第3話『厄災の片鱗と消えた森』
「……くれてやる、だと? どうやって……」
依頼主は死に、報酬はパー。
絶望的な状況で、俺は内なる声に問い返した。
『フン。黙って見ていろ、我が乗り物よ』
イグニールの声と共に、俺の右腕が勝手に持ち上がる。
俺の意思ではない。まるで、見えない糸で操られる人形のように。
「おい、何を……!」
『我が力の、ほんの片鱗を見せてやる』
俺の腕が、祭壇に安置された『動力炉心』へと向けられる。
そして、内なる声が、古代の言語で何かを詠唱した。
俺にはまったく理解できない、しかし、聞くだけで魂が震えるような、禁断の呪文。
―――次の瞬間。
俺の右腕から、漆黒の光線が放たれた。
それは、音もなく、空間そのものを抉り取るようにして、動力炉心を、祭壇を、そしてその奥の壁面を、飲み込んでいった。
轟音も、衝撃もない。
ただ、静かな「消滅」があるだけだった。
光が収まった時、そこには直径数メートルにも及ぶ、完璧な円形の穴が空いていた。
穴の向こうには、別の区画の壁が見える。
青白く輝いていたはずの動力炉心は、跡形もなく消え去っていた。
「…………は?」
何が起きたのか、理解が追いつかない。
俺は、自分の腕が引き起こした現象を、ただ呆然と見つめるだけだった。
『……む? 少しやりすぎたか。久方ぶりの力ゆえ、加減が難しいわ』
イグニールが、悪びれもせずに言う。
その呑気な声に、俺は我に返った。
「おま……お前、なんてことを……ッ!」
俺は自分の腕に向かって叫んだ。
「あれが、あれが依頼の目的物だったんだぞ! 消してどうするんだ!」
『金など、我の力をもってすればいくらでも生み出せる。そんなものより、まずはこの窮屈な場所から出るぞ、乗り物』
有無を言わさぬ口調。
こいつには、俺の人間の価値観なんてものは、一切通用しない。
俺は、とんでもないものと契約してしまったのだと、この時、ようやく心の底から理解した。
◇◇◇
帰り道は、嘘のように静かだった。
あれほどいた魔物たちは、俺の体から発せられる「何か」を恐れてか、影すら見せない。
俺は混乱した頭のまま、イグニールに促されるように、遺跡の出口へと向かった。
外に出ると、空には三つの月が浮かんでいた。
疲労と、混乱と、そして得体の知れない力への恐怖で、足元がおぼつかない。
これからどうなるのか。リリを救えるのか。
いや、それ以前に、俺は「俺」でいられるのか。
その時だった。
【危険感知】が、今までにないほどの最大級の警告を発した。
遺跡の帰り道を塞ぐように、巨大な影が立ちはだかっていた。
それは、グリフォンだった。
獅子の体に鷲の頭と翼を持つ、高貴なる魔獣。Cランク以上の冒険者パーティが総出で挑むべき、強力なモンスターだ。
おそらく、この遺跡の主だろう。
俺がその縄張りを荒らしたことに、怒り狂っているに違いなかった。
「まずい……!」
逃げようとするが、グリフォンのほうが早い。
翼を広げ、鋭い鉤爪をこちらに向けて滑空してくる。
死ぬ。今度こそ、本当に。
『―――邪魔だ』
内なるイグニールの声が、不快感を露わにした。
再び、俺の意思とは関係なく、右腕が持ち上がる。
「やめろ、イグニール! 街の近くだぞ!」
俺の制止も聞かず、漆黒の魔力が右腕に収束していく。
その密度は、先ほど動力炉心を消し飛ばした時とは比べ物にならない。
ヤバい、と本能が叫んでいた。これは、使ってはいけない力だ。
『我が眠りを妨げた咎、その身をもって知るがいい。〝竜王の咆哮〟』
絶望的な威力を秘めた黒い奔流が、俺の腕から放たれた。
グリフォンは、抵抗する間もなく光に飲み込まれる。
―――そして、悲劇が起きた。
グリフォンを消滅させた黒い光は、勢いを失うことなく直進し、前方に広がっていた広大な森へと着弾した。
次の瞬間、世界から音が消えた。
そして、太陽が生まれたかのような閃光が走り、遅れて、地を揺るがす大轟音が鼓膜を叩いた。
「うわあああああああっ!」
爆心地から発生した衝撃波が、俺の体を木の葉のように吹き飛ばす。
何とか近くの岩にしがみつき、恐る恐る顔を上げた俺の目に飛び込んできたのは、信じがたい光景だった。
そこにあったはずの、広大な森が。
―――文字通り、地図から消え失せていた。
半径数キロにわたって、大地が深く抉り取られ、灼熱でガラス化した地面が、月の光を不気味に反射している。
生命の気配は、どこにもない。
ただ、巨大なクレーターだけが、そこにあった。
「あ……あ……」
声にならない声が、喉から漏れる。
これが、〝滅びの竜王〟の力。
世界を滅ぼしかけたという、伝説の厄災の、ほんの一端。
呆然とする俺の耳に、楽しげな声が響いた。
『フン。少しは目が覚めたか、小僧』
『よく覚えておけ。お前が手に入れたのは、こういう力だ。世界を救うも滅ぼすも、全てお前―――いや、我の気分次第』
イグニールの声は、どこまでも冷酷で、そしてどこか愉快そうだった。
『せいぜい、我を愉しませる乗り物でいることだ』
俺は、震えることしかできなかった。
右腕に刻まれた、竜の紋様が、まるで俺を嘲笑うかのように、鈍い光を放っている。
こうして、最弱のFランク冒険者である俺と、最強の〝滅びの竜王〟との、奇妙で、危険で、そして途方もない契約が始まった。
リリを救うという、たった一つの願いのために。
俺は、この身に余るほどの厄災を、その身に宿すことになったのだ。




