No.69 深紅の戦場②
難民が寄り集まって形成する大規模キャンプにアークはやって来た。大小無数のテントが所狭しと寄り集まり、1つの集落のようになっている。身なりの整ったアークはそこであからさまに浮いてしまっていた。
「本で読むのと、実際に見るのとじゃあ全然違うなあ……」
粗末な服を着て、髪の毛はぼさぼさ、全身が土埃にまみれた人々。眉間にしわが寄り、凝り固まったような男性、怪訝そうな目で見てくる婦人。そして無邪気に走り回って遊ぶ子ども。
「すみません、ちょっとお尋ねしたいことがあるんですけど」
テントの日陰に布を敷き、そこでカードをしていた男性達にアークが話しかける。じろりと睨みつけられ、引きつりながらも笑顔を見せた。
「この辺りに金髪で、品の良さそうな、僕くらいの子どもと、目つきが悪くて、見るからに陰湿そうな男の2人組って見たことありませんか?」
「そりゃあ……フリードか?」
「……フリード? 誰ですか、それ」
自分の手札をばんと放り出し、男はアークの手首を掴んで座らせた。
「今、このリジュール地方を制圧出来るだけの力を持った傭兵だ」
「傭兵……?」
「金さえ積まれれば、どこの味方にもなる。連中が出ればどんな戦況だろうとひっくり返る。圧倒的な力で制圧して、どんな勢力にも加担する。このリジュールを荒し回る悪魔だ」
「悪魔……。それで、そのフリードって言うのと一緒に、ぼくと同い年くらいの子どもがいるんですか?」
「違う、違う。フリードがお前と同じくらいの子どもなんだ」
「……ええ?」
もしかしたら人違いかも知れない。メイジがどうして悪魔だなんて呼ばれるほどの傭兵になってしまうのかも結びつかない。
「本当に?」
「本当さ。――ところで、坊主。おれはお前に貴重な情報を喋ってやった。もちろん、見返りはあるだろうな?」
握られていた手首に力が入るのを感じた。少し痛い。分かった、分かった、とたしなめながらアークは地面に指で魔法陣を描いた。
「ぼく、これでも魔術師なんだ。この辺りって水源がないんだよね。だから、ここに井戸作ってあげるよ」
描いた魔法陣に手を置くとその周囲の地面が光、直径2メートルほどの穴が深くまで空いた。驚いた周囲の人間が後ずさるが、まだ光は収まらない。穴の縁からレンガがせり上がり、井戸になる。そこで光はなくなり、アークはポケットから手の平大の石を取り出し、両手で握り締めた。またそこに魔法陣が刻み込まれると、一気に水が溢れ出す。
「うわっとと……」
慌てて井戸の中へ放り込むと、アークは笑ってみせた。
「多分、2年くらいは枯れないと思うよ。水が出なくなったら、ぼくのところまでご一報ください。また何かお話してくれれば直すからさ。あ、名前はアーク・ディファルト。二代目グランギューロ・グランエイドを襲名するかも知れないから、その時はそっちにね」
名刺を取り出して男に渡すと、そのまま踵を返してアークはキャンプを出て行った。井戸の周りに人が大勢集まり、はしゃいでいるのを尻目に見ながら。
「フリード様、昨日から各地で妙な状況が起きています」
リジュール地方の岩山をくり抜かれて作られた砦に彼はいた。ハンモックで揺れながら、何やらたそがれていたのだがそこに髭面の男が駆け込んでくる。広い空間で砦の上部の壁がくり抜かれているので非常に風の通りが良い。日陰であることも重なり、涼しく快適な場所だった
「……妙な状況?」
寝返りを打ち、部下に背中を見せながら少年が尋ねる。中指にはめられている冠のリングをじっと見つめていた。
「赤い髪の子どもが戦場に現れて、そこにいる全員を倒すんだそうで……。しかも、1人も殺さないで。うちの者もやられました」
「やっぱりアークなんだ……。分かりました、じゃあ、ちょっと会いに行きましょう。それにしても、何しに来たんでしょう……」
ハンモックを降りると、彼は大きく伸びをした。品の良い、金細工のネックレスが揺れる。
「下がっていいですよ。あと、今日で解散と伝えてください。君が次のボスでもいいですから。ぼくは辞めます」
「え、な……?」
戸惑う部下をよそに彼は棒にかけられていたコートを身につけた。美しい金色の毛皮だ。
「フリードは終わりにするって言ったんです。教えてあげますよ、ぼくの本名。メイジ・J・グヴォルト。いずれ、この地を手に入れます」
ぽんと部下の肩を叩いてメイジが砦を出て行く。通路に出ると、その入り口に控えていたフードを被った青年が脇についた。
「どこへ行く?」
「アークが来ました。会いに行きます。ここも終わりですね。知り合いにばれるのはちょっと嫌なので」
「……戦うのか?」
「そうですね……。ちょっと気になるんで、そういう状況になったら。ダウンも戦いたいんですか?」
「いや。あの小僧には興味がない」
「……そうですかね。多分、彼に会ったら、ダウンでもその気になると思いますよ」
コートを翻しながらメイジが砦を出る。ぎらつく太陽の下へ出ると、目の前にプレートに乗ったアークが降りてきた。対峙し、2人が互いに驚いたような顔をする。
「メイジ、そのコートいいね」
「アークこそ、その乗り物は何ですか?」
2年ぶりの第一声。それから互いに、変わらない友に笑顔をこぼした。
「これはね、ぼくの造った次世代魔術具。ノアって言うんだ。これだけあれば何でも出来る優れもの」
「魔術具を自分で造れるのですか?」
「うん。すっごいスパルタで修行されてさあ……。何回死ぬかと思ったか……。メイジも見違えちゃったね。何してるの、こんな場所で」
ノアから降りると手の平サイズのプレートに戻った。それをポケットに入れ、アークが尋ねる。メイジが背にしている岩宿を気にしながら。
「武者修行のようなものですよ。地位や権力といった力が失われた時、自分を守るのに必要なものは武力です。だから、ここでずっとその力をつけていました」
「ふうん……。メイジはフリードって人と知り合い? 何か、メイジのこと聞いても、代わりにフリードっていう人の情報に辿り着いちゃってさあ」
「それはぼくですよ。さすがに本名で傭兵集団の首領を名乗る訳にはいきませんから。グヴォルトから大量の兵士がぼくを探しにきてしまいます」
苦笑するメイジだが、アークは笑っていなかった。
「学長にお願いされて、メイジのことを連れ戻しに来たんだけど……帰るつもりはないよね」
「ええ。ちょうど、この傭兵集団を辞めたところです。次はどこに行こうか考えてるんですけれど、いい場所知りませんか?」
「連れ戻そうとしてるから、何ともなあ……。そうだ、ぼくの田舎とかどう? いいところだよ。湖畔の村でね、静かで、考え事したり、読書したり、のんびりするのにぴったり。多分、ぼくの友達って言えば良くしてくれるよ」
「それはいいですね。……けど、そこへ行くにはアークをどうにかして退散させなければなりませんね」
「うん。……あんまり戦うのは好きじゃないんだけどね」
「そうですか。ぼくは好きですよ。誰にも負けない力をつけたいので、誰とでも戦いたいと思っています」
メイジがコートの裏から銃を取り出した。グリップに対して銃身が長く、飾り物のような印象を受ける。だが、メイジの細められた目を見ると、脅しの道具ではないことが分かった。
「ダウン、絶対に手出しはしないでくださいね。……どれくらいアークが強くなったか、どれくらい、ぼくは強くなれたのか。はっきりさせたいので。それでは行きますよ、アーク」
メイジが拳銃の引き金に指をかけた瞬間、アークはノアを出した。銃声とほぼ同時にそれが防がれる金属音が鳴り響く。小さいままのノアが銃弾を防いだのだ。メイジが続いて3発、4発と発砲するが全てをノアが防ぐ。
「さすがは優れものですね……!」
メイジが銃をコートに戻すとまっすぐ走り出した。ノアがアークの右腕に巻き付き、手甲の形態と取る。メイジの拳をアークが右腕で受け止めた。激しい反発が起きて両者が後ろへ跳んで距離を取る。
「メイジ、こんなに強かったっけ……?」
「いえ。強くなったのです。アークと同じように――」
次の瞬間、アークの足下に大きな下方配置魔法陣が展開されて凄まじい光の奔流が柱となって大地にそびえた。