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勇者が壁を抜けるので、魔王城の施工をやり直します  作者: こーひーまめ
第一章

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2/16

第1話 侵入経路:尻


「魔王様が討たれた」



初出勤した俺に、現場監督が言った。


俺は支給されたばかりの作業着を見下ろした。


まだ袖を通して三十分。

退職するには、少し早い。


「……俺の採用は?」

「変わらん」

「国の方は?」

「そちらも変わらん。魔王様は明朝、お戻りになる」


監督は、工具箱の留め金を確かめた。


俺は今の説明を、頭の中でもう一度聞いた。


「討たれたんですよね?」

「ああ」

「明朝に?」

「ああ」


工具箱の留め金が、かちりと閉まった。


雇い主の生死についての説明も、それで終わった。


三日前まで、俺は日本でゲームの不具合を調べていた。


仕事中、画面の中から伸びてきた腕に引っ張られ、気づけば本物の魔王城にいた。

帰る方法は分からない。

そのうえ、日本円は使えなかった。


困っていた俺に、仕事と寝床を紹介してくれたのが、このゴルド監督だ。


灰褐色の太い腕。

額には二本の角。

背丈は俺より頭二つ分高い。


初対面では、腰まで壁に埋まっていた。


「行くぞ、シュウ」

「今日は何を?」

「勇者の侵入対策だ」


仕事の内容は分かった。


会社の存続については、まだ少し不安があった。


*


西側の外壁には、ゴブリンの職人二人と、作業帽をかぶったスケルトンが待っていた。


谷に面した、巨大な石壁だ。

下をのぞくと、川が細い紐に見えた。


「破損は」


監督の問いに、年配のゴブリンが答えた。


「なし。石も目地も無事だ」

「ここから侵入されたんですよね?」

「ああ」


監督が見取り図を広げた。


壁の角に赤い丸。

その脇に、注釈。


――尻から。


「……侵入した場所は?」

「ここだ」


太い指が赤い丸を示した。


「方法は?」

「尻だ」


俺は手帳に『西壁』と書いた。


次の欄へ進めなかった。


「正式な報告書にも、そう書くんですか」


監督は別の紙を差し出した。


『侵入方法:臀部』


言い方だけ、正式になっていた。


「門番の証言では、三百回ほど跳ねていたらしい。

そのあと壁に背を向け、腰を落として入った」

「三百回の間、何をしていたんですか。門番は」

「声をかけていた」

「何と?」

「頑張れ、と」


俺は顔を上げた。


「応援したんですか?」

「途中から数えてやったそうだ」


職場見学のとき、警備は厳重だと聞いた。


数を間違えなかった、という意味だろうか。


「俺は止めろと言ったぞ」


年配のゴブリンが口を挟んだ。


「壁が汚れる」

「侵入を心配してください」

「お前、この壁を見ろ」


分厚い石が、隙間なく積まれている。


「抜かれると思うか。尻に」


俺は壁を見た。


「……思いません」

「だろう」


納得してしまった。

研修を受ける側が、一人増えた。


*


壁際には、靴底の跡が集中していた。


その上に、柱を飾る石の出っ張り。

壁との間に狭い隙間があり、下端が腰ほどの高さで斜めに削られている。


俺はしゃがんだ。


「侵入する直前、勇者はどんな動きを?」

「腰を落として、小刻みに震えていた」

「そのあと?」

「消えた」

「監督。そこだけ聞くと、体調不良の人が亡くなった話です」


監督が、見取り図の赤い丸を指した。


場所の再確認を求めたわけではなかった。


ただ、その姿勢には覚えがある。


ゲームでは、体が地形に挟まったとき、外へ押し出す処理が働く。

それが間違った方向へ押せば、壁の向こうへ抜けることがあった。


俺は出っ張りに手を置いた。


「ここ、少し削れますか?」

「上を見ろ」


柱は、そのまま上階の張り出しを支えていた。


俺は手を離した。


「削らない方針で」

「そうしてくれ」


危なかった。

初日から、城の方を再発防止するところだった。


*


「俺、試してみようか」


骨の手が上がった。


スケルトンが、作業帽を押さえて近づいてくる。


「俺はノル。よろしくな、新人」


差し出された手を握る。

硬くて、ひんやりしていた。


「シュウです。よろしくお願いします」


手を離すと、俺の掌に指の骨が一本残った。


俺は動きを止めた。


ノルさんが、自分の手を見た。


「悪い。返してくれ」

「……俺が強く握ったせいですか?」

「いや、朝から緩かった」


返すと、彼は慣れた手つきではめ直した。


監督が腰の袋から細い紐を取り出す。


「試す前に、外れそうなところを留めろ」

「右膝は平気だ。替えたばかりだからな」


ほかは、確認してほしかった。


監督がノルさんの腰骨に帯を回す。

俺は綱の先を受け取った。


ノルさんが指や肘を順に曲げ伸ばしする。

監督はその間に、腰骨へ帯を回した。


俺は綱の先を受け取り、谷を見た。


「……外れた骨が、下に落ちたら?」

「午後は骨拾いだな」


ノルさんが答えた。


俺は綱を握り直した。


「全部付いたまま、帰っていただきます」

「頼むぞ」


*


しゃがむ。

跳ねる。

少し右を向く。


何度か試したが、壁は壁のままだった。


「もう少し腰を落とせますか」

「こうか」

「そこから、右へ」


骨盤の半分が、すっと壁に沈んだ。


「入った!」


俺は手帳を開いた。


「今の角度です! 右を向いた瞬間、腰が――」

「抜けない」

「少し待ってください。足の位置を記録します」

「脚も入ってきた」

「そのまま、そのまま」


肩をつかまれた。


顔を上げると、監督が俺を見ていた。


「先に出すぞ」


俺はノルさんを見た。


腰まで埋まっていた。


「……はい」


綱を引いた。


ノルさんは抜けた。


右脚は残った。


壁から突き出たつま先を、全員で見た。


「新品なんだが」


俺は手帳を閉じた。


ノルさんが、片脚でこちらを向いた。


「記録は取れたか」

「はい」

「じゃあ、次は脚だな」

「はい……」


初めて役に立ちそうなものを見つけて、夢中になっていた。


監督は俺から綱を受け取ると、壁を確かめた。


「気づいたことは後で聞く。今は支えろ」

「分かりました」


俺はノルさんに肩を貸した。


思ったより、重かった。


*


脚の回収を終え、隙間を埋めることにした。


傾斜のついた石を固定し、勇者が腰を落とした場所に立てなくする。


俺が図を描くと、年配のゴブリンは紙を回した。


もう一度、回した。


「どっちが上だ」

「こっちです」

「ここの波は?」

「石です」

「分かった。口で言え」


俺は説明した。

職人は石に線を引き、削り始めた。


俺が手帳に描き直そうとすると、監督が空の桶を渡した。


「石屑を頼む」


今度の仕事は、すぐに分かった。


*


取り付けが終わると、ノルさんが壁際に立った。


しゃがむ。

ひねる。

跳ねる。


入らない。


足の位置を変えても、骨盤は壁のこちら側にあった。


「どうですか?」

「尻が置けない」

「……対策できていますね」


俺は手帳に書こうとして、止まった。


監督が横からのぞいた。


「臀部だ」

「そこは覚えました」


確認を終え、ノルさんが右脚を二度踏み鳴らした。


ちゃんと付いている。


「さっきは、すみませんでした」

「次は先に引いてくれ」

「はい」

「俺が壁に入ったらな」

「入る前に止めます」

「それがいい」


監督が、工具箱を持ち上げた。


「助かったぞ、シュウ」


俺は顔を上げた。


「俺、石屑しか運んでませんけど」

「どこを塞ぐかは分かった」


壁際では、職人たちが道具を片づけていた。

俺の描いた図も、石の粉を払って返してくれた。


紙を折り、手帳に挟む。


妙な仕事だった。

それでも、一つは直せた。


「明日も別の場所を頼む」

「ほかにもあるんですか」

「ある」


数は聞かなかった。


今は温かい飯のことを考えたかった。


そのとき。


「すみません」


くぐもった声がした。


全員の手が止まった。


「今、そこを塞ぎました?」


俺は壁を見た。

職人たちも見た。


ノルさんが右脚を確かめ、それから首を振った。


「俺じゃないぞ」


それは、分かる。


「……どちら様ですか」


少し間があった。


「勇者です」


監督が工具箱を地面に戻した。


「いつからいる」

「昨夜からです。帰りも、そこを使うつもりだったんですが」


俺は塞いだ隙間を見た。


職人が、しっかり固定した石を見た。


誰も、出来栄えに文句はなかった。


「監督」

「何だ」

「残業の申請は、どちらへ」


壁の向こうで、勇者が小さく咳をした。


「あの。その前に、何か食べる物はありませんか」


俺もまだ、昼飯を食っていなかった。


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