第14話『二重の陽動』
巣の出口で、俺は完全に動きを止めていた。
内には、俺を見失い苛立つワイバーン。
外からは、巣へと帰還するワイバーンの咆哮。
まさに、袋の鼠。進むも地獄、退くも地獄だ。
光学迷彩ポーションの効果は、永遠ではない。
焦りが、心臓を鷲掴みにする。じりじりと、命のタイムリミットが迫っていた。
『……どうする、小僧。いよいよ、万策尽きたようだな』
イグニールの声が、嘲るように響く。
『さあ、我が名-を呼べ。命乞いをしろ。さすれば、この矮小なトカゲどもごと、貴様の悩みも消し飛ばしてくれるわ』
その声は、悪魔の囁きだ。
あまりに甘美で、抗いがたい誘惑。
このスイッチを押せば、全ての苦しみから解放される。だが、それではダメだ。エリスさんの計画も、俺の覚悟も、全てが台無しになる。
「……いや、まだだ」
俺は、心の内で叫んだ。
「まだ、打つ手はある……はずだ!」
俺は震える手で、背嚢に手を突っ込んだ。
指先に、硬い金属の感触が触れる。
―――『超指向性音響爆弾』。
エリスさんから渡された、予備の一個が、まだ残っていた。
エリスさんは、これを「親を引き離すため」と言っていた。
そうだ。もう一度、引き離せばいい。
だが、どうやって?
巣の中から、外のワイバーンがいる方向とは別の場所へ、正確に投げる必要がある。
Fランクの俺の肩では、到底届く距離ではない。
(どうする……考えろ、考えろ……!)
その時、俺は巣の地面に転がっている、自分のショートソードに目をやった。
さっき、ワイバーンの注意を引くために投げつけた、刃こぼれの剣。
―――これだ。
俺は、音を立てないように、ゆっくりとショートソードを拾い上げた。
そして、ソニック・グレネードを革紐で柄にきつく縛り付ける。
即席の、投擲器だ。
俺は巣の出口の影に身を潜め、外の気配を窺った。
戻ってきたワイバーンが、巣のすぐ近くを旋回しているのが分かる。
(頼む……うまくいってくれ……!)
俺は意を決すると、ショートソードを遠投用のハンマーのように、ぐるぐると回し始めた。
そして、タイミングを合わせ、戻ってきたワイバーバーンがいない方向―――渓谷の反対側の崖に向かって、全力で投げ放った。
ソニック・グレネードは、俺の貧弱な腕力だけでは到底届かない距離まで飛んでいく。
そして、狙い通り、対岸の崖の中腹で炸裂した。
キィィィィィィィィィィィィン!
再び、空間そのものが震えるほどの超高周波が、灼熱の渓谷に響き渡った。
『GYAAAOS!?』
巣に戻りかけていたワイバーンが、怒りと混乱の咆哮を上げる。
自分の巣とは全く別の場所から聞こえてきた不快音に、その思考は完全に乱されたようだった。ワイバーンは、苛立ち紛れに炎のブレスを吐き散らしながら、音の発生源である対岸へと飛んでいく。
よし!
第一段階は、成功だ。
そして、その外の騒ぎに、巣の中にいた二匹目のワイバーンも気を取られた。
警戒するように唸り声を上げながら、巣の出口から巨体を乗り出し、外の様子を窺っている。
がら空きになった、俺の背後。
今しかない。ここが、最大のチャンスだ。
俺は、脱出のために駆け出そうとした。
その、瞬間。
―――チカッ。
視界の端で、何かが点滅した。
俺は、自分の手を見る。
光学迷彩で透明だったはずの指先が、一瞬だけ、輪郭を取り戻し、そしてまた消えた。
(まずい……!)
ポーションの効果が、切れかかっている。
もう、一秒の猶予もない。
俺は、最後の賭けに全てを懸け、巣から飛び出した。
眼下に広がるのは、数十メートルの崖。
ワイバーンが完全に背を向け、ポーションの効果が完全に切れる前に。
―――地面にたどり着くのが先か。
それとも、見つかって喰われるのが先か。
俺は、灼熱の岩肌を、転がるように駆け下り始めた。




