第10話『Bランクのワイバーンと魔道具技師の策』
「兄さん、今日のスープ、とっても美味しいね」
「そうか? 今日は少しだけ良い干し肉が手に入ったからな」
妹のリリが、花が咲くような笑顔でスープを頬張る。
Cランク依頼の報酬で得た金貨10枚は、俺たちの食卓を劇的に変えていた。
今までは水のようなスープと硬いパンだけだったのが、今ではこうして肉の欠片が入り、リリの笑顔が増えた。
……たとえ、この金が嘘で稼いだものだとしても、この光景には価値がある。
俺は自分にそう言い聞かせた。
この何でもない、温かい時間が、俺にとっては宝物だった。
その、穏やかな時間を破るように、懐に入れていた古い銀貨が、ポケットの中でかすかに震えた。じんわりと、熱も持っている。
―――これは、エリスさんからの合図だ。
最初の依頼の後、彼女から「緊急連絡用」として渡された、特製の魔道具だった。
普段はただの古い銀貨にしか見えないが、彼女が工房から魔力を送ると、こうして振動と熱で知らせてくれる仕組みになっているらしい。
「どうしたの、兄さん?」
俺の表情の変化に、リリが気づいたようだ。
「ああ、いや……ちょっと思い出したことがある。少し、ギルドに顔を出してくるよ」
「え、今から? ……あんまり、無理しないでね」
「大丈夫だって。すぐ帰ってくるから」
リリの頭をそっと撫で、俺は席を立った。
胸騒ぎがしないわけではなかった。あの敏腕マネージャーが俺を呼び出す時は、決まって何か厄介事が始まるのだから。
◇◇◇
エリスさんの工房の扉を開けると、いつもの金属と薬品の匂いが俺を迎えた。
彼女は工房の中央で、巨大な設計図を広げて何やら作業に没頭していた。
「よう。呼んだか?」
「ええ。お待ちしていましたよ、パートナー」
顔を上げたエリスさんは、満足げな表情で俺に手招きした。
「計画は上々です。FランクがCランク依頼を達成した、という事実は、噂の信憑性を高める上で非常に効果的でした。ギルド内でのあなたの評価は、今やDランクの上位冒険者に匹敵します」
「俺は、全然嬉しくないけどな……」
俺は工房の椅子にどかりと腰を下ろした。偽りの英雄を演じるのは、思った以上に精神をすり減らす。
「感傷に浸っている暇はありませんよ」
エリスさんは、そんな俺の葛藤を意にも介せず、一枚の新しい依頼書をテーブルに置いた。
「次の一手です。間髪入れずに、さらなる実績を積み上げます」
俺は、その依頼書を見て目を見開いた。
【依頼】灼熱渓谷の『ワイバーンの卵』の採取
【ランク】Bランク
【報酬】金貨30枚
「Bランク!? 無茶だ! いくらなんでも、ステップを飛ばしすぎだろ!」
思わず立ち上がって抗議する。
Cランクですら、俺はただ逃げ回っていただけだ。相手が空を飛ぶワイバーンになったら、回避に専念することすら不可能に近い。
「もちろん、無策で挑むわけではありません」
エリスさんは、工房の棚から数々の魔道具を取り出し、テーブルに並べ始めた。
「ワイバーンの親は非常に強力ですが、聴覚が異常に発達しているという弱点があります。この『超指向性音響爆弾』で親を巣から引き離し、混乱させている隙に、あなたが巣に侵入し、卵を回収する。単純な作戦です」
「単純って……言うのは簡単だけどな!」
「あなたには【危険感知】があります。巣に侵入し、危険を避けながら卵を一つ確保して離脱するだけなら、可能なはずです。攻撃する必要はありませんから」
彼女の計画は、いつも理路整然としている。
だが、机上の空論と現実は違う。
「もし、もう一匹いたらどうするんだ? ワイバーンは番で行動するって聞くぞ」
「その可能性も考慮済みです。万が一の際は、これを」
エリスさんは、小さなカプセルを俺に手渡した。
「高濃度・光学迷彩ポーションです。服用すれば、三分間だけ、あらゆる魔力探知からも姿を隠せます。私が開発した、最高傑作の一つですよ」
準備は、万端。
彼女の頭の中では、すでに作戦は成功しているのだろう。
俺は、ゴクリと唾を飲み込んだ。
Bランク依頼。金貨30枚。
それは、リリの治療の可能性を大きく広げる額だ。
それに、ここで怖気づいていては、いつまで経っても俺は最弱のままだ。
『フン。トカゲの卵拾いか。退屈な仕事だが、金が手に入るなら構わん。それに、万が一の時は、我が奴らを丸焼きにしてくれるわ』
「お前は絶対に出てくるなよ! いいな!?」
俺はイグニールに釘を刺す。こいつが暴れだしたら、卵どころか渓谷ごと消し飛びかねない。
『ぬぅ……。まあ、お前が泣いて命乞いをするまでは、黙って見ていてやる』
偽りの名声への罪悪感。危険な依頼への恐怖。そして、リリを救いたいという強い想い。
様々な感情が渦巻く中、俺はエリスさんに向かって、小さく頷いた。
「……分かった。やろう」
「交渉成立ですね」
エリスさんはビジネスライクな笑みを浮かべると、満足げに頷き、おもむろに壁際に設置された制御盤へと向かった。
「では、時間は惜しいので、早速作戦の最終調整に入ります」
彼女がいくつかのレバーを操作すると、ゴゴゴゴ、と低い駆動音と共に、工房の床の一部がスライドして開いていく。
そして、開いた穴から、鈍い金属光を放つ人型の人形がゆっくりとせり上がってきた。
「な、なんだこれ!?」
「訓練用の自律式ゴーレムです。これから、あなたの身体データを取らせてもらいます」
エリスさんは白衣の袖をまくると、俺に向き直った。
その瞳は、獲物を前にした研究者のように、爛々と輝いている。
「特に、あの光学迷彩ポーションは効果時間が極めてシビアです。あなたが危機的状況下で三分間、どれだけ動けるのか。その限界値を正確に把握し、ポーションの成分をあなたに合わせて最適化する必要があるのです」
「え、ちょっ、今からかよ!?」
「何か問題でも?」
有無を言わさぬその視線に、俺は「いえ、ありません」と答えるしかなかった。
このとんでもないマネージャーのペースに、否応なく巻き込まれながら、俺はショートソードを握り直した。




