4話:不都合な事実
「して昨夜のことだ。ラフラカーン、あの人族たちがオレに何をしたか、包み隠さず話せ」
「はっ。ディセリーヌ様」
名前を呼ばれて反射的に答えたものの、ラフラカーンは正直に話していいものだろうか?と一瞬ためらう。
「話すのだ」
「ははっ」
もともと短気で我慢強くないディセリーヌが仁王立ちから腕を組み、ものすごい威圧でラフラカーンをにらみつけている。もっとも身長はディセリーヌが145セメルほどのため、180セメルのラフラカーンを見上げる形になっているのだが。
観念したラフラカーンは話し始める。
「昨夜、ディセリーヌ様はいつのもの様に暇つぶしと憂さ晴らしのため覆面をして、森獄を散策されました」
「憂さ晴らし、は余計だ」
「ははっ。…散策領域はいつものようにノベリア様の支配領域ギリギリから始めました」
ノベリアはディセリーヌに隣接する支配領域を持つ、序列11位の魔将だ。ディセリーヌとは性格的も魔力のエレメント的にも相性が悪い相手だ。
またディセリーヌ自身が自らの領域の魔獣をほぼ狩りつくしてしまったので、獲物を求めて『ギリギリ』という名の越境行為を度々しており、そのことでこの200年ほどはさらに関係が険悪になっている。
もっとも越境行為をするのはノベリア側も同じだったが、序列の関係でノベリアの領域はディセリーヌ側よりやや広い。そのためノベリアにはディセリーヌよりもいくばくか余裕があった。
「小型の魔獣を2匹仕留めた帰りに反対側の領域、人族との境界緩衝帯付近で、若い…いや幼い人族の男女2名を発見しました。人族はいずれも武装はしておらず、徒歩で移動していたようです」
「うむ、オレの記憶では成人していない男女で、とうてい兵士には見えなかった。農民の姉弟の様だった」
「そこでディセリーヌ様は人族たちの前に立ちはだかり、詰問されました。『ここで何をしているのか?』と。しかし二人は突然現れたディセリーヌ様に恐れおののき、答えることができませんでした。女の人族が幼い男をかばって前に出るも、震えるだけでした」
「そこはオレも覚えておる。…その先だ」
「…はっ。その幼い人族の男ですが、最初は女の人族の陰に隠れておりましたが、急に進み出て、ディセリーヌ様の前に立ちました」
「それで?」
「人族の男は不敬にもディセリーヌ様に顔を近づけ、何かをささやきました。すると…」
「…すると?」
促されるも、ラフラカーンは最後に迷う。はやりそのまま伝えてよいものだろうか?と。
するとギチギチギチと嫌な音が聞こえ始めた。
ディセリーヌは腕組みをして立っているだけなのだが、その足元から音が聞こえる。
見ると、ディセリーヌの背が少し縮んでいた。
いや違う、床にディセリーヌの足がめり込んでいるのだ。それも両足の踵あたりまで。
見れば、腕組みも気持ちに余裕があるからではなさそうだ。それどころか、両手で反対の腕を爪を立てて握りしめ、自分の胸を抑え込んでいる。暴発寸前、まったなしの状態である。
「はやく…話せ」
ディセリーヌの絞り出したような小さな声を聞き、ラフラカーンは覚悟を決めた。
「…人族の幼い男がディセリーヌ様に何をささやいたかは私には聞こえませんでした。しかしその後、ディセリーヌ様はとてつもない衝撃を受けたような表情になり、…人族の前で突然四つん這いになりました」
「…よ、四つん這いだとう?」
またギチギチギチ、と嫌な音が鳴る。今度はかなり大きい。
ディセリーヌはすでに足首あたりまで床に沈んでいる。どうやら破壊の衝動を抑えるあまり、ディセリーヌ自身も気づかないうちに踏ん張りすぎて分厚い木材で張られた床を踏み抜いているらしい。
「さらにディセリーヌ様は四つん這いのまま回れ右をし、人族の幼い男の前に…その、お尻を向けました」
「・・・し、・・・り?」
「もちろん服を脱いで肌を見せたわけではありません。人族の男は不敬にもディセリーヌ様のお尻を片手で叩くと、女を連れて走り出しました。ディセリーヌ様は、その、…気を失ってお倒れになりました!」
意を決してラフラカーンが最後まで言い終えると、その場に奇妙な沈黙が下りてきた。
ラフラカーンが恐る恐るディセリーヌを見ると、さっきまでの暴発寸前の状態はどこへやら、ポカンと口を半開きにして思考停止状態に陥っていた。
しばらくして、ようやくディセリーヌがのろのろと独り言のようにつぶやきだした。
「このオレが…見知らぬ人族の男に尻を叩かれた…と?」
「その通りでございます。ディセリーヌ様はその後、気を失ったままで、私はその介護とディセリーヌ様の動向を見張っていた魔獣を捕獲いたしました」
「それがさっき殺したノベリアの蟲か?」
「その通りでございます。ノベリア様への明らかな敵対行為となりますが、あの現場の目撃者はすべて確保する必要があると考えました」
「それはよい…して、その人族どもはどうした?」
「はっ。追って殺すことはいつでもできますので、後にディセリーヌ様の裁可を仰ごうとその場は見逃しました。その後、私は目を覚まさないディセリーヌ様を城へとお戻ししました」
誇り高き魔将の一人であるディセリーヌ。
好戦的で気が短く、容赦のないディセリーヌ。
それが幼い人族の男に尻を叩かれ、あまつさえ気を失ってしまうなど想像することすら難しい。
だがその光景を実際に見てしまったラフラカーンは、あまりの現実感の無さに幻術か精神魔法を疑い、ディセリーヌをその場から救って距離をあけた時には、人族たちが逃げ出していた--というのが、実情に近い。
そして「追って殺すことはいつでもできる」というのはラフラカーンにとって誇張でもなんでもなく、今でもそれは可能だ。
またその場にいた獣人を捕獲したのは、ノベリアへの報告阻止を優先するためである。
ディセリーヌはまだ完全に再起動していないのか、口はまだ半分開いたままで目も泳いでいる。
だがラフラカーンの言葉をきっかけに徐々に思い出してきた記憶の断片が、その報告を真だと裏付ける。そしてそもそもディセリーヌによって「隷属の水晶」を埋め込まれたラフラカーンが嘘をつく可能性はゼロなのだ。
ただし。
ラフラカーンは嘘はついていないが、報告していないことが一つあった。
それは、尻を叩かれたディセリーヌがとても気持ち良さそうな、蕩けそうな顔をしたことだ。
そんなディセリーヌの表情は、ラフラカーンが従者となったこの数百年の間で一度も見たことがない。
そこでラフラカーン自身も「やはり精神魔法か幻術を受けた可能性がある?」と考え、自分の見たことが真実か確証が持てずディセリーヌへの報告には至らなかった。
「…その人族は、オレに何を囁いたのだ?」
「それは私には分かりません。聞こえませんでしたし、音声ではない可能性もあります」
少しずつ記憶がよみがえってきたディセリーヌ。屈辱と怒りがとめどもなく湧き上がってくる。だがふと自分の広い寝室の壁に殴り書きされたような文様に目を止める。
「対精神汚染魔法の結界…ラフラカーン、お前の仕業か?」
「はっ」
ディセリーヌは部屋の中を見回し、ラフラカーンの意図を知った。
そこにはおそらく急いで描いたと思われる、精神汚染や洗脳・奴隷化に確実に対抗する魔方陣が3重で描かれており、ラフラカーンは自分を守ろうとしてくれたことを理解したのだ。そしてラフラカーンが人族をわざと逃がした理由も。
「なるほど、未知の精神魔法を警戒したか。確かにその可能性はある。しかしこのオレは魔将である。魔力に飢えているとはいえ、精神魔法への抵抗力は衰えておらぬ…はずだ」
攻撃魔法の中でも、万を超える敵を同時に混乱させたり偽りの記憶を植え付ける戦略級の精神魔法は確かに存在する。
だが魔将の精神を操るような最上級魔法をあの幼い人族が使いこなせるとは思えない。ラフラカーン自身も魔力の駆動はなかった、と報告している。
可能性があるとすればラフラカーンも知らない神級の魔導具だが、おいそれと扱えるものでもない。
「はっ。私が鑑定した結果でもディセリーヌ様が操られてた形跡はありませんでした。しかしあまりにも異常な事態ゆえ、念のため魔法医のレイターン様をお呼びしております」
「レイターン…あのいけ好かない自慢女か。だが今は万全を期するためにも診察を受けておくか」
ディセリーヌはその魔法医の名を聞き、少々ムッとした。どうやら苦手な相手らしい。
それにしても。
『確かにあの人族が歩み出て、何かをつぶやいたのはオレも覚えている。しかし何を言われたのだ?』
ディセリーヌの記憶は、人族の男の顔を間近に見たあたりから大きく欠落している。
今なお詳しく思い出すことができない。
ディセリーヌはその人族の男の顔を思い浮かべ、怒りで自分を塗りつぶして屈辱を忘れようとした。
だがなぜかすぐに怒りが霧散してしまう。
『優しそうな顔をしていたな…』
いやそれよりも。
何を囁かれたのか、それは覚えていない。
覚えているのは懐かしい声色と、『ようやく求めてもらえた』という満足感だ。
だがなぜ人族の幼い男に対して、そんな感情を持ったのかディセリーヌは自分自身が理解できない。
アレコレ考えても、まったく答えが出ない。
なおディセリーヌはその後自分の足が床に埋まっていることを忘れて、うっかり踏み出そうとしてコケてしまい、「おのれ人族ども!」とやはり怒りで胸がいっぱいになってしまった。




