地下1階(2)
「あ、危なかったな……。助かったよ、ラルフ」
「お安い御用だぜ……こん、くらい……な……ハァ」
そうは言ったが、ラルフは頬が上気して、息も絶え絶えだった。
俺を担いだラルフは、そのまま全速力で迫る壁から逃げ、そのまま何度分かれ道を曲がったのだろう。
数えることも諦めた頃には、迫る壁はなくなっていた。
「壁はもう迫ってこねェみたいだぜ、おい、大丈夫かァ?」
「あぁ、もちろん。……だけど、どこがどこだか全然わからなくなっちゃったな」
「あァ」
そういって見上げる景色は、前も後ろもどこもかしこも反り立つ壁。
相変わらずよじ登れる高さではない。
右も左もわからないが、それでも上に昇る方法を探すしかなさそうだ。
「……ほかの皆の気配とか、匂いってわかるか?」
そう尋ねると、ラルフは初めて俺の顔をじっくり見た。
それから何故か恥ずかしくなったかのように顔を反らすと、辺りをきょろきょろとした。
「……いや、しらねェ。他のやつの匂いは……感じねェな。……近くには多分いないみたいだぜ」
「そうか、仕方ないな」
そうして成す術のなくなった俺たちは、視界を塞ぐ壁を前に途方に暮れた。
「……少し歩こうか」
「……あ、あァ」
俺の提案にラルフはうなずく。
その時、思い出したことがあった。
「……そうだ。左手の法則って知ってるか?」
ラルフはきょとんとした顔で「知らねェな」と答える。
「壁に左手をついてそのまま進む方法なんだ。そうすることで、いつかはゴールにたどり着ける」
ラルフの眉間には皺が寄っている。
どうやらその表情からいまいち伝わっていないようだ。
「……まぁ、少し歩いてみようか。このまま立ち止まっていてもどうしようもなさそうだ」
そういうと、ラルフはこくりと頷く。
そうして二人で途方もないこの巨大迷路を歩き出した。
*
————足が疲れてきた。
あれからしばらくの時間が経ったはずだが、特にこれといったアクシデントもなくひたすら歩き続けていた。
アクシデントといえば、突然おもちゃの蜘蛛が降ってきたり、たまに片足が落ちるくらいの大きさで床がずぽっ、と抜けたりするくらいのものだった。
その度にラルフは舌打ちを繰り返していた。
————どう考えても、魔女の奴がおちょくっているようにしか思えない。
隣を歩くラルフは疲れこそ覗かせないが、その表情からは間違いなく苛立ちの感情が読み取れた。
そんなことを考えていた時、久しぶりにラルフが口を開いた。
「なァ、オメェはどうすんだよ」
その問いの意味が、一瞬、わからなかった。
しかし、すぐにこのゲームの内容を言っているのだと、気づいた。
ラルフの顔は真剣で、その瞳がチラリと俺の左手首についた腕輪を見たからだ。
俺の腕輪には真っ赤な石が1つ。
5つある穴の1つにしっかりと収まっていた。
「……そうだよな」
俺は————。
優勝して最上階の魔女に会わなければならない。
だって、もしも別の誰かが石を5つ集めてしまったら。
呪いを解く方法————『俺と真実の愛を手に入れること』———それを、知ることになる。
でもそれを知ったところで、もう呪いを解くことはできなくなる。
だって、それは全て————『偽り』だから。
「……ラルフは、どうするんだ?」
そう応えた俺は、相変わらず狡い奴だった。
すると、ラルフはフー、と大きく息を吐いた。
そして大きく息を吸い込んだかと思うと、
「オレは……勝つ!!」
「!」
その余りの声の大きさに自身の鼓膜が震えたのがわかった。
そして、その声の反響が収まると、ふいに辺りにまた静寂が訪れた。
ラルフはそれから、こちらを鋭い目で睨んだ。
余りの凄みに俺は一瞬怯んでしまった。
「……オメェにも邪魔させねェ」
その瞳の奥からは強い闘争心が見えた。
俺は慌てて自身の左手首を右手で抑え、姿勢を低くした。
するとラルフは、しばらくそれを見つめていたかと思うと、
ふいに優しい表情へと戻っていった。
「今すぐオメェのを取ろうとしたりしねェよ。……最後はわからねェけどな」
その言葉に自身の心臓がドクドクと波打つのを感じる。
手の平がジンワリと汗ばんで濡れているのがわかった。
「……あ?」
その時、今までの緊張感には似つかわしくないラルフの声が聞こえた。
俺は先ほどの会話の内容を振り払うように、首を思いきり振るとラルフの方を見た。
「……これを見てみろ」
そういってラルフはその屈強な身体を小さく折り畳んで、床のある一部を指差した。
よく見ると何かを擦ったような跡が連続して見られた。
「……もしかして、これって最初の……動く壁のあった」
「……」
そのラルフの顔からは絶望の顔が読み取れた。
つまり、迷路を無駄に一周してしまったことになる。
ゴールは見つけられないまま。
————突然の徒労感に、身体中が支配されていくようだった。
その時、ある事を思い出す。
「……左手の法則で必ずゴールが見つかるためには一つ条件があるんだ」
そういうと、ラルフが真剣な面持ちでこちらを見つめる。
「ゴールが必ず外周の壁沿いにあること。……俺は、上に昇る階段がこの地下フロアの端にあるものだとばかり思ってた。……普通の迷路ならそのはずだ、出口は外にある」
「……なるほど、な」
「でもここは魔女の館だ。ただの迷路だなんて面白味がない。何か出るための仕掛けがあるのか、もしくは、このフロアの中央がゴールの可能性もある……」
「面白味……かァ。オレにはわからねェな。……オメェ、随分あの魔女の奴の考えがわかるんだな」
何の他意もないはずのラルフの言葉にどきりとした。
俺は魔女とほとんど話したことがない、と皆が思っている。
今までも気を付けていたが、ここは魔女の城だ。
不用意に魔女の考えを探る発言は控えた方がよいな、と改めて思った。
————そんなことを考えていたその時だった。
「……獣クセェ!」
その声に、俺がラルフと同時に後ろを振り返った瞬間。
右を歩いていたラルフが振り返ると同時に、その脇をさっと小さな『何か』が通り抜けたのが見えた。
慌てて前を向くと、
————そこには、小さな緑色の見慣れた『生き物』が居た。
「なんだ」
————その瞬間、少し安堵する。
「……ルイ?」
俺がそう声をかけると、ルイはちらりと顔をこちらに向けた。
「!」
「!」
その口元には、キラリと光る————緑色の石が収まっていた。




