第4話 お帰りください、魔王様
「魔王様が、城門の外にいらっしゃいます」
昼前、作業場を訪れたリゼさんが言った。
俺は工具を置いた。
「お迎えですか?」
「救援です」
ゴルド監督が腰を上げた。
「襲撃か」
「いいえ。門番に入城を断られています」
俺は昨日、魔王様の椅子に取り付けた肘掛けを思い出した。
今日は門まで使えなくなったらしい。
*
南の城門には、荷車が三台並んでいた。
門は開いている。
落とし格子も上がっている。
その前に、魔王様が立っていた。
川沿いの水門を視察し、戻ったところだという。
外套の裾には乾いた泥が付き、片手には書類を持っている。
正面には、若い門番。
「お帰りください」
門番が言った。
魔王様は少し間を置いた。
「余の城だ」
「二度とその顔を見せるな」
荷車の馬が、鼻を鳴らした。
俺は足を止めた。
監督も止まった。
魔王様の目が、ゆっくりリゼさんへ向く。
「......余の留守中に、何か決まったのか」
「何も決まっておりません」
リゼさんは二人の間に入った。
「先ほどご報告した異常です。本人の意思と異なる言葉が出ています」
門番は激しくうなずいた。
「薄汚い侵入者め!」
魔王様はうなずいたまま、涙目になった。
俺は手帳を開いた。
「まず、話すのをやめましょう」
門番は両手で口を押さえた。
今日、最初の対策だった。
*
待っている商人たちは、別の門番が通用口へ誘導した。
俺たちは城門脇の詰所へ移る。
「いつからですか?」
門番が口を開きかけた。
俺は紙と筆記具を差し出した。
「書いてください」
彼は何度もうなずき、膝の上で文字を書いた。
『今朝からです』
その下に、もう一行。
『処刑されますか』
俺は魔王様を見た。
魔王様は、すぐに首を振った。
「せぬ。事情は分かっている」
門番の肩が下がった。
俺は紙を指した。
「最初におかしくなったときは、何と?」
『納入業者に、おやすみなさいと』
「それが、だんだん悪化したんですね」
門番はうなずいた。
監督が前へ出た。
「俺を知っているか」
うなずく。
「名を書け」
『ゴルド監督』
「顔は分かっているな。挨拶してみろ」
門番は紙を見た。
魔王様を見た。
魔王様がうなずく。
覚悟を決めたように、彼は口を開いた。
「今なら二袋お付けします」
監督は黙った。
俺も黙った。
リゼさんが尋ねた。
「何をですか?」
門番は紙に書いた。
『干し豆です』
今朝、納入業者と交渉したらしい。
魔王様が、少し身を乗り出した。
「二袋は付いたのか」
門番がうなずいた。
「よくやった」
門番は、泣きそうな顔で頭を下げた。
*
顔を見間違えているわけではない。
俺は門番の前に立った。
「おはようございます。施工班のシュウです」
「帰れ、この酔っ払い!」
俺は手帳に書いた。
相手の認識とは無関係。
隣から視線を感じた。
魔王様だった。
「……俺は大丈夫です」
「うむ」
魔王様は、手元の書類へ目を落とした。
さっきから、一枚もめくっていない。
門番を詰所の外へ移し、もう一度話しかけた。
「城内で作業をしたいのですが」
「お前のような者を通すわけにはいかん」
直後、門番が紙を掲げた。
『通れます』
俺はうなずいた。
「ありがとうございます」
門番は深く頭を下げた。
普通の受付より、ひと手間多い。
俺は記録を見返した。
おやすみなさい。
干し豆。
酔っ払いへの警告。
「今までに、自分で話した言葉ですか?」
門番は強くうなずいた。
「朝から、誰と何を話したか書いてもらえますか。覚えている範囲で」
彼が筆を動かし始める。
その間に、魔王様が近づいてきた。
「余にも、できることはあるか」
監督が顎をこすった。
「別の身分で話しかけていただけますか。相手への返答が混ざるのか、確かめたい」
「よかろう」
魔王様は門番の前に立った。
「余は、許可証のない商人である」
俺は顔を上げた。
「もう少し、隠してください。身分を」
魔王様は外套の前を合わせた。
角と翼は、出たままだった。
「……通してもらいたい」
門番は唇を引き結んだ。
魔王様が、うなずく。
「構わぬ。申せ」
門番は目を閉じた。
「何の用だ、暇人」
魔王様の翼が、わずかに動いた。
「余は、仕事で……」
言葉が切れた。
リゼさんが進み出る。
「魔王様。本人の意思ではございません」
「分かっている」
「先ほどまで、水門の修繕計画をご確認なさっていました」
「うむ」
「午後も、ご予定がございます」
「……分かっている」
俺は監督を見た。
「検証役を交代しましょう」
「そうだな」
*
門番の書いた一覧と、俺の記録を並べた。
昨夜、酔っ払いを追い返した。
今朝、干し豆の納入業者と交渉した。
無許可の行商人が騒ぎ、注意した。
どれも、実際に使った言葉だった。
「話している途中に、相手が立ち去ることはありますか?」
門番がうなずく。
『顔見知りの職員は、よく』
「許可証だけ見せて、そのまま通る?」
また、うなずく。
「そのあと来た人に、さっきの説明の続きが出ることは?」
門番の手が止まった。
顔が上がる。
何度も、強くうなずいた。
会話を途中で切られたとき、終わっていない処理が残る。
前の仕事でも、似た不具合を見たことがあった。
ただ、画面の中の門番は、泣きそうな顔で助けを求めたりしなかった。
「残った会話が、次の相手に出ているのかもしれません」
監督が一覧を見た。
「全部、聞けば終わるか」
「試す価値はあります」
昨夜からの対応人数、四十七人。
俺は椅子を引いた。
門番が紙に書いた。
『申し訳ありません』
「大丈夫です。仕事なので」
俺は座った。
「では、お願いします」
門番が、深く息を吸った。
「お帰りください」
始まったばかりだった。
*
「当城への立ち入りには、許可証が必要です」
「はい」
「こちらの欄に、納入先をご記入ください」
「分かりました」
「酒を抜いてから出直せ!」
「はい」
俺は、ひたすら相づちを打った。
途中で切らない。
返事を求められたら答える。
丁寧な案内の間に、時々怒鳴り声が混ざる。
そのたびに門番が肩を縮めるので、俺はうなずいて続きを促した。
窓の外では、監督が職人と城門前を測っていた。
少し離れた石の腰掛けに、魔王様が座っている。
リゼさんが、その前に立っていた。
「門番への懲戒は不要ですね」
「当然だ。本人の意思ではない」
魔王様は即答した。
それから、書類へ目を落とす。
「……余は、民に嫌われているのだろうか」
俺は窓から目をそらした。
リゼさんの声は変わらなかった。
「水門では、皆様からお礼を申し上げられていました」
「そうだったな」
「先ほどの言葉は、騒ぎを起こした行商人へのものです」
「うむ」
少しの沈黙。
「顔も、見せぬ方がよいほどではないな?」
俺は門番へ向き直った。
早く終わらせよう。
*
「こちらに、お名前をお願いします」
俺は紙へシュウと書いた。
門番が口を開く。
少し止まり、息を吸う。
「……ご協力、ありがとうございました」
自然な声だった。
門番自身が、一番驚いていた。
俺は少し待ってから、首の札を見せた。
「施工班です。入城してもよろしいですか」
「はい。確認いたしました。本日もご苦労さまです」
彼は自分の口へ手を当てた。
もう一度、俺を見る。
「直りました」
「今のところは」
同じことが起きないようにしなければならない。
外へ出ると、受付の前に木の柵ができていた。
一人ずつ進むための短い通路。
受付の横には、持ち上げて開く横木。
監督が、動きを確かめている。
「説明が終わるまで、次の奴を通さない」
「顔見知りの職員も?」
「全員だ」
職人が横木を下ろした。
簡単な仕掛けだが、話している門番の横を、そのまま抜けることはできない。
「苦情が来そうですね」
「暇人と呼ばれるよりましだろう」
石の腰掛けで、書類が一枚めくられた。
*
最後の確認には、魔王様にも協力してもらった。
黒い外套を整え、城門の前に立つ。
門番は槍を持ち直した。
握る指が、白くなっている。
俺は横で手帳を開いた。
魔王様が受付へ進む。
門番が、深く頭を下げた。
「お帰りなさいませ、陛下」
魔王様は足を止めた。
肩から、少し力が抜けた。
「……うむ」
横木が上がる。
それでも魔王様は、まだ歩かなかった。
「通ってよいのだな?」
門番の顔が歪んだ。
「もちろんでございます!」
声が大きすぎて、本人が驚いた。
魔王様はそばへ寄り、その肩に手を置いた。
「これからも、城門を頼む」
門番は何度もうなずいた。
俺は手帳を閉じた。
今日は、誰も壁から引き抜かずに済んだ。
*
道具を片づけ、作業場へ戻る。
俺は帰り際、受付に声をかけた。
「明日も様子を見に来ます。何かあれば施工班まで」
「ありがとうございます。もう二度と来るな」
俺は止まった。
門番も止まった。
荷車の横で、監督が顔を上げる。
城門をくぐったばかりの魔王様が、振り返った。
俺と目が合った。
その表情が、ほんの少し和らいだ。
「……残っていましたか?」
門番は必死に首を振った。
震える手で、紙に書く。
『また出ないか、確かめようとして』
俺は紙を見た。
門番を見た。
「正常に話せるか、挨拶で試してください」
彼は深くうなずいた。
監督が工具箱を荷車へ載せる。
「そちらは研修だな」
魔王様は口元へ拳を当て、咳払いした。
今度こそ、城の中へ歩いていった。




