第19話『波紋と開幕前夜』
俺の言葉に、ギルドの特設カウンターは一瞬、静まり返った。
受付係は、まるで信じられないものを見るような目で俺を見つめ、どもりながら言った。
「ほ、本気、ですか……? Fランクでの出場は、前代未聞です。万が一のことがあっても、当ギルドは一切の責任を負えませんが……それでも?」
「ああ。覚悟の上だ」
俺が力強く頷くと、受付係は諦めたようにため息をつき、震える手で参加受理のスタンプを押した。
その乾いたインクの音が、俺の覚悟を証明するかのように、やけに大きく響いた。
俺がカウンターを離れると、堰を切ったように、周囲の冒険者たちの囁き声がホールを満たした。
「おい、マジかよ……本当にエントリーしやがったぞ」
「狂気の沙汰だ。一回戦でミンチにされて終わりだろ」
「いや、待て。あいつには何かある。Cランク、Bランク依頼をソロで達成したんだ。俺たちの知らない、とんでもない隠し玉があるに違いない」
「『彗星』のアッシュ……面白い。あいつがどこまでやれるか、見届けてやろうじゃねえか」
嘲笑、侮蔑、そして、ほんの少しの期待。
様々な感情が渦巻く中、俺は誰と目を合わせることもなく、ギルドを後にした。もう、後戻りはできない。
◇◇◇
Fランク冒険者が武闘大会に出場する、という前代未聞のニュースは、瞬く間に都市中を駆け巡り、そして、共同主催者である聖白騎士団の耳にも届いていた。
上層区、聖騎士団詰所。
輝く白銀の鎧をまとったカイン・ウォルフォードは、同僚の騎士からその報告を受け、眉をひそめた。
「Fランクの冒険者、だと? 話にならんな。民衆の注目を集めるための道化でも雇ったのだろう」
「それが、どうも違うようなのです。本人の強い意志での参加だと。名は、アッシュ、とか」
「アッシュ……?」
カインは、その名前に微かな引っ掛かりを覚えた。
彼は自室に戻ると、先日目を通した『森消失事件』に関するギルドの調査報告書を広げる。
事件当日、近隣の危険地帯で活動していた冒険者のリスト。その中に、その名前はあった。
『依頼名:嘆きの螺旋の調査。参加者:アッシュ(Fランク)』
点と、点が繋がり始める。
先日、中層区ですれ違った際に、聖剣『竜封じ(ドラゴンベイン)』が微かに反応した、あの冴えない冒険者。
彼が、アッシュ。
そして、彼が武闘大会に……。
「……偶然、か? いや……」
カインの碧眼が、鋭い光を宿す。
邪竜の気配。危険地帯への単独調査。そして、身の程をわきまえない、武闘大会への参加。
一つ一つは些細なことでも、それらが一つの線で繋がった時、無視できない疑念が生まれる。
「アッシュ……。お前、一体何者だ?」
彼は、大会のトーナメント表を手に取ると、そこに記されたFランク冒険者の名前を、強い警戒心と共に指でなぞった。
◇◇◇
その夜、エリスさんの工房で、俺は一枚のトーナメント表を前に、息を呑んでいた。
「あなたの一回戦の相手が決まりました」
エリスさんが指さした名前は、『剛腕のバルガス』。
ギルドでも有名な、Cランクの重戦士だ。巨大な戦斧を振り回す、猪突猛進型のパワーファイターらしい。
「最悪じゃないか……。あんなのと正面から打ち合えるわけないだろ」
「だから良いのです。彼のような相手は、あなたの『英雄的戦闘術』を披露するには、うってつけの相手ですから」
エリスさんは、バルガスの過去の戦闘データをまとめた資料を俺に見せた。
「彼は、力に頼るあまり、動きが大振りで直線的。足元への注意も散漫です。私が指示するタイミングで、彼の踏み込みに合わせて懐に潜り込み、軸足に一撃だけ入れる。それだけで、彼は勝手に体勢を崩して倒れるでしょう。観客の目には、まるであなたが彼の剛力を軽くいなしたかのように映るはずです」
それは、あまりに完璧で、あまりに精密な『脚本』だった。
だが、ほんのわずかでもタイミングがずれれば、俺は戦斧の錆となる。
「怖いか、小僧」
俺の葛藤を見透かすように、肩の上のイグニールが囁いた。
「……ああ。怖いに決まってる」
俺は、正直に答えた。
恐怖で、今すぐ全てを投げ出して逃げ出したい。
「だが、やるしかないんだ」
俺は、工房の窓から、ライトアップされた巨大な円形闘技場を見つめた。
街は、明日の開幕を前に、祭りの熱気に包まれている。
だが、俺の心は、嵐の前の海のように、静まり返っていた。
リリのために。
俺は、明日、あの舞台に立つ。




