第18話『臆病者の覚悟』
英雄になるのか。
最弱のまま、朽ち果てるのか。
エリスさんの言葉が、俺の頭の中で冷たく響く。
それは、選択肢のようで、実のところ、俺に選べる道は一つしか残されていなかった。
恐怖で、足がすくむ。
観衆の前で戦う? 俺が? 無理に決まってる。
これまで、どれだけ運とハッタリで切り抜けてきたと思ってるんだ。
一回戦で、あっけなく化けの皮が剥がされ、笑い者になるのがオチだ。
だが―――。
脳裏に、リリの笑顔が浮かんだ。
最近、少しずつ顔色が良くなってきた、最愛の妹。
俺が稼いだ金で買った薬で、あの子は命を繋いでいる。
でも、それは、いつまで続く?
俺が、次の依頼で失敗したら? 死んだら?
その瞬間に、あの子の命の綱も、あっけなく切れてしまう。
『星見の羅針盤』。
『竜の心臓』を見つけ出す、唯一の希望かもしれない、一縷の光。
その可能性を、ここで捨てていいのか?
自分の恐怖と、プライドのために?
『フン。まだ迷うか、この愚図が。お前の覚悟とは、その程度のものか』
イグニールの声が、俺の最後の迷いを、容赦なく断ち切った。
「…………やる」
俺の喉から、かすれた声が漏れた。
「やるよ。俺は、その武闘大会に出る」
それは、英雄の決意表明とは程遠い、ただの臆病者の、悲壮な覚悟だった。
俺の答えを聞いて、エリスさんは完璧なビジネススマイルを浮かべた。
「素晴らしい決断です、パートナー。では、これより『英雄プロデュース計画』の第二段階を開始します」
その言葉を皮切りに、工房の空気が一変した。
さっきまでの心理的な駆け引きは終わり、ここからは、実務と訓練の領域だ。
「まずは、大会へのエントリーです。受付は三日後から。それまでに、あなたには最低限の『見栄え』を身につけてもらいます」
「見栄え?」
「ええ。今のあなたは、ただの貧相なFランクにしか見えません。まずは、基礎体力の徹底的な向上。そして、私が考案した『英雄的戦闘術』の習得です」
エリスさんが取り出したのは、分厚いファイルの束だった。
「これは、過去の武闘大会の全出場者の戦闘データを分析し、体系化したものです。あなたは剣の才能も、魔法の才能もない。ですが、唯一、【危険感知】による回避能力だけは常軌を逸している。それを、最大限に活かします」
彼女の計画は、こうだ。
俺は、徹底的に防御と回避に専念する。
そして、相手が疲弊し、一瞬の隙を見せた瞬間、私が指示した『一点』だけを、カウンタースキルとして叩き込む。
それは、派手な必殺技ではない。だが、素人目には、まるで達人が相手の攻撃を見切り、最小限の動きで急所を突いたかのように見える、一種の『演武』だ。
「あなたに求めるのは、強さではありません。観客を魅了する、美しく、そして英雄的な『戦い方』です」
「……本当に、そんなことが可能なのか?」
「可能にさせます。そのための、地獄の特訓です」
◇◇◇
それからの三日間、俺は文字通り、地獄を見た。
エリスさんの工房は、さながら鬼の練兵場と化した。
朝から晩まで、訓練用ゴーレムを相手に、ひたすら回避運動を繰り返す。
ゴーレムの動きは、エリスさんがインプットした、過去の武闘大会出場者たちの剣技や魔法を完全に再現していた。
「遅い! 今の斬撃への反応が、0.2秒遅れました! それでは本番では斬られていますよ!」
「もっと腰を落として! 動きが大きすぎます! あなたは舞踏を踊っているのではないのですよ!」
エリスさんの、容赦ない罵声が飛ぶ。
俺は何度も地面に倒れ、その度に立ち上がった。
全身は痣だらけになり、筋肉は悲鳴を上げた。だが、不思議と、心は折れなかった。
リリの顔を思い浮かべると、まだやれる、という力が湧いてきた。
そして、約束のエントリー受付の日。
俺は、エリスさんに引きずられるようにして、冒険者ギルドの特設カウンターへと向かった。
体はボロボロだったが、その足取りには、三日前の臆病な俺にはなかった、確かな覚悟が宿っていた。
カウンターの受付係は、俺の差し出したギルドカードを見て、信じられないという顔で、俺とカードを二度見、三度見した。
「……あの、お客様。これは、武闘大会の参加受付ですが……お間違えでは?」
「いや。間違いない」
「しかし、あなたのランクは……F、ですよね? 大会には、最低でもCランク以上の実力者しか出場しませんが……」
受付係の戸惑いの声に、周囲の冒訪者たちも「なんだなんだ?」とこちらを見ている。
俺は、そんな視線を真っ直ぐに受け止め、はっきりと告げた。
「俺は、出場する」
その声は、小さく、だが、決して震えてはいなかった。
三日間の地獄を乗り越えた、俺の、新しい声だった。




