第6話『ビジネスパートナー』
エリスさんの紫色の瞳が、俺の右腕に突き刺さる。
逃げ場は、もうどこにもなかった。
「……竜だ」
俺は、絞り出すような声で答えた。
「遺跡で……死にかけていた俺は、竜と契約した。俺の意思とは関係なく、力が暴走するんだ。森を消したのも……俺がやったんじゃない。俺の中にいる、こいつが……」
そこまで言って、俺は言葉を失った。
何を言っても、言い訳にしか聞こえない。現に、この腕を依り代にして、世界を破壊するほどの力が行使されたのだから。
これで終わりだ。
ギルドから聖騎士団に通報され、俺は〝厄災〟を宿す危険人物として捕らえられる。処刑されるかもしれない。
そうなったら、リリは……。
絶望が、再び俺の心を黒く塗りつぶしていく。
その時だった。
「ほう。この我に気づくとはな、人間の小娘にしては、なかなかどうして、勘が良い」
尊大な声が、夜の広場に響いた。
声の主は、俺の肩に乗っていた黒いトカゲ―――イグニール。
今まで念話でしか話さなかったこいつが、初めて、俺以外の人間にも聞こえる声で喋ったのだ。
エリスさんの目が、驚きにわずかに見開かれる。
「……喋る、使い魔? いえ、この威圧感……魂の格が、普通の生物とは比較にならない」
『フン。我をそこらの獣畜生と一緒にするな。不敬であるぞ』
イグニールは、金色の瞳でエリスさんを睥睨した。
その姿は小さなトカゲでも、内に宿る魂は〝滅びの竜王〟そのもの。常人なら、その視線だけで竦み上がるはずだ。
だが、エリスさんは怯まなかった。
彼女は一瞬の驚きの後、すぐに冷静さを取り戻し、むしろ好奇心に満ちた目でイグニールを観察し始めた。
「なるほど……。あなたが、アッシュさんに宿る力の根源ですか。面白い。非常に興味深いサンプルです」
『サンプル、だと? 不遜な!』
「事実でしょう? あなたは魂魄状態。その身を維持するには、宿主であるアッシュさんの魔力が不可欠なはず。そして、あなたの『厄災魔力』は、彼の脆弱な肉体では到底制御しきれない。なんと危うく、アンバランスな共生関係でしょう」
エリスさんは、淡々と分析結果を述べる。
その的確さに、イグニールですら、ぐっと言葉を詰まらせた。
俺は、二人のやり取りを、ただ呆然と見ていることしかできなかった。
そして、自分の運命が、今まさに、この銀髪の分析官の手に委ねられていることを痛感していた。
やがて、エリスさんは俺に視線を戻すと、信じられない言葉を口にした。
「―――やはり、私の見立て通りでした。アッシュさん。もう一度提案します。私と、ビジネス契約を結びませんか?」
「……は……?」
聞き間違いかと思った。
この状況で、処罰でも、通報でもなく、ビジネス?
「何を……言ってるんだ? 俺は、森を一つ消し飛ばしたんだぞ……? 危険だと、思わないのか……?」
「危険と好機は常に表裏一体です」
エリスさんは、眼鏡の位置を直しながら、きっぱりと言い切った。
「私にとって、あなたは最高の投資対象です。その手に余る力は、確かに世界を滅ぼしかねない危険なもの。ですが、正しくマネジメントすれば、世界を救うことすら可能な、唯一無二の切り札にもなり得ます」
彼女は、俺に一歩近づくと、真摯な瞳で俺を見つめた。
「私は、没落した我がウォルフォード商会を再興しなければならない。そのためには、圧倒的な実績と、それを元手にした莫大な資金が必要です。あなたを英雄に仕立て上げ、その名声と力で得られる利益を、私と分配する。それが、私の計画です」
「……」
「あなたは妹さんの薬代が欲しい。私は商会再興の資金と実績が欲しい。これは取引です。互いの利益が一致する、合理的なパートナーシップだと思いませんか?」
あまりに突拍子もない提案に、俺は言葉を失った。
この人は、俺が宿した〝厄災〟を、金儲けの道具にしようとしているのだ。正気じゃない。
だが……。
『ククク……ハッハッハ! 面白い! この女、実に面白いぞ、小僧!』
イグニールが、腹を抱えて笑い出した。
『我を管理し、英雄に仕立てる、だと? 人間の分際で、不遜極まりない! だが、その傲慢さ、気に入った! 我を退屈させないための道化としては、うってつけよ!』
イグニールが、乗り気だ。
俺は、迷っていた。
このままでは、いつかイグニールの力で全てを破滅させてしまうかもしれない。
リリを救うための金も、方法もない。
目の前に差し出された手は、あまりにも怪しい。
だが、今の俺には、この蜘蛛の糸にすがるしか、道は残されていなかった。
「……分かった」
俺は、覚悟を決めた。
「契約しよう、エリスさん。あんたの計画に乗る。ただし、条件がある」
「何でしょう?」
「俺の目的は、あくまで妹を救うことだ。そのための『竜の心臓』探しに、全面的に協力してもらう。それと、俺の正体は、絶対に秘密にすること。もし破ったら―――」
俺は、右腕の紋様をエリスさんに見せつけた。
「―――この力が、あんたに向かうことになる」
俺の脅しにも、エリスさんは全く動じなかった。
むしろ、不敵な笑みを浮かべてみせた。
「望むところです。交渉成立ですね、パートナー。これから、よろしくお願いしますよ」
彼女は、俺に右手を差し出した。
俺は、その白く細い手を、強く握り返した。
こうして、俺の人生は、新たな局面を迎えた。
内には最強の竜王を宿し、隣には最高のマネージャーを得て。
最弱のFランク冒険者アッシュの、英雄への道(という名の、とんでもない綱渡り)が、今、幕を開けたのだ。




