第13話『死線上の三分十五秒』
巣の奥の暗闇から現れた、二匹目のワイバーン。
その金色の瞳が、卵泥棒である俺を、明確な殺意と共に捉えていた。
グルルルルルルル……。
喉の奥で鳴らされる、地獄の釜が開くような低い唸り声。
一匹目よりもさらに巨大な体躯が、巣の出口を完全に塞いでいる。
逃げ場は、ない。
「……そ、そんな……」
87%の成功率。
俺は、残りの最悪な13%を、見事に引き当ててしまったらしい。
『フン。だから言わんこっちゃない。女の浅知恵に頼るから、こうなるのだ』
イグニールの呆れたような声が、頭の中に響く。
『代われ、乗り物。我がこのトカゲもどきを、まとめて炭にしてくれるわ』
「……だめだ」
俺は、震える声で拒絶した。
「お前が力を解放したら、この渓谷ごと消し飛ぶ……! 約束が、違うだろ……!」
『ではどうする? このまま、あの牙で頭から喰われるか?』
その通りだった。
目の前のワイバーンが、ゆっくりと、しかし確実に、俺との距離を詰めてくる。
熱い呼気が、俺の顔を撫でた。死の匂いがした。
絶体絶命。
その、極限の状況下で。
(……ポーションだ)
エリスさんがくれた、最後の切り札。
高濃度・光学迷彩ポーション。効果時間は、三分十五秒。
これしかない。
だが、ポーションを懐から取り出し、飲むまでの、ほんのわずかな隙すらない。
どうする? どうすれば、一瞬の隙を作れる?
ワイバーンが、大きく口を開けた。鋭い牙がずらりと並んだ顎が、俺に襲いかかる。
【危険感知】が、脳内で絶叫していた。
(―――今だ!)
俺は、咄嗟に腰のショートソードを引き抜くと、それをワイバーンの顔めがけて、全力で投げつけた。
Fランク冒険者の、やけくその一投。
刃こぼれだらけの剣は、ワイバーンの硬い鱗に弾かれ、カン、と甲高い音を立てて地面に落ちた。
だが、それで十分だった。
ほんの一瞬、ワイバーンの注意が剣に逸れた、その隙。
俺は懐からカプセルを取り出し、口の中に放り込み、奥歯で噛み砕いた。
苦い液体が、喉を灼く。
次の瞬間、俺の世界から、俺の「存在」が消えた。
いや、違う。俺はここにいる。
だが、ワイバーンからは、俺の姿が見えていない。匂いも、魔力も、何もかもが、完全に遮断されているのだ。
『GRRR……?』
目の前で獲物が忽然と消え、ワイバーンは明らかに混乱していた。
きょろきょろと巣の中を見回し、鼻を鳴らして空気を嗅いでいる。だが、俺を見つけることはできない。
(……やった!)
俺は音を立てないよう、慎重に、ゆっくりと後ずさる。
ワイバーンの巨体の脇を、息を殺してすり抜けていく。
心臓の音が、やけに大きく聞こえた。
巣の出口まで、あと数メートル。
外の、灼熱の光が見える。
(いける……!)
俺が、希望を抱きかけた、その時だった。
『GYAAAAAAAAAAOOOOOOOOS!』
外から、空気を震わせる咆哮が聞こえた。
一匹目が、戻ってくる。
まずい。
このままでは、巣から出たところで、二匹に挟み撃ちにされる。
ポーションの効果が切れるまで、あと、どれくらいだ?
焦りが、全身を駆け巡る。
一秒、また一秒と、命の砂時計の砂が落ちていく。
俺の、死線上の脱出劇は、まだ終わっていなかった。




