ、そこが本当にマナが豊富だって、どうして分かるんだ?」
「どうしてって? マナ探知機があるじゃないですか」
「ハハハハ……まあ、一応あるよな」
マックは僕の考えを鼻で笑うようにくすくすと笑った。少しイラッとする。
「数百年前、人々はマナを最も効率的に放つには手のひらから直接出すのが一番だと信じていた」
「……」
「数年後、世界には魔道具を作れる素材があることを知った。デバイスに『マナクリスタル』を装着して解き放つのさ。そう、魔杖だ。魔導士は誰もがコピペしたみたいに魔杖を持つようになった……。だがさらにその後、人々は魔導士が拳や剣も使えることに気づいた。結局、最高の装備なんてものはなく、個々の人間に合わせるべきだという結論に至った。―ギフトの測定器だって常に進化し続けている」
マックさんは空を仰いだ。
「ギフトの測定器も場所によって性能がバラバラだ。中には『レベル』というシステムがあって、同じギフトの頂点の中で保持者がどの段階にいるかを、過去の使用者と比較して示すものもある。……【愚者】にレベル表記はあったか?【勇者】は? 歴史上、片手で数えるほどしか保持者がいないようなギフトなんて、昔から知識も既存の事実も、いくらでもねじ曲がるものなのさ」
「つまり、すべてを信じるなと言いたいんですね」
「ああ、その通りだ。考えてみてくれ」
マックは自分の指で目を指した。
「人間は自分自身でマナを見ることができるはずだろ? 目にマナを集中させれば、鍛錬している者なら誰でもできる。物のマナ量を大まかに見ることだって、下位のギフト保持者だって当たり前にやっていることだ」
そうだ。人は他人から発せられるマนาを感じ取ることができる。僕にもできる。
「それをやった時、ベラミは自然から何か見えたか? 異常に多いマナの波か? それとも、肉眼で見える普通の地面や空気、木々か? ……どこへ行ったって、少しも変わらないはずだ」
「……それは……」
「見えないだろ? なのに、どうしてそこに明確な量のマナがあるって分かるんだ?」
彼の話についていくと、少しハッとさせられた。だが、彼の言葉に反論できる材料はまだある。例えば、ダンジョンには重要なエネルギーが常に発生しているからマナが多いのは確実だし、深海だって最深部には膨大なエネルギーがある可能性がある。ダンジョンの例から推測すれば……。
だとしたら、なぜ見えないのか。
「肉眼では見切れないほど大量にあるからですよ」
「そうだな。ってことは、俺たちが宇宙へ飛び出して、そこから見下ろせば見分けがつくってことだな」 「……」
僕は自分の意見を裏付けることもできなければ、彼の意見を明確に否定することもできなかった。
なぜなら、神様が実在するかどうかという問いと同じように、どちらの理論も明確に証明することができない、この世界に古くから伝わる謎の一つだからだ。
モンスターの正体も、マナの真の起源も―そのすべてが。
「モンスターが人の多さに関係なく各地で自然発生するという説に加えて……次は、もう一つの理由だ」
マックさんはスライムの粘液を入れたガラス瓶を取り出し、僕に見せた。 緑色のスライムの粘液。
「『魔獣だ』」
マックさんの口からその言葉が漏れた瞬間、僕は目を見開いた。モンスターの発生について語るなら、当然その名が挙がることは分かっていたけれど。
それは、あのスライムの魔獣さんの顔が脳裏に蘇ったからだ。
「魔獣もまた、モンスターを発生させる要因の一つだと言われている。多くの記録によれば、魔獣の周囲には自分と同じ種のモンスターだけが発生し、さらには通常よりも強力な個体を生み出すことさえある。例えば、ゴブリンの魔獣はハイゴブリンを発生させ、そこから様々に枝分かれしていくようにね」
「……」
「数々の謎を解き明かすには、魔獣の存在が重要だと俺は思っているんだ。二足歩行をするモンスターとして、たとえ人間と言葉が通じなくてもだ。だが! 少なくとも、見つけたら研究室に放り込むか何かしなきゃな」
言葉を話せない生物として捕らえられ、実験されるスライムの魔獣の姿が浮かぶ……。もし本物の魔獣に会って会話を交わす前だったら、僕もマックさんと同じように考えていただろう。
「まあいい。頭の痛い話はここまでだ。これ以上続けると、クエストの報告に行く代わりにずっと喋り倒すことになっちまう」
「はい」
マックさんの言う通りだ。
「それに、もう一つ重要な証拠も手に入ったしな。……出会うはずのないジャイアントスライムだ」
「……それが証拠、ですか?」
マックさんは不思議そうな顔で僕の方を振り返った。
「俺が話した理論に基づけば、モンスターが生まれる方法は二つだ。一つは強力なモンスターが発生するエリアであること。二つ目は魔獣によるもの。そう考えると答えは出る―この場所は強力なモンスターが現れるような場所じゃない。せいぜい水色の粘液を持つ普通のスライムだ。ジャイアントスライム特有の緑色の粘液じゃない」
強力なモンスターは相応のエリアに現れるものだが、このエリアの基準を超えた強力なモンスターが現れた。
「俺たちが直面しているのは、一か二、どっちだと思う?」
風が多くの物語を通り過ぎていく。
「スライム型の魔獣がこの森にいる。俺はそう信じているぜ」
今、その風が僕の中に疑念を吹き込んできたのと同じように―。




