毎晩の儀式
「た、ただいまー……」
初日の修行を終えて、ヘトヘトの状態でギルバートの家に帰ってきた。
ただいまと呼びかけた声は、暗闇の中で響くのみで、応答する声はない。
「で、ですよねー……」
リビングに入ると、そこではギルバートがソファで本を読んでいた。
ギルバートは俺の疲れた顔を一瞥すると、それで全てを察したのか、また目線を手元の本に戻した。
「な、なんか言葉あるだろ!?」
俺がそう言うと、ギルバートはひどく面倒くさそうな顔をした。
「なぜお前と話さなきゃならない」
ギルバートは視線を本に向けたまま、早口でそう言った。
それきり二度と言葉を発さず、こちらを見ようともしなかった。
やはり、俺は相当に嫌われているようです。
だがしかし、―――それならそれでやり方はある。
了承を取ることなく、静かにゆっくりと、ギルバートの座るソファの隣に腰を掛けた。
「あの師匠は、ギルバートの師匠でもあるの?」
しかし、無視。
少し屈んで本の表紙に目を向ける。
「ねぇねぇ、何読んでるの」
しかし、無視。
だ、だめだ―――。
ここまで無視されると、流石の俺でも心が折れる。
直接ギルバートに触れてイタズラをしかけようと思ったが、本当に怒られそうだと直感して止めた。
仕方なく、この家のリビングのものを物色し始める。
俺が寝かされていたベッドの部屋と同じで、このリビングも殺風景だ。
しかし2人が十分に座れるソファも、ダイニングテーブルもある。
―――ギルバートの家系は金持ちかもしれない。
なら、魔術闘技祭の優勝賞金なんて欲しいのだろうか?
その時、ふと伏せられたままの写真立てが目に入った。
俺がそれに手を伸ばそうとしたところで、
「いい加減にしろ」
と声が聞こえた。
いつの間にか、ギルバートが横に立っていた。
「ご、ごめん、つい」
ギルバートはその写真立てをつかむと、部屋を立ち去ろうとする。
どうやらいい加減しつこく怒らせてしまったようである。
ギルバートがドアノブに手をかけ、部屋を出て行くところで、立ち止まった。
「22時になったら部屋へ来い」
ギルバートは振り返ることなくそう告げ、すぐにバタンと勢いよく扉の閉まる音がした。
ソファには先ほどギルバートが読んでいた本がそのままにされていた。
*
『魔獣闘技祭終了までの毎日、毎晩22時にギルバートに魔力を譲渡する。』
それが初日に俺とギルバートの間で交わされた約束だった。
ギルバートの魔術不足は相当に深刻な様子らしい。
魔女に聞いたことではあるが、魔術師は体内の魔力が極端に枯渇したり、逆に溢れたり、と制御できなくなると体調を崩してしまうらしい。
俺はギルバートの部屋の前でドアをノックする。
「入れ」
ドア越しに聞こえたその一言だけで、ギルバートが不機嫌であることがわかる。
俺のことが、さぞ嫌いなようだ。
まぁ、それも仕方ない。
命を助けた上に、こんな生意気な提案を持ちかける、性格の悪い人間がいるだろうか。
「来たよ」
―――しかし、俺は真実の愛を手に入れなければ助からない。
そのためには、できる限りの対応策をとらなければ。
扉を開けた目の前には不機嫌に歪むギルバートの顔。
ああ、やっぱりギルバートの顔がたまらなく好きだった。
綺麗に整えられた眉の間には、皴が寄っていた。
ギルバートは無言で左手を差し出した。
その目が早くしろ、と訴えている。
俺は心の中でほくそ笑む。
無関心になんて、させてやらない―――。
俺はギルバートの左手首を取ると、その被せられた白い手袋をゆっくりと外した。
するとその瞬間に、ギルバートは手を引っ込めた。
ギルバートの顔には明らかに怒りが滲んでいる。
「なんで取りやがる。そのままでいいだろ」
ギルバートに好かれないなら、その鉄壁な感情を揺さぶるのなら。
―――君には、思う存分、嫌われるしかない。
俺はギルバートの前で、いつになく真面目な顔をした。
「効率的に魔力を渡すためだよ。ギルバートも早くこんなことは終わらせたいだろ?」
そう言うと、ギルバートは目線を少し上げ、その後盛大にため息を吐いた。
そして諦めたように手袋の外された左手を再び俺の前に差し出した。
「早くしろ」
「仰せのままに」
俺は笑顔のまま、その左手を、両の手で優しく包み込んだ。
ギルバートの手の体温が直に伝わってくる。
思ったよりもその手は温かく、少しだけ汗ばんでいるようだった。
顔を上げると、ギルバートの眉間の皴が、より一層深く刻まれていた。




