第2話 契約
改札を抜けて駅を出ると駅前の大きな交差点に飛び出す。
横断歩道の音や車両の音が重なる中で助けてくれた金髪の少女を探した。しかし何処にも見当たらない。周りはスーツ姿の男性や学生しか歩いていなかった。
どうやら見失ったようだ。
駅の時計を見ると登校する時間が迫っている。このまま探していると学校に遅刻してしまう。もう一度だけ辺りを見渡すが見当たらない。
そもそもあの子はこの辺りの学校の生徒なのだろうか。見覚えのない制服だったので分からない。また会えるだろうか。もし会えたら助けてくれたお礼をするべきだ。
ただ、次に会えたとしても地味な僕が気軽に声を掛けていいのだろうか。
あの子は何というか気品が凄かった。口は悪そうだけれどお嬢様的な雰囲気がある。両親が外国人なのか容姿も整っていたのだ。
個人的に女子と会話するのはハードルが高い。学校でも僕が話し掛けようとすると嫌な顔をされる。もし気持ち悪いと言われれば心がもたない。さらに相手が可愛い女の子なら一か月は落ち込める自信はある。
すると誰かに服を掴まれた。
後ろに力強く引かれた僕は身体のバランスを崩して仰向けに転んでしまう。
腰を地面にぶつけた僕は不細工に青い空を見上げる。
地面ってこんなに固かったんだと久しぶりに思った。
「もしかして天使の回し者かしら?」
腕組みした金髪の少女が僕の肩を足で踏みつける。
えっと、何この状況? 何で僕は少女に踏みつけられているのでしょうか?
突然の乱暴に状況を整理するのに数秒掛かった。
いやいや、何の仕打ちなのか訳が分からない。地面に転がる僕は金髪の少女のスカートの中をぼんやりと眺めてしまう。赤い下着は血の色を連想させた。
そして僕にばっちりスカートの中を覗かれている少女は力強く踏み込んでくる。靴のかかとが肩にめり込むと我に返った僕は「いだッ」っと声を漏らした。
「ちょっと待って下さいよッ! 痛い! 痛いからッ!」
何て暴力的な子なんだろうか!? 怖すぎるのだけれど!? 日本の治安はどうなっているんでしょうか!?
小柄なのに凄い踏みつけ力だった。陸上部も驚きの踏み込み力だ。
あまりの痛さに華奢な足に右腕をぶつけて地面から逃げ出す。立ち上がった僕は自然と交戦的な構えをとった。僕は喧嘩をしたことは無い。なので構えるのは生まれて初めてだった。
「その不細工な構えは何? 求愛ポーズ? 気持ち悪いわよ? むしろ不快」
「求愛じゃない! というかいきなり人を踏みつけないでくれませんか!? 防衛本能がビンビンと働いたのですけれどッ!?」
咄嗟に声を荒げてしまう。すると叫ぶ僕に対して行き交う人達が白けた視線を向ける。理性が戻ると顔が熱くなった。公共の場所で目立つのは迷惑過ぎる。恥ずかしさに勝てない僕はゆっくりと構えた拳を下げると深呼吸した。
とりあえず落ち着け。大丈夫。僕なら落ち着ける。
焦った時や恐怖を感じた時は深呼吸。母さんが僕に教えてくれた必殺技だった。
慌てる必要はない。痛がったりすると相手が喜ぶのも分かっている。慌てず冷静に対応すればいいだけだ。
「神凪誠。十七歳。学生。圧倒的な地味さで友達が少なく空回りするのが特徴。臆病な性格だけれど正義感はあるようね……ふーん。悪魔の私を感知出来るのね……人間のクズにしては見込みがあるじゃない」
赤い瞳を光らせた少女はなぜか僕の名前を知っていた。
というかセンチメンタルな部分も暴露されているのが物凄く気にはなる。
「……何で僕の名前を知っているのかな? というか初対面でクズ扱いはちょっと……それに悪魔って何?」
「なぜ私の後を付けたのか簡潔に答えなさい」
どうやら僕の質問には一切答えてはくれないようだ。
というか本当に何で僕を知っているのだろうか? 僕はこの特徴的な女の子なんて知らない。一度出会っているのなら赤い瞳で金髪なら忘れるはずもない。かなりの美少女なので近隣の男子生徒もこの子を話題にしないのはおかしい。
疑問が重なるが僕は少女の質問にまず答えた。
疑いをかけられているのなら解消するのが先だ。僕は単純に痴漢に間違えられそうになったのを助けてくれたからお礼がしたかっただけだ。他に理由なんてない。もちろんナンパなんておこがましい事はしない。
たどたどしく本音を伝えると少女は首を傾げる。
どうやら何の話か全く理解していない様子だった。何かを思い出そうと視線を空に向ける少女に対して遠慮がちに確認する。
「あの……痴漢に間違われた僕を助けてくれましたよね?」
「あぁ。あの時の……別にあなたを助けた訳じゃないわ。欲望にまみれた人間が煩わしかっただけ。性欲にまみれた人間の女は殺したいほどに嫌いなの」
真顔で殺したいって言われてもな。もしかしてこの子は危ない人なのかも知らない。
他人の殺意なんて分からないけれどもこの子が本気なのは伝わってきた。奇妙な感覚だ。
「……とにかく助かったのは事実です……ありがとうございました」
お礼に何かしたいのだけど、と口から出そうになったがさすがに止めておく。
嫌な予感がした。この子に関わると面倒くさい事になると思ってしまったのだ。むしろこんな美少女と知り合いになれば同年代の男子に自慢できるだろう。しかし本能が目の前の少女に関わるなと信号を出している気がした。
「人間が悪魔の私にお礼をね……あなた面白いじゃない」
悪魔という発言を無視しながら僕は少女に背を向ける。これ以上に関わりたくないというのが本音だった。
「あの……それじゃ僕は学校に遅れるので――」
「待ちなさい。助けたお礼を受けていないのだけれど? 言葉だけでは足りないわ」
「いやー、もういいかなって思いまして……」
「そうね。今ね。私は少しだけ困っているのよ」
「そうですか。大変ですね。あと手を離してもらえませんか?」
「だからあなたに協力して欲しいの」
「僕じゃなくてもいいと思いますが? あの……手を離してもらえません?」
手首をがっちりと掴まれて動けない。思い切り引っ張ると僕の肩が外れそうな程にロックされていた。本当に馬鹿みたいな腕力だなと驚かされる。訳が分からない。殴り合いになったら絶対に一撃でノックアウト出来る自信があった。
「そうね。適格者を探すのは面倒だからあなたに決めるわ。人間の世界に長居したくないの」
「……何をいっているのかな?」
「じゃあ契約始めるわよ」
「へ?」
少女に掴まれている手から黒い瘴気が立ち上る。ゆらゆらと風に揺れて空気に溶けていくのをまじまじと見つめた。
何これ? 手品?
すると胸が急に苦しくなる。心臓を誰かに捕まれている感覚だった。
咄嗟に胸を抑えると身体が異常に熱くなっているのが分かる。
そして僕は咄嗟に自分の口を押さえる。
息が出来ない。叫びたくても声すら出せなかった。
「私に対するお礼なのだけれど……あなたには悪魔の遊戯に付き合ってもらうわ」
目の前が真っ暗になった僕は意識が薄れて足元から崩れ落ちた。




