第9話『偽りの名声と温かいスープ』
ギルドの酒場は、噂の中心にいる俺をよそに、いつも通り騒がしかった。
だが、その騒がしさの中身は、以前とは明らかに異なっていた。
「おい、聞いたか? Fランクのアッシュって奴の話」
「ああ、Cランクのジャイアント・スパイダーをソロで仕留めたって話だろ? にわかには信じられねえが」
「記録水晶の映像、見たぜ。なんか、とんでもねえ威力の魔法だったぞ。一瞬で蜘蛛が消し炭になってた」
「あいつ、実はどこかの貴族の落ちこぼれで、本当は凄い魔法が使えるんじゃないか?」
「いや、俺が聞いた話じゃ、古代の遺物(アーティファ-クト)を拾ったらしいぜ」
俺は、ホールの柱の陰で、聞こえてくる会話に耳を塞ぎたくなった。
畏怖、嫉妬、好奇心。
様々な感情が渦巻いた憶測の中で、「アッシュ」という名の、俺の知らない虚像が勝手に作り上げられていく。
その事実に、俺は言いようのない居心地の悪さを感じていた。
『ククク、面白いではないか。お前の知らぬところでお前の伝説が作られていくぞ。これもまた一興よな』
肩の上のイグニールが、楽しげに喉を鳴らす。
こいつにとっては、全てが退屈を紛らわすための見世物なのだ。
その時、前を歩いていた冒険者の一団が、俺に気づいてぎょっとしたように足を止めた。
Dランクパーティ『鉄の爪』の連中だ。
「あ……アッシュ……さん」
以前、俺に散々絡んできたリーダーの男が、引きつった顔で俺に話しかけてきた。その腰の引け方は、獲物を前にしたゴブリンのようだ。
「……何か用か?」
「い、いや! 用なんて、そんな滅相もねえ! ちょっと、その……なんだ、先日は、その、悪かったな! 俺たち、あんたがそんなスゲェ魔術師様だったとは知らなくってよ……。な、なあ、お近づきの印に、今度一杯どうだ?」
男は、仲間たちと一緒になって、へらへらと媚びた笑いを浮かべた。
その態度は、以前の嘲笑が嘘のように、醜悪で、そして滑稽だった。
偽りの力に怯え、擦り寄ってくるその姿に、俺は強い嫌悪感を覚える。
「……間に合ってる」
俺はそれだけ言うと、彼らの横を足早に通り過ぎた。
背中に突き刺さる視線が、針のように痛い。
偽りの力で得た尊敬なんて、少しも嬉しくなかった。むしろ、罪悪感で心が押しつぶされそうだった。
◇◇◇
その日、俺はギルドには寄らず、稼いだ金貨を握りしめて市場へと向かった。
一番質の良い薬と、それから、栄養のありそうな野菜と少しばかりの干し肉、リリが好きだと言っていた蜂蜜漬けの果物、そして、彼女が店の前でいつも欲しそうに眺めていた、空色のリボンを買った。
下層区の我が家に戻ると、リリが心配そうに俺を迎えてくれた。
「兄さん、お帰りなさい。今日は早かったんだね」
「ああ。これ、お土産だ」
俺が次々と買い物袋から品物を取り出すと、リリは目を丸くした。
「わぁ……! お肉にお野菜……それに、このリボン、私が欲しかった……。いいの、兄さん? こんなにたくさん」
「いいんだよ。兄ちゃん、でっかい仕事、成功させたからな」
その言葉が、また俺の胸に小さく突き刺さる。
俺はそんなリリの葛藤に気づかないふりをして、手早く温かいスープを作った。
久しぶりに肉の入ったスープを、リリは「おいしい、おいしい」と、花が咲くような笑顔で食べてくれた。
「リボンも、ありがとう、兄さん。すごく嬉しい」
新しいリボンで髪を結んだリリは、本当に嬉しそうだった。
その笑顔を見ているだけで、俺のささくれた心は、少しだけ癒される気がした。
だが、夜になって、リリが穏やかな寝息を立て始めると、俺の心はまた罪悪感に苛まれる。
俺は、凄いことなんて、何もしていない。
ただ、エリスさんの計画に乗って、ずるい手を使っただけだ。
この温かい日常は、全て嘘の上に成り立っている。
「……これで、本当に良かったのかな」
俺がぽつりと呟くと、肩の上で丸くなっていたイグニールが、億劫そうに目を開けた。
『何を今更。結果が全てだと言ったはずだぞ、小僧』
その金色の瞳が、月明かりに濡れるリリの寝顔を映す。
『お前の妹は、美味いものを食い、笑っている。お前が望んだのは、その光景ではなかったのか? 過程がどうであれ、望んだ結果がここにある。ならば、それでよかろう』
「……そう、だけど」
『フン。つまらんことで悩むものよ。だがまあ、よい。お前がその女のために足掻く様は、見ていて飽きん』
イグニールの言葉は、慰めとは程遠い。
だが、そのどこまでも自分本位で、絶対的な価値観が、不思議と俺の心を少しだけ軽くした。
そうだ。俺が望んだのは、リリの笑顔だ。
そのためなら、どんな嘘だってついてやる。
俺は、リリの寝顔を見つめながら、静かに誓った。
偽りの英雄だって、なんだってなってやる。
この子の笑顔を守り通せるなら。
―――でも、この嘘は、いつまで続くんだろう?
その答えのない問いだけが、静かな部屋の中で、重く、響いていた。




