第3話 足の生えた玉座
翌朝、玉座から足が生えていた。
黒い石で造られた、巨大な玉座だ。
背もたれには竜の彫刻。肘掛けには赤い宝石。
その中央から、長靴を履いた足が二本、斜め上へ伸びている。
「……昨日より出ています」
リゼさんが言った。
「育っているみたいに言わないでください」
「昨夜は足首まででした」
今は膝の下まで出ていた。
俺は手帳を開いた。
初出勤から二日目。
昨日の仕事を思い出す。
壁の中の勇者には、口があった。
「聞こえますか。施工班です」
右足が動いた。
「聞こえているなら、右足を動かしてください」
左足が動いた。
俺は一度、自分の左右を確認した。
「そちらから見て右です」
今度は両足が動いた。
ゴルド監督がうなずいた。
「元気だな」
「会話ができないことは分かりました」
*
足の持ち主は、昨日から所在不明になっていた警備兵だった。
玉座の下へ落ちた留め金を拾おうとして、そのまま姿を消したらしい。
「なぜ昨日のうちに報告しなかった」
監督に尋ねられ、同僚の警備兵が背筋を伸ばした。
「あいつ、隠れて見張るのが得意でして」
「丸一日か」
「当直室のパンも減っていたので、戻っているのかと」
リゼさんが顔を上げた。
警備兵の目が泳いだ。
「……私が二つ食べました」
俺は玉座を見た。
足が、ばたばたと動いていた。
今の話は、聞こえているらしい。
「まず、少しだけ引いてみる」
監督が両足首を支えた。
俺は玉座へ声をかける。
「痛かったら、足を動かしてください」
監督が、ゆっくり力をかける。
「痛い! 戻して! 戻して!」
床下から叫び声がした。
監督は即座に手を戻した。
俺は床に膝をついた。
「話せるんですか!」
「そっちがずっと足に話しかけてたんだろ!」
俺は手帳に伸ばしかけた手を止めた。
今回は、覚えておくだけにした。
*
「設備点検の方をお連れしました」
リゼさんの声に振り返る。
隣に、銀色の髪を後ろでまとめた女性が立っていた。
青みがかった上着に、長いスカート。
腰には小さな手帳を下げている。
「ミラです。中を確認すればいいんですね」
「はい。こちらの玉座をお願いします」
彼女は足を見た。
少し首を傾げる。
「こちらが、ご本人?」
「足の方です」
俺が答えると、ミラさんはうなずいた。
それから玉座の横へ進み、背もたれに顔を近づけた。
そのまま、顔が石に入った。
俺は立ち上がった。
「監督、もう一人!」
腰をつかもうと伸ばした手が、上着をすり抜ける。
ミラさんが顔を戻した。
「大丈夫です。ゴーストなので」
俺は宙に浮いた自分の手を見た。
彼女の足元には、床の模様が透けていた。
「……すみません。昨日から、埋まる人ばかり見ていたので」
「こちらこそ。先に言えばよかったですね」
ミラさんは笑い、今度は石の前で振り返った。
「では、入ります」
俺はうなずいた。
一声あるだけで、ずいぶん違った。
*
ミラさんはすぐに戻ってきた。
「上半身は玉座の下です。首が、内側の石の梁に引っかかっています」
「外せるか」
監督の問いに、年配のゴブリンが背面を調べた。
「飾り板を外せば金具に届く。支えを入れて、梁をずらそう」
「お願いします。本人にも説明を――」
広間の奥で、扉が開いた。
職人たちの手が止まる。
大きな角。
黒い礼服と、肩から落ちる重厚な外套。
背には、畳まれた翼。
赤い目が広間を見渡した。
俺も慌てて立ち上がる。
リゼさんが、一歩前へ出た。
「お戻りをお待ちしておりました。魔王様」
黒天の覇王 ヴァルゼルギアス・ノクス・グランディオス
昨夜、寮の食堂で名前を聞いた。
近くで見ると、昨日討たれたとは思えない迫力があった。
「朝から、ご苦労」
低い声が響いた。
魔王様は玉座を見た。
足が、歓迎するように動いた。
しばらく、誰も口を開かなかった。
「リゼ」
「はい」
「余の椅子に、誰か座っているのか」
「座っているとは、申し上げにくい状態です」
魔王様はもう一度、足を見た。
それから、床へ向かって尋ねた。
「苦しくはないか」
「ま、魔王様!」
足がぴんと伸びた。
「楽にせよ」
少し曲がった。
この国の礼儀を、一つ覚えた。
*
事情を聞くと、魔王様は外套を脱いだ。
リゼさんへ預け、袖をまくる。
「持ち上げればよいか」
「お待ちください」
ゴルド監督が止めた。
「玉座に首がついてくるかもしれません」
魔王様は手を下ろした。
「……それはいかんな」
話の通じる雇い主で、助かった。
職人たちが支えを組み、飾り板を外す。
俺は床下の警備兵へ、これから動かす場所を説明した。
ミラさんが内側の様子を確かめ、戻ってくる。
「梁の下に、少し余裕ができています。顔は横へ向けられそうです」
「聞こえましたか。顎を引いて、ゆっくり左を向いてください」
座面の右足が、少し沈んだ。
「戻っています!」
俺は身を乗り出した。
ミラさんが、手帳を受け取るように両手を出した。
「記録しましょうか」
「いえ、まだ――」
言いかけて、彼女を見た。
「……今は、救出ですね」
「はい」
俺は手帳をしまい、照明を持ち直した。
監督が梁に回した帯を確かめる。
その隣へ、魔王様が立った。
「余は」
「こちらを。合図で、ゆっくりお願いします」
「分かった」
監督は普通に持ち場を渡した。
魔王様も普通に帯を握った。
俺は警備兵へ声をかけた。
「動かします。無理に起き上がらないでください」
「はい」
「せーの」
石が低く鳴った。
座面の足が、膝まで沈む。
足首まで戻る。
長靴が消えた。
床下で、ごとりと音がした。
「痛っ」
「大丈夫ですか!」
「頭を打ちました……」
玉座の脇から、埃まみれの警備兵が這い出した。
片手には、小さな留め金。
「取れました」
監督が受け取った。
「次は工具を使え」
「はい」
同僚が肩を支える。
救出された警備兵は、その顔を見るなり言った。
「パン、返せよ」
元気そうだった。
*
「これで、座れるのか」
魔王様が玉座を見た。
俺たちは黙った。
兵士は出せた。
座る側が沈まないことまでは、確かめていない。
「まず、荷物で確認しましょう」
座面へ土嚢を載せた。
一つ。
二つ。
魔王様の重さに合わせ、さらに追加する。
何も起きない。
魔王様が近づいた。
「では」
「次に、座り直した場合を」
俺は一番上の土嚢を持ち上げ、置き直した。
全部、沈んだ。
床下で、どさどさと音がした。
魔王様が、ゆっくり足を戻した。
ゴルド監督は立入禁止の札を掛けた。
「代わりを持ってくる」
「頼む」
魔王様の返事は、短かった。
*
代わりの椅子は、職人たちが休憩に使っているものだった。
丈夫だ。
床にも沈まない。
ただ、小さかった。
魔王様が座ると、膝が高く上がった。
翼を畳み直す。
尻の位置を少しずらす。
全員が見守った。
「……肘は、どこへ」
「膝の上ではいかがでしょう」
リゼさんが答える。
魔王様は両手を膝に置いた。
叱られるのを待っているように見えた。
俺は手帳へ目を落とした。
ミラさんも、隣で自分の手帳を開いた。
少しだけ、肩が揺れていた。
「シュウ、といったな」
俺は顔を上げた。
「部下を救ってくれたこと、礼を言う」
「いえ。皆さんがいなければ、俺には何も」
「そうだな」
魔王様は職人たちへも目を向けた。
「皆、よくやってくれた。必要な資材と人手は、リゼに伝えよ」
ゴブリンが帽子を取り、監督が頭を下げた。
俺も続いた。
昨日の朝に聞いたときは、随分と不安になった雇い主だ。
今は、この人の椅子を直して帰りたいと思った。
「本日の謁見は、予定どおりでよろしいでしょうか」
リゼさんが尋ねた。
魔王様は、膝の上で手を組み直した。
「……最初は誰だ」
「南方の使節です」
「初めて来る者か」
「はい」
魔王様は玉座を見た。
立入禁止の札が、静かにぶら下がっている。
次に、自分の椅子を見下ろした。
「ゴルド」
「何でしょう」
「せめて、肘掛けは付かぬか」
監督が俺を見た。
俺は手帳を開いた。
本日の追加作業。
肘掛け、二本。




