閑話:龍の男
第1章魔将ディセリーヌはこれで最終話です。
次回より、「第2章魔将ノベリア」をお楽しみに!
「この報告は確かか?」
「はっ。第458および457哨戒柱で同時間に同様の反応を確認をしております。精度は極めて高いと思われます」
やや興奮気味の情報官から速報の機密メモを受け取ったハイエルフの男は、その情報がもたらすインパクトにも関わらず、顔色一つ変えなかった。
ウレニアス・ドレント・アルゼナール香爵。
エルフの貴族が治めるデルジアード公国の宰相だ。
見た目は人族に例えると40代の男盛りだが、現在の役職を得てすでに250年は経過している。
大公であるシャムニダーンを頂点とするデルジアード公国はハンゾナス王国近隣では小国のひとつだが、高い魔法技術と独特の文化、そして規模は小さいが精鋭ぞろいの武力を背景に大国でさえ無視できない国力を持つ。特に魔法技術による諜報能力は優れており、今回もハンゾナス王国の森獄を中心とした環状の街道に無数に設置した監視用の魔力哨戒柱が役に立った。
設置して約650年。初めて超高密度の魔力反応--つまり魔将の存在をとらえたのだ。
アルゼナール香爵は情報官から目線を外し執務室の壁を見る。
「巣穴から出ていたのはどの馬鹿だ?」
「12と思われます」
12。それは序列12位の魔将のことを意味する情報局の隠語だ。
魔王ダムリアード配下である、12名の将軍格の1人。
魔将の存在はデルジアード公国でも知られており第2級の仮想的として扱われていたが、魔王のみならず魔将はなぜか誰一人として森獄から出てこない。
特に魔王はこの数百年は活動した形跡が全くない。
よってデルジアード公国でも、魔王や魔将の存在を疑問視する声が小さくない。
だが厳然たる事実が1つある。
森獄に送り込んだ調査隊や探査ゴーレムが誰一人・どれ一つとして帰還しないのだ。
この1000年近い調査はすべて損失率100%。それは屈指の魔法技術を持ち、ゴレアドス大陸の目と耳を誇るデルジアード公国の汚点であった。
◇◇◇ ◇◇◇
アルゼナール香爵はメモを持ったまま、急ぎ執務室を出る。
「大公に会う。先ぶれを出しておけ」
控えの間にいた秘書エルフたちは優雅に頷くと、手元の魔法道具を操作し始めた。どうやら通信機の一種らしい。
向かう先は同じフロアにある大公シャムニダーンの執務室だ。
控えの間の扉を開けると、大公の秘書エフルたちが立礼でアルゼナール香爵を迎え、執務室の扉を開けてくれる。
後をついてきた情報官は香爵の背に黙礼して、控えの間に直立したままだ。
大公シャムニダーンの執務室は1辺が約200メルトほどある巨大な部屋だった。
豪奢さはない。だが素材や意匠を厳選して数百年使いづづけられているその部屋は、独特の威厳があった。
またそれとは分からぬよう巧妙に配置された防諜装置や、何重もの魔法無効化・呪術障壁などの防衛機能によって守られている。
その巨大な部屋の中央手前に4つの机が置かれ、大公の執務スタッフ4名が立ち上がって香爵に一礼する。
それを手で制して香爵はさらに机の間を抜け、突き当りにある巨大な執務デスクの前で立ち止まった。
そこでは魂を奪われそうな美貌を持つ、美しい女性が優雅に書類を処理していた。
大公シャムニダーン。デルジアード公国の支配者だ。
ゆうに700歳を超えるハイエルフで、デルジアード公国を率いてはや500年以上となる。
その治世は公平・合理的で、貴族や国民の人気も高い。事実、デルジアード公国の平和と繁栄は大公シャムニダーンの力量によるものが大きいため、国民からは「慈愛の大公」「名君」と評価されていた。
逆に外交は緻密・大胆・狡猾そのもの。小国の窮乏に友愛と援助の手を差し出す一方、大国の恫喝には決して屈しないどころか、逆に煮え湯を飲ませたこともたびたびある。12手先を読み10年先を見据えた大公の外交は、他国の外交担当者から魔物のように恐れられていた。
「アルゼナール卿、しばし待たれよ。この書類を処理したら話を聞こう」
大公シャムニダーンは執務デスクの上の書類に目を落としたまま、優雅な声で語りかけてきた。
『相変わらず美しいな…だが…』
アルゼナール香爵と大公の付き合いは共に育った幼少期から大公・宰相としての付き合いまで500年近くとなる。
300年ほど前に大公シャムニダーンの妹を正妻として娶ってからは、その関係はより緊密になっている。
そのおかげでシャムニダーンの個人的な秘密を知ってしまい、アルゼナール香爵はこっそりとその後始末をさせられるハメになってしまったのだが…。
アルゼナール香爵はほんの数秒間、だまって大公シャムニダーンの仕事ぶりを見ていたが、すぐに踵を返して速足で執務室を出ていった。立席してその背を見送る大公の執務スタッフは無表情だったが、大公に心酔しているそのうちの一人は心の中で小さく舌打ちしていた。
大股で歩くアルゼナール香爵の後ろを情報官が慌てて追ってくる。香爵は携帯用の連絡魔道具を取り出すと、警備主任に連絡を入れた。
「宝物庫付近に大公閣下の偽者が現れているはずだ。警戒レベルを最大級に引き上げ、偽者は殺す気で取り押さえろ。特に13番宝物庫からは一振りの剣も持ち出させるな」
『ハッ。了解しました!』
魔道具越しでも警備主任の緊張が伝わっている。
なぜならば13番宝物庫は名称こそ「宝物」と名前がつくが、その実は始末に困る呪われた武具類を封印している場所だからだ。収蔵してあるものは、どれを持ち出されても公国内で使用されれば大きな被害が予想される天災級がそろっている。
「いいか、賊は恐れ多くも大公閣下の姿を真似ている。手すきの警備兵全員を急行させ、遠距離から攻撃しろ。捕縛より呪われた武器の持ち出し阻止が優先だ。殺しても構わん。責任は私が取る」
『ハッ。警備兵を急行させ、賊を見つけ次第攻撃させます!…香爵様。先発隊が賊を発見。交戦状態です!!』
「私も向かう。それまで持ちこたえさせろ。警備兵には第1種装備魔導鎧の使用を許可する。宮中だがやむを得ん」
『…グラムスレア。そ、それほどの相手とは、まさか…』
「お前は考えるな。錯乱の術中にはまるぞ。あと32秒で到着する」
『ハッ!』
香爵はただ速足で歩いているようにしか見えないのに、後ろから全力疾走する情報官との距離は開くばかり。そして突然起きた地震のような振動で足を取られた情報官がもう一度前を見ると、すでに香爵の姿はどこにもなかった。
◇◇◇ ◇◇◇
アルゼナール香爵が宝物庫へと続く迷宮回廊に到着すると、そこにはグラムスレアを装着した4名の警備兵が殿としてその出口を守っていた。全身鎧を装着しているせいで表情は見えないが、警備兵の4名は香爵の姿を見てあからさまにホッとした雰囲気になった。
「状況は?」
「先行した6名との連絡が先ほど途絶えました。現在、迷宮回廊を12次元化しスクランベールもかけ続けておりますが、賊の侵攻速度が異常に早く、突破されるまで残り2階層。およそ12秒です」
「そうか、では間に合ったな。よくやった」
そう言い残すと、アルゼナール香爵は防衛のため目まぐるしく構造が入れ替わっている12次元の迷宮へ単独で足を踏み入れた。いつもの無表情のまま、こともなげに。
アルゼナール香爵が今立っているのは、ガランとした通路だ。先ほど入ってきた入り口はとうに消え去り、窓のない廊下が香爵の前後に永遠とも思えるような長さで続いている。最も廊下には灯りもなく、さらに魔術的な視界妨害の術式も展開されているため、その長さを見通せるのはアルゼナール香爵の「龍眼」スキルのおかげだ。
ウレニアス・ドレント・アルゼナール香爵。
またの名を「冷鉄龍のアルゼナール」。
操るは、龍のエレメンタル。
現在は大公を補佐する名宰相として、貴族・国民からの評価が高いためその二つ名で呼ばれることはなくなった。
だが香爵家の三男として生まれ、家督には縁がなかった若い頃のウレニアスは未練なく出奔し、デルジアード公国外で善悪両方で名を轟かせる冒険者として活躍した。
その実績と被害、数々の武勇伝は軍や警備関係のいわゆる武官たちの間で今でも語り継がれ、恐怖と憧憬の対象とされている。
そのアルゼナール香爵が動いた。
表情を変えぬまま、だるそうに何の変哲もない空間に右手を掲げると、次の瞬間には大魚を吊り上げた漁師のように、眼には見えぬ先の獲物を手繰り寄せ、数瞬のうちに吊り上げてしまった。
どしゃぁぁぁー
まるで濡れた大魚が急に陸揚げされたような音を立て、「獲物」がアルゼナール香爵の背後に落ちて滑る。
「う、うぬう…。不敬であるぞ」
大きく開いたドレスのスリットから形の良い脚を惜しげもなく晒し、その「賊」は無限の廊下に尻もちをついたまま、悔しそうに悪態をついた。
流れるような美しい銀髪、着崩れたドレスからのぞく豊かな胸の谷間。そして眉をしかめて悪態をつくその表情でさえ、気を抜けば見惚れてしまうその美貌。
それはまさしくデルジアード公国の大公、シャムニダーンそのものの姿をしていた。
アルゼナール香爵は賊のその姿を見て、それでも顔色一つ変えずに右手首だけをスナップを利かせて振りぬく。
魔力で形成された紫光の指先に生じ、たちまち1枚が手のひらサイズほどの凶悪な冷鉄龍の鱗となり、さらにその数が5枚ほどに増え、紫の光を帯びながら女の賊へと殺到する。
「ちょ、ちょっとまて!」
賊が叫び、あたふたと体を起こしすが回避は間に合わない。
紫から白光にまで高まった龍鱗弾が次々と賊の身体を打ち抜く…ように見えたが、体表近くでさざ波のように空気が揺らぎ、本来起きるはずの爆裂もなく消えてゆく。
「ふー、おぬし無茶をするの。迷宮回廊内で爆裂魔術を使いおって。下手をすれば安全機能が働いて、どこにもつながらぬ閉鎖空間に切出されてしまうぞ?」
「…私としてはそれでも困らなかったのですがね」
「おぬし、大公たる私になんという口を利くか!」
「大公は執務室で国務にあたっておられます。国の一大事にコソコソ宝物庫をあさる愚か者は、ここで死んでも誰も困りません」
「ぬぬう…」
その「賊」は不快そうな唸り声を洩らすが、顔はまるでイタズラがばれた童女のようだ。
ゆるゆると優雅な仕草で立ち上がろうとし、傍らに落ちていた長剣に気づいて慌てて背中にそれを隠した。
本来、このデルジアード公国においてもっとも魔術を極めたと称せられているその「賊」は、当然ながら多彩な収納系スキルや亜空間への隠蔽術を持っている。
だが宝物庫をつなぐ迷宮回廊内では、防御機能の一環として収納スキルなどが強制キャンセルされてしまう。より正確には収納や隠蔽の使用不可に同意しないと、立ち入れない仕組みになっているからだ。
そしてアルゼナール香爵は賊の背からのぞいている禍々しい柄頭を見て、初めて表情を変えた。
「魔剣グネア・ブログブ…あんた、そんなもの持ち出して何するつもりだったぁぁ!!」
魔剣グネア・ブログブ。
それは戦で家族を殺され街を焼かれた憤死した高名な錬金術師が、死者として蘇って打ったと言われている呪われた剣だ。その能力は剣の使い手や斬った相手からから正気や生命を奪いつくし、それを覇断の力に変えると言われている。
もっとも厄介なのは「永断」と呼ばれる能力で、その名の通り空間や対象に亜空間的な断裂をもたらし、永久に癒えることがない。どのような超絶再生能力を持つ魔物でも斬り落とされた手足は再生しないし、切断された柱は何度建て替えてもつながらない。
特に空間に残った「永断」はうっかりとそこに人や動物が立ち入ろうものなら、ずっぱり斬れてしまう。
数百年経った今でもたまに新しい「永断」が発見され、隔離されているほどだ。
もっとも、デルジアード公国では発見された新しい「永断」を金剛石やオリハルコンなど強硬度の魔法金属の加工場として利用するしたたかさも併せ持っていた。
その魔剣だが、かつてデルジアード公国でこの魔剣を確保した時は、悪に堕ちた剣士がこの剣をふるいつつゾンビ化し、公国軍にも大きな被害が出た。確保後、公国の魔術師や錬金術師たちはあらゆる手段を使ってこの魔剣を破壊しようと試みたが、傷一つ付けることができなかったという。その時間停止技術は「永断」と何らかの関係があると言われているが、まだ解明にはほど遠い。
そのため、いわく品ぞろいの13番宝物庫の中でも魔剣グネア・ブログブは第1級の災害発生危険物として、超級魔術師でも解呪に10年はかかると言われている十重二十重の封印結界がなされていた…はずだった。
あ、ばれちゃった?
その「賊」こと、大公シャムニダーンは悪意のない小さなイタズラが見つかった子供のように可愛く舌を出した。
テレアスレント・グレフェッシャル・シャムニダーン。
デルジアード公国の名君として名高い彼女は、側近であるアルゼナール香爵をふくめた数名しか知らない個人的な秘密があり、そしてその限られた関係者は大公の秘密を隠し通すために多大なる努力をしていた。
救いようのない戦闘狂。
それこそが大公シャムニダーンの近しい関係者がひた隠しにする、最大にして最悪の秘密だった。
おそらくはどこからか魔将出現の情報を聞きつけ、これ幸いと戦いを挑むつもりだったに違いない。
「だ、だってほら初めて魔将が森獄の外に出てきたじゃない?この国の一大事に、あたしが一肌脱ごうと思ったわけよ。ちょっとお出かけして、チョンとぶった切ってこようかと…」
大公の口調は、それまでの威厳のあるものから、ごく近しい身内にしか使わない、くだけた話し言葉に変わっていた。
「魔剣グネア・ブログブを使ってか?」
「固いこと言うねーウレンは。こんな骨董品さぁ、伝説が独り歩きしてるだけで、どうせ大した力なんてないって。封印結界もテキトーだったから、あたしがチャラっと外せたし、大したことないよー。アハハハ」
「テレア…」
アルゼナール香爵はほとほと呆れたように子供のころから呼び慣れている名でシャムニダーンを呼んだ。
封印結界をごく短時間で外せたのは、忌々しいことにシャムニダーンが史上まれにみる魔導の天才であるからに他ならない。
厄介なことにこの美しい戦闘狂は、錬金術と魔導研究で恐るべき金字塔をいくつも打ち立て、「シャムニダーンが魔導研究を1000年進めた」と大賢人の称号を仮想敵国であるハンゾナス王国から贈られるほどの才能を持っていた。
よってシャムニダーンが封印結界を解除し、「普通のエルフなら握るだけで狂死する」と言われている魔剣グネア・ブログブを素で持ち運んでも平然としている事にも驚きはない。
だが諮詢すべきことは他にもある。
なぜ自分より早くシャムニダーンが情報を得たのか。
大公とはいえ、自分に連絡なく勝手に宝物庫に入れたのか。
アルゼナール香爵はシャムニダーンの執務室にいる4名の女性スタッフの顔を苦々しい気持ちで思い浮かべた。
彼女たちは全員がシャムニダーンを心から尊敬していて、極めて優秀で事務能力も高い。
仕事に集中さえすればシャムニダーンの能力も極めて高いが、彼女たちがいなければ日々の雑多な事務から国家の大方針を決める重大案件まで、今のようにスムースには処理できなかっただろう。
だがそのスタッフたち。最近は狂信的と言えるほどシャムニダーンへの心酔が度を超えて進んでおり、どうやらシャムニダーンの本性にも気づいている節がある。しかも心酔の度合いが進めば進むほど、今回のように厄介な案件で、香爵が最も望まない方向で想定以上の能力を発揮している可能性が高そうだ。
『人事を見直す時期だな…』
そもそもあの影武者は誰が用意したのか?
アルゼナール香爵でも遠目からは偽者とは見破れなかった。
もっとも出来の良い影武者がいるのなら、戦闘狂の「本物」は魔将が姿を消すまで「しばらく療養」してもらっても政務は滞らないな…と考え、香爵も香爵で本物を賊扱いして、通常以上の撃退手順を踏んだのだが。
『あれで12秒しか稼げぬとは、宝物庫の安全施策も見直す必要があるな…』
シャムニダーンから魔剣を取り上げた色々と思索にふけり始めたアルゼナール香爵の背に、相変わらず童女のような顔をしたシャムニダーンが語り続ける。
「それでさーあたし先月もお仕事がんばってたから、お休みが結構溜まってるのよねー。久しぶりにまとまった休暇を取りたいなーと思ってんだけど、別にかまわないよね?ね?」
アルゼナール香爵が自分に背を向けて無言で考え込んでいる様子を確かめつつ、シャムニダーンは隠し持っていた「本命」の魔道具を、そっとドレスのスリットからスカートの中の秘密の場所へと隠しこむのだった。
次回は10月15(日)午前6時更新予定です!




