21話:乙女の悲鳴
『まずは居城にいったん戻り、ノベリア様との手打ちを行うしかない。自分の命を差し出せばなんとかなる可能性もある。今こそ守るべきはディセリーヌの次の100年』
ラフラカーンは抜刀した剣を右手に下げたまま遠くを見据え、これからの難しい交渉事を考えていた。
「…ラフラカーン。忠義、見事である」
そこに子供の声が届いた。
リオンの小さな心臓を別方向から3突き。それでカタはついたはずだった。
だがその声は、いささかのダメージもなくラフラカーンの迷いに恭順することなく、そして容赦もなく。
ラフラカーンは反射的に剣を構え直し、それを振るうべき敵の姿を探す。
だが目にする先には、心臓を貫かれてさきほどまで地に伏していたリオンの姿はなかった。
300年を超える修行の成果か。
ラフラカーンは反射的に背後の見えない敵へと、振り向くより早く6連撃の刺突を放った。
遅れて鳴り響く轟音。だがそれは5ツ。放った数より一つ足りない。
あろうことか6連撃目は残った倒木にゆったりと腰かけたリオンの指2本に止められていた。
「ぬう!」
満身の力を込めてラフラカーンは自らのの細剣をリオンへと押し込む。
歩覇の踏み込みに耐えられず、ガポッと音を立ててラフラカーンの足元が陥没する。
それは大岩をも貫く剣。
かつて抜群の防御力を誇ったアイアンドラゴンもこの歩術と突き込みで屠った。
だが今、か弱い指に止められた愛剣はビクともしない。
リオンは少し悲し気な目をしながら、右手の指2本だけでラフラカーンの壮絶なる刺突を止めたまま語る。
「なあ、ラフラカーン。貴様は我のどこが気に入らぬのか?」
子供の声とは思えぬ荘厳なる声が響く。ラフラカーンはその威厳に思わず跪きそうになる。
それは自分が仕えるべき魔将ディセリーヌの、さらに、さらにその上位の存在を示していた。
だがそのことは逆に、ラフラカーンをして第1級の戦闘態勢へと駆り立てる切っ掛けとなる。
「知れたこと!魔力回復をエサにディセリーヌ様を惑わすその所業、そしてノベリア様の幻術を簡単に打ち破るその力量。…ディセリーヌ様には百害一利と判断した。お覚悟を!」
次の瞬間には、リオンが腰かけていた残りの倒木が粉砕され、木っ端が盛大に宙を舞っていた。
一拍遅れて森の中に爆音が響き渡る。その数、12連撃。音よりも早い衝撃波が発生し、近くにある木々の葉が飛び散る。
蜂の巣も落ちた。
残心したラフラカーンの額に一筋の冷や汗が流れる。
自分の剣が、12突も放った剣が、目の前の敵に届く感触がまるで感じられない。まるで視界にすら納めていない敵に剣を振り回しているような無力感すら感じる。
そして恐るべきは、目の前にいるリオンをどう攻略するべきか、戦闘イメージがまったく湧かないことだ。
それはラフラカーンのような豪傑の剣士にとっても、座して負けることを意味していた。
「うぬぬぬぅ!」
吼えるラフラカーン。だがリオンは何事もなかったように破壊された倒木の前に立っている。
その手にはどこかで見たような細剣を持ち、珍しそうに色んな角度から眺めている。
「いい剣だね。とてもよく鍛えられてる。でも普通のレイピアだね。もっと特別な剣を使ってるのかと思ってた」
リオンが慣れた手つきで握りを返し、柄を向けた細剣をラフラカーンに返そうとする。
突然手渡された剣を見るに及んで、ラフラカーンはようやく自分が木の枝を握りしめ、リオンに向けていたことに気が付いた。まるで木の枝で虚勢を張る幼子のような自分に。
大きな衝撃。そして「痛み」としかいいようのない焼けつくような感覚がラフラカーンを襲う。
その身を焼くのは、無抵抗な子供を殺そうとした武人の恥か、それとも闘いすらさせてもらえず負けた痛みか。
魔人となって300年。ラフラカーンはたゆまぬ鍛錬を重ね、人族には到達できない剣技の極みに達した自負はある。
そもそも魔人や魔族は長い寿命に飽きているのか、生き急がぬ個体が多い。
欠伸したまま1年、寝たまま5年など、数百年の寿命を誇る魔族や魔人は、短命の人族の感覚では理解しえない無駄な時間の使い方をするのを常としている。
だがラフラカーンはかつて人族であった頃にその身に沁みついた鍛錬の習慣のまま、魔人と成った。そして約300年の長きにわたり鍛錬を重ねて技を練り上げてきた。
しかも身体機能は毎年進化して絶頂を続けたまま、である。
人族の剣の達人が修められる修行の時間。身体機能の成長と衰えを考慮すれば、それはたかが20年程度にしか過ぎない。
だがラフラカーンが費やした時間は優にその15倍。
しかも身体機能は伸び続けており、いまだ限界は見えていない。
もちろんそのラフラカーンでさえ、自分の未熟で剣で後れを取ったことはある。装甲が分厚い魔獣を仕留めそこなったり、心臓を4つ持つ魔獣を初撃で殺しきれなかったり。
だが立ち会った相手に知らぬうちに愛剣を奪われた屈辱の記憶はない。
魔人と成ったこの300年間も。そして剣士を志した幼き人族だったあの時からも。
ラフラカーンは壮絶なる精神力で激情を抑え込む。細かく震える手で剣を受け取る。
手の中の知った重さと持ち慣れたバランス。その感触は正真正銘、自分の愛剣であることを示していた。
迷いは一瞬。ラフラカーンは心を落ち着けるようにゆっくりと剣を降ろし、自然な所作で納刀する。
チン、と小さくなった鍔音。
それに気づいたラフラカーンは改めて動揺する。
その納刀が意図したものではなかったからだ。まるで一試合終えた後のようにリオンと対峙して自らの不覚を悟り、自然と納刀してしまった。
それはラフラカーン自らが、自分に戦闘の意志がないことを認識したことを意味する。
リオンにはもともと戦闘の意思はない。
勝てぬ--。
ラフラカーンは11位の魔将ノベリアと対峙した時より、遥かに大きな距離と絶望をリオンに感じている。
腰に下げた剣は幾多の死地を共に超えた頼りがいのある相棒だったが、今はただ軽く頼りない存在に感じる。
目の前には、自然体でくつろぐ人族の男の子しかいないのに。
「…リオン殿。貴殿は何者なのだ?」
◇◇◇ ◇◇◇
愕然とするラフラカーンの前で、リオンは内なる声のググレーンと念話を交わした。
『ググレーンの言うとおりだったね。早めに幻術に切り替えてよかった』
『ラフラカーンの性格からして、襲撃は簡単に予想できた。だがリオン、お前はなぜ幻術が使えるのだ?』
『だって、ノベリアちゃんの幻術を見て覚えたから』
『…見たからと言って、すぐに幻術を覚えるとは論理的ではないのだがな』
『でも簡単なヤツしか使えない。術の領域は狭いし、深さもまだまだだよ。もう一回、ノベリアちゃんの幻術を見たいね~』
『…その機会は遅からず来るだろう』
◇◇◇ ◇◇◇
「…もう一度問うリオン殿、貴殿は何者なのだ?」
警戒と恐怖を抑えきれないラフラカーンの声は少々上ずって震えていたが、対するリオンの声は相変わらずおっとりしたものだった。
「僕は幻術が使えるようになったの。まだ簡単なヤツだけどね。だからディセリーヌちゃんは僕が守るよ」
「さっき私が刺し殺した、と思ったのも幻術か?」
「うん、そう。ノベリアちゃんが使ったのと同じ幻術。見て覚えたんだ。まだせまい範囲で簡単なヤツしか使えないけど、それなりに使えると思うよ」
それはもう我が身を持って知った。
ラフラカーンは、その言葉をグッと飲みこみ、魔将の従者たる交渉を始める。
「…なぜ私を殺さない?貴殿を殺そうとした私を?」
「殺す気なんてないよ!僕はただ、みんな仲良くして欲しいんだ、旅の間だけでいいからさ。ディセリーヌちゃんは僕が守るし」
「…何が望みだ?」
そうラフラカーンが問いかけると、そこで初めてリオンが初めて迷うそぶりを見せた。
腕を組み、目をつぶり、隙だらけの姿勢でうーん、うーんとうなり始める。
どうやら本当に思いつかないらしい。
「悔しいが私よりも幻術に通じた貴殿の方が、ディセリーヌ様を守れるかもしれない。私はノベリア様どころか、リオン殿の幻術にも勝てぬからな。それで、その対価に何を望む?」
もともとディセリーヌがレオナと契約したのは、ゴレーの町までの旅の同行とレオナを困らせないこと。
その対価として、ある時払いでリオンの蜂蜜焼きを1日4個。
だがラフラカーンはディセリーヌの従者とはいえ、直接契約をしていない。だからリオンを死なせたとしても契約違反ではないことになる。
ディセリーヌ自身もレオナやリオンの身をを守ることは契約していないからだ。
「僕、欲しいものとかないんだよなー。レオナ姉ちゃんにも『男はもっと欲しがれ』ってよく怒られるんだけど。どうしよう、本当に何も思いつかない…」
頭を抱えて涙ぐみ始めたリオンを見て、ラフラカーンは逆に動揺した。
「いや、そう難しく考えるな。例えばリオン殿が旅の間にディセリーヌ様を守る代わりに、私がレオナ殿を守る…とかでもよいのだ」
それを聞いて、リオンはパッと顔を明るくした。
「いいね!それでいいよ!」
リオンの嬉しそうな返事を聞いて、ラフラカーンはさらに動揺する。
「いや、だがそれでは釣り合いが取れん。旅の間の食糧調達や野営など細々したことは、私が担当しよう。あとはリオン殿に興味があるなら、旅の間に剣術を教えるとかでもよいぞ。貴殿の幻術の前では役に立たないようだが、人族相手に後れを取ることはなくなるだろう」
するとリオンはまたうーん、と考え始めた。
「…剣術は別にいいや。僕は剣、持ってないしね。それより、ときどき幻術の練習相手になって欲しいな。僕まだ小さい術しか使えないからさ。ラフラカーンさんも、幻術を破る練習になると思うよ」
「リオン殿、私のことはラフラカーンと呼んでほしい。あと幻術の練習は是非こちらからもお願いしたいのだが、…それだけでいいのか?」
「そうだねーあと、ラフラカーンさん相手にもう一つ練習したいことがあるんだ。いいかな?」
「ラフラカーン、でいい。練習とはなんだ。体術か?格闘術か?」
「身体は使うけど、ちょっとちがう。練習の内容はナイショなの」
「ふむ。私を害するものでなければ、協力しよう。何なら今からでも良いぞ」
「わかった。じゃあ、ちょっと試させてね」
ラフラカーンが許可するなり、目の前にいたはずのリオンの姿が消えた。
いや、ラフラカーンの動体視力でさえ消えたに見えたが、実は一瞬にして懐深くに入り込まれていた。
自分の胸が邪魔で、リオンの姿を見下ろせないほどの近さに。
「な、なにを?」
何か不穏なものを感じたラフラカーンが魔人の跳躍力で後ろに飛び退く。
胸元に妙な開放感がある。不思議に思って自分の上着を見ると、だらりと騎士服の胸元が開いていた。いつの間にか上から4つ、上着のボタンが外されている。
この季節、ラフラカーンの騎士服の下は袖なしの肌着だ。シャツは身に着けていない。
その肌着の薄い生地の下で、巨大で柔らかな双丘が締め付けからの解放に喜び、大きくタップンと揺れていた。
「リオン殿、何をするか!?」
ラフラカーンは左手で胸元を庇い、右手は腰の細剣の柄に置いたまま、ふたたび飛び退いて距離をあけようとする。
だが着地の前に、騎士服の前はすでに完全に開け(はだけ)ていた。8個あったボタンが残りもすべて外されている。
ラフラカーンが跳んだ反動でブルンと大きく揺れた双丘が、騎士服の下に着けていた肌着の裾を胸の下あたりまで押し上げる。すべすべとした腹となまめかしいヘソが見えている。
意外にもラフラカーンの腹は真ん中に薄い筋が一本通っているだけで、男の戦士のように6つに割れてはいない。
リオンの姿が再び見えなくなった。
半ばパニックになりながらラフラカーンが着地したのと同時に、騎士服の両肩をスッと抜かれる。
背後に回ったリオンが、ラフラカーンの騎士服を背中の半ばまあたりまで脱がしてしまったのだ。両腕に半脱ぎの上着がまとわりつき、腕の自由が利かなくなる。
「リ、リオン殿!?…きゃあああああぁぁ」
その後、ラフラカーンはどこからそんな声が?と思えるような甲高い女の声を出した。
それは約300年ぶりの乙女の悲鳴だった。




