2話:雨の日の襲撃(2)
離れ際、リオンがボクの服をちょんちょんと引っ張って、小声で何かを話す。
でも荷馬車の音がうるさくて聞こえない。
そういえばディセリーナはどこだろう?
ボクが嫌な気配を感じて振り返ると、そこには燃えるような赤い眼で、大口を開けて飛びかかってきたヘーレ・ホウンダがいた。ひと際大きいので、たぶん群れのボスだ。荷馬車の影に隠れていたんだ。ああ、ボクは死んだな。何度目だろう?今日死んだと思ったのは。
せめてリオンを突き飛ばして助けなきゃ…。でも身体が動かない。
ボクが呆然としながら迫ってくるヘーレ・ホウンダの口を見ていると、それが不意に閉じられ、巨体が真上に跳ね上がってボクから遠ざかっていった。しかも空中でボッと炎に包まれて燃えながらグルグル回って。
見れば少し離れた場所で、ディセリーヌが拳を振りぬいてから残心しているのが見えた。
何だろう今のワザ?拳が当たる距離じゃないのに。まさか拳圧ってやつ?
なんかカッコいいから悔しい。
「…ラフラカーン、油断が過ぎるぞ。ヘーレ・ホウンダは隠形術を使うのを忘れたか?黒い身体をわざと重ねて、数をごまかすからな」
「ハッ。申し訳ありませんでした」
ラフラカーンが納刀し、ディセリーヌに向かって跪く。
ディセリーヌは面倒くさそうに右手をひらひらさせたあと、左手でひさしを作って空を見上げる。
「もういい。それにしても天気が良すぎて暑くなってきたな。次の休憩所でオレたちも休むとするか」
確かに日差しがキツイ。空を見ると雲一つないので、この晴天はしばらく続きそうだ。ボクも喉が渇いた。
ビックリすることばっかりだったから、水を飲んで休憩したい…そう思ってリオンを見てみると、リオンはボクたちから離れた場所に座って、荷物から何かを取り出している。
…ん?あれは雨具だ。リオンは大ガエルの革で作ったポンチョを広げて、それを頭からかぶってる。
なんで?こんなに天気がいいのに?
ひょっとして日差し避けかな?でも逆に暑そう…。
ボクがボンヤリそんなことを考えていると、荷馬車の音がうるさくて聞こえないせいか、リオンが手ぶりで何かを伝えてきた。
ザーザーザー。アメガフッテイル。
…ゾクリ。
リオンの手ぶりを見て猛烈な違和感が、ボクの背に走る。
そもそも、リオンより遠い位置にいる荷馬車のおじさんの声は聞こえた。
なぜリオンの声だけ聞こえない?
こんなにいい天気なのに、どうしてリオンだけは雨が降っていると感じている?
雨…雨…雨で警戒しなくちゃいけないことが、何かあったはず。
こんな時に使える、何か便利なスキルがあれば良かった…のに??
「それにしてもオレは活躍したな。オレがいなければ、お前はヘーレ・ホウンダに食い殺されていたぞ。何かお礼の言葉とかはないのか?」
相変わらずのディセリーヌが、ドヤ顔でボクの肩を軽く叩く。
まあ、助けてもらったことは違いない。仕方ないなぁ。
「…助けてくれてありがとう。お礼にちょっとだけなら、リオンの耳をしゃぶっていいよ」
「何の冗談だ、それは?」
ディセリーヌが心底嫌そうな顔をして、顔をそむけた。
そして、そして。
ボクは見た。ディセリーヌの額に「ニセモノ」という光る文字が出ているのを。
次の瞬間、ディセリーヌの薄い胸にラフラカーンの剣が深々と刺さっていた。
◇◇◇ ◇◇◇
気が付くと、いつの間にか雨が降っていた。
ラフラカーンの美しい金髪はペッタリ濡れており、着ている騎士服からもぽたぽたと水がしたたり落ちている。
どれだけ雨の中にいたら、ここまで濡れるのだろう?1アワル、それとも2アワル?
ついさっきまで、ギラギラした日差しで暑かったはずなのに…。
ラフラカーンは無表情のまま、荷馬車の横に突き刺さっている細剣を抜いた。
胸を貫かれた…ように見えたディセリーヌの姿はもうどこにもない。
やっぱりアレは偽者だったんだろう。
ディセリーヌがリオンの耳たぶしゃぶりを嫌がるわけないしね。
ひょっとして、ノベリアっていう魔将が化けていたのかな?
「残念ながら逃がしました。しかし微かですが、手応えはありました」
「うん、ノベリアちゃんだったね。肩に怪我をして逃げた。でも本体じゃないかも?」
リオンがラフラカーンの報告にそう答える。
幻惑のノベリア。水のエレメンタルを操る幻術の使い手と聞いている。
ボクたちがいつからその幻術にはめられていたのか、まったく分からない。
ボクは今まで、幻術とは手品みたいなものだと思っていた。
剣が消えたり、パッと姿を消したりする大道芸の手品ね。
でもノベリアの幻術はケタが違う。
雨を隠して晴天だと思い込ませ、いつの間にかディセリーヌと入れ替わり、ボクたちの中で唯一正体を見破っていたリオンの声も聞こえなくした。
いや、たぶんリオンの声は聞こえていたのだ。
あれはディセリーヌちゃんじゃない、あぶないよ!
きっと、何度もそう教えてくれていた。
でもボクもラフラカーンも荷馬車の音が大きいから、リオンの声は聞こえないと信じ込んでいた。
今回凌げたのは、たぶんタマタマだ。
ボクの頭がボンヤリしてたので、「リオンの耳をしゃぶっていい」と勝手に言ってしまった。
本物のディセリーヌだったら「わーい」とか叫んで嬉しそうに即しゃぶったはず。
でもあの偽者は心底嫌そうな顔をした。
まあそれが普通の女の子の反応なんだけどね。だから、ボクとラフラカーンが気づけた。
あの偶然がなかったら、リオンが雨具を着ているのが見えなければ、たぶん危なかった。
「ねえ、リオン。いつからディセリーヌは偽者になってたの?」
「僕が目を覚ましたら、もう違う人だったね」
「ラフラカーン、ボクたちを襲ってきたヘーレ・ホウンダやグリフォーネも幻術だったの?」
「…申し訳ありませんが、確かなことは分かりません。魔獣を斬った手ごたえはあったのですが…」
「最初にいっぱいいたのは幻だけど、ラフラカーンさんが斬ったのは全部本物だったよ。でもヘーレ・ホウンダは幻術で1匹少なく見せていたね」
ラフラカーンの答えにリオンが補足してくれる。
だとしたら…
「ディセリーヌはどこにいるんだろう?」
◇◇◇ ◇◇◇
序列11位の魔将ノベリアは悔しさで顔をこわばらせ、屈辱に身を震わせていた。
アヴァタールの術式を解除すると、最後にフェーダバックの魔方陣が自動的に展開され、術者にアヴァタールが受けた「経験」を反映させる。
ノベリアの肩に5セルメほどの切り傷がピッっと走る。
ラフラカーンが付けた傷だ。
それは浅く、出血する前にすぐにノベリアの高い自己再生力でふさがれた。だが消えたはずの傷の痛みがズキズキとノベリアの心を苛む。
「この私がディセリーヌの従者ごときに傷を…ありえない…」
ノベリアは防諜設備の整った居城の「術式展開室」で独り、呆然とした様子で立ち尽くしていた。
ディセリーヌの居城で受けた、ありえない「演習敗戦」の屈辱に燃え、準備万端で挑んだつもりだった。
魔王ダムリアードの命に背いて森獄から出ることはできないため出力が格段に落ちるアヴァタールを使わざるを得なかったが、使い魔のうち戦闘に向いたヘーレ・ホウンダ7頭と虎の子のグリフォーネまで投入し、幻術も入念に用意した。
ノベリアの幻術は空気中の水分を必要とするため、街道の滝からの水しぶきを使い、徐々に幻術を深めていった。
今回の「演習」ではディセリーヌを引き離し、ラフラカーンを始末して人族の少年を確保することが目的だった。
だが失敗した。
ラフラカーンに使い魔たちをすべて殺されたうえ、幻術をも破られ手傷を負わされたのだ。
ラフラカーンの戦闘能力を見誤っていたのが要因の一つ。
陽動役のヘーレ・ホウンダはともかく、グリフォーネまであっけなく空中解体されるとは想定外だった。
まあ、それはいい。ラフラカーンの戦闘能力の補正はできた。
直線的な動きの物理攻撃では相性が悪そうなので、遠距離か空間魔法系の攻撃手段なら期待できる。
次は勝てる相手を投入すればいい。それだけのことだ。
問題はまたしても幻術が破られたことにある。
2人いた人族のうち、少女の方は完璧に幻術にかかっていた。
ラフラカーンも自分の主がすり替わっていたことに最初は気づかなかった。
だが。
油断したラフラカーンの腹に氷槍をぶち込んでやろうと狙っていた絶好のタイミグで、幻術が破られてしまった。
しかも。
なぜラフラカーンが目の前にいたのが偽者だと気づいたのか、全く分からない。
肩に受けた傷よりも、そちらの衝撃と心の痛みの方が大きい。
混乱したままフラフラと術式展開室から出てきたノベリアの前に人影が現れた。
魔法医レイターンだ。
「おやノベリア様。首尾は上々…ではないようですな、そのご様子ですと。おっとっと…大丈夫ですか?」
レイターンはよろけたノベリアに手を差し伸べて大げさに心配したように振舞うが、その目は冷たいままだ。
何故ならばレイターンは序列12位のディセリーヌ同様、ロンゴーロッドの刻印が不完全なままのノベリアも心のなかでは見下していたからだ。
『たかがディセリーヌ相手に2度も遅れを取るとは、所詮は11位か』
今回、レイターンは「魔力枯渇の治療を行う」という名目でノベリアに加勢していた。
アヴァタールの駆動に加えて、晴天に雨を降らし、しかも天候を誤認識させて使い魔をも操る…。
魔将と言えどディセリーヌと同様に魔力の枯渇に苦しむノベリアにとっては、負担が大きかったからだ。
レイターンは当然、ノベリアとディセリーヌの「演習」は知っていた。
知ったうえで、ノベリアに恭しく魔力供給の申し出をしたのだ。
だがノベリアの勝利や魔将同士の融和を望んでいたわけでもない。
単に未熟な魔将同士がヒステリー状態で「演習」を行い、ディセリーヌやノベリアが死なないまでも、手足や体の一部を失ったりすれば、治療と称した解剖や生体標本が入手できるのでは?と期待したに過ぎない。
『その場合は、ぜひロンゴーロッドの刻印が入っている部分の標本が欲しいものだ』
一歩、ノベリアもレイターンを嫌っていた。
こちらを見下すような慇懃無礼な態度は隠しようがなく、しかもロンゴーロッドの刻印に偏執するレイターンに生理的な嫌悪感も感じていたからだ。
『いかに魔力不足とはいえ、このような愚物に助力を頼まざるを得ないとは…』
ノベリアは荒く息をしながら、これからの事を考える。
単純な魔力演習では分が悪い。
平然と軍規を犯して森獄の外をうろつくディセリーヌに対して、自分は森獄を出ることができないからだ。
どうしても膨大な魔力を消費して、出力が落ちるアヴァタールを使わざるを得ない。
しかも自分が得意な幻術が通じない。
特に問題なのは、平然と自分の幻術を破るあの人族の少年の存在。そして今回はディセリーヌの従者と人族の少女が完全に幻術に掛かっていたにも関わらず、自分の知らない方法で解呪されたことだ。
だがプライドにかけて、このまま引き下がるわけにもいかない。
何か手はないか…と思案にふけり始めたノベリアに、レイターンが薄く笑みを浮かべながら近づいていった。
レオナがディセリーヌのおでこに見た「ニセモノ」の文字は、【魔族の本音】スキルによるものです。
詳しくは「22話:あの文字見えますか?」「24話:魔族の本音」などをご参照ください。
戦闘シーンはこれで終わりです。
次回は10/29(日)の午前6時更新です。
一行はゴッゴの宿場町に到着します。
※2017/11/3誤字修正 コーランロッド→ロンゴーロッド
コーラン~はマズイよねえ…




