ep32 絶体絶命
雀女は金属製の扉を何度も強く叩いた。
「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」
突然閉まった扉からは嫌な予感しか感じられない。状況が全く分からない雀女は、龍我の安否を第一に心配した。
「うるさいですよ。夜中なので静かにしてください」
「あっ、すみません。でも私の兄がこの先に……って」
途中まで自然と会話をしてしまったが、よく考えたらおかしい。家族を除いて現在研究所にいるのは葉加瀬のみ。その葉加瀬は就寝中なのでここにいるわけがない。
凛々しさと可愛らしさが混じった声に、丁寧な口調。思い浮かぶのは一人の人物である。
「ハミータさん!?」
振り返って答え合わせをすると、想像通り、そこにいたのはハミータであった。
「やはりあなたは……最初から挙動が怪しかったのですぐに分かりました」
ハミータは警戒態勢を取っている。相手にモップのグリップ部分を向け、鋭い目つきでにらみつけていた。
「そ、そんな……じゃあ警備がザルだったのは……」
「いえ、それは元々。葉加瀬様は信じて疑っていませんでした」
ハミータは正直な人だった。警備が大雑把なのに他意はなく、ただ不用心なだけ。研究所としてはいかがなものか。
「あっ、そうなんですね……」
雀女は触れちゃいけない部分なのだと感じた。一瞬だけショックを受け、迫真の顔を見せた事が少し恥ずかしくなる。
「家事スキルは素晴らしかったので少々残念です。手荒な真似はしたくないので降伏してください」
ハミータはモップのグリップ部分を雀女に軽く当てる。
「ち、違うんですよこれは! えっとその、夜中に急に掃除がしたくなって……」
「今の会話の流れで言い訳できると思ってるのですか? どうあがいても無理ですよ」
呆れた顔をしたかと思えば、間髪入れず雀女の腹を突いた。先端が尖っていないとはいえ、手加減なしの容赦のない突きはかなりの衝撃があった。
「あだっ! ううっ……痛いのだけはお許しください……」
雀女は涙目になり、お腹を押さえながら膝を床に付けた。
龍我は電動ドリルで閉じてしまった扉に穴を開けようと試みる。
「ちくしょっ、ビクともしない……!」
扉は異常なほどに硬かった。電動ドリルのほうが押し負けてしまい、先端が紆曲してしまった。
「はあぁ……どーすりゃいいんだぁ……」
外へ続く道は入口以外に存在しなかった。外からは窓ガラスが確認できるのだが、内側から見ると壁で埋め立てられており、各部屋からは窓ガラスに触れることすらできない。
完全に閉じ込められたことを確信し、頭を抱えて扉に寄りかかる。
「シンマオー、あのボタンは何で押したんだ」
扉が閉まったきっかけがあのボタンだと大体想像が付く。問題は何故シンマオが押したかだ。
「ワタシ、部屋から出る前、このボタンを押さなくてはいけないアル」
「……それは葉加瀬から言われたのか?」
「そうアル。だが、ハカセは部屋から出てはいけないと言たアル」
そこまで聞いて龍我は理解した。シンマオは言われたことには従うアンドロイド。その性質を脱獄対策として利用したというわけだ。
「シンマオなぁ……なんで言う事聞くんだよ」
しかし、理解できても納得できるものではない。
「リューガ、ハカセの言う事を聞けと言ったアル」
シンマオは言われたことには従うアンドロイド。過去の発言との矛盾している龍我の方が、彼女にとっては理解できないのだろう。
「そうだった……ごめんよ……」
元を辿れば自分の発言が発端であった。もしあの一言が無ければ、こうはなっていなかったかもしれない。龍我は自分の安直な発言を悔やみ、良心の呵責が激痛を誘う。
「……ここの生活、嫌じゃなかったのか?」
今度はシンマオの気持ちを確かめようとした。
「嫌アル。ワタシ、リューガといたほうがいい気持ちだたアル」
迷うことなく即答する。個室に閉じ込められ、実験のために言いなりになっているだけの生活が、嫌じゃないわけがなかった。
「そういう事なら相手の言う事に背くのも大事だ。もちろん、それが俺の言葉だったとしても……。逃げたいって思ってたなら、逃げても良かったんだぜ」
自分の言葉には公開しかない。贖罪のつもりで、逃げてもいいということを教えた。
「逃げる? ワタシは逃げたいとは思ってないアル」
ところが、シンマオは〈逃げる〉という単語自体に引っ掛かりを感じていた。
「いやだから、嫌な気持ちになってるんだろ?」
「嫌な気持ちになったら、逃げるものなのカ? 何から逃げるのカ?」
その言葉を聞き、龍我はハッとした。
「えぇ……そう、なのかぁ。分かんねえよなぁ……」
シンマオの思考回路は人間のそれとは別物である。ゆえに、嫌なことから逃げるという相互関係すら理解できない。
そこに気付いた龍我は、自分が持つべき責任の重さを痛感した。ただシンマオを引き取ってくれる人を探すだけではなく、その先で良好な関係を築いたり、不平不満をぶつけたりできるよう、教育する必要もあったのだと。
責任を放棄して他人に預けてしまった自分が、後悔を通り越して憎くなり、辛気臭い表情になった。
しかし、恨んだところで状況は変わらない。とてつもない自己嫌悪に陥り、龍我はめそめそと涙を流し始める。さらには立ってすらいられなくなり、体育座りでしゃがみ込む。
「リューガ、どうしたアルか? ワタシ、悪いことしてしまたアルか?」
「ぢがう……悪いのは俺だあ……うっ、うぐぅ……」
シンマオに慰められることが、龍我の心をさらに締め付けた。
「ワタシ、リューガの何が悪いか、分からないアル」
「いや、俺のせいで……ひっぐ、シンマオが嫌な気持ちになったんだぞ……! 悪い奴だろ……」
目尻から溢れる悔し涙は、どんどん大粒となっていく。言葉にすることで、より責任がのしかかってきたのであった。
そんな龍我の横で、シンマオは同じく体育座りをした。
「ワタシが嫌な気持ちになって、嫌な気持ちになる人は、悪い人じゃないアル」
首を少しだけ傾け、龍我の顔を覗き込む。励ましているのか、同情しているのか、真顔なので判断がつかない・
「ワタシ、間違っているカ?」
「……ありがとう」
シンマオの真意は分からない。だが、果てしない優しさを感じ取ることはできた。それにより、龍我の心は温められ、淀んでいた気持ちが少し軽くなった。これだけは変えられない真実である。
「絶対、絶対ここから出してやるからな」
今、自分がすべきことを思い出し、龍我は脱出を宣言した。




