第5話 そして終える役割
夏の大会が近づくと、校内の空気が一気に変わった。
野球部の話題が、休み時間の中心になる。
春の大会で結果を残したチームへの期待は高く、
グラウンドには、いつもより多くの視線が集まっていた。
サードを守る大翔に、強烈なノックが飛ぶ。
「キャプテン、ナイスキャッチ!」
玲菜の声が、ひときわ大きく響く。
周囲の視線を集めることを、まるで計算していないようで、
それでいて、完全に場を支配している。
大翔の送球がファーストミットの上を越えた。
「サード、しっかり送球しろー!」
「お、おう」
大翔の声が裏返った。
「そこ、危ないから下がってください!!」
摩季が三塁側の観客に向かって呼びかけた。
玲菜たちが慌てて下がる。
史帆はグラウンドの端から、そのやり取りを眺めていた。
***
「……正直さ」
試合後、
摩季は部室のベンチに座り、ぽつりと言った。
「玲菜のああいうとこ、ムカつくって思う自分が嫌なんだよね」
史帆は、ノートパソコンを閉じ、摩季を見る。
「あんなに周りを気にせずに行けるって、すごいと思う。
私には無理だなって」
摩季は、膝の上で指を絡める。
「私、マネージャーのわけだし」
「うん」
「だから、大翔だけ特別扱いとか、できないし」
史帆は短く頷く。
「応援の声も」
「話しかける回数も」
「差をつけたら、雰囲気ヤバくなる」
「そうだね」
「今は大事な時期だし、波風を立てたくないんだよね」
摩季は、机に突っ伏して嘆く。
「史帆~、もう私、どうすればいいんだよ~」
大げさな言い方だったが、多分、本音だ。
***
「玲菜が見てるのはさ」
史帆は、少し言葉を選んでから続ける。
「大翔の強いところだよね」
摩季が顔を上げる。
「強いところ?」
「野球」
「キャプテン」
史帆は、グラウンドの方をちらりと見る。
「大翔が一番輝いている瞬間」
「そこがカッコいいんじゃん」
「孫子の兵法にね、“実を避けて虚を撃つ”って言葉がある」
摩季は、また難しそうな顔をした。
「強いところは避けろってこと、恋愛も同じ」
史帆は、淡々と言った。
「人が一番、距離が縮まるのって、調子のいいときじゃない」
「……どういうとき?」
「調子の悪いとき」
史帆は、続ける。
「弱さを出してるところに、一緒にいるかどうか」
***
「じゃあ、どうすればいい?」
摩季が、少し前のめりになる。
「派手なことは、しなくていい。
うまく行ってないときや、悩んでるときに……」
「そのときに?」
「黙ってそばにいる」
「話さなくていい?」
「絶対ダメ」
史帆はきっぱり言う。
「正解も、アドバイスもいらない」
「“そばにいる”、ただ、それだけ」
摩季は、少し考えてから、小さく頷いた。
「……分かった、やってみる」
***
数日後、
摩季は、明らかに浮かれていた。
「ね、聞いて」
史帆が席につく前に、声をかけられる。
「史帆の言う通りにやったら……」
「どうなった?」
「向こうから、話しかけてきた」
「ほらね」
「話聞いてると、なんか、キャプテン大変だなーって思った」
摩季は、照れたように笑う。
(作戦はうまく行った)
摩季が話す大翔は、史帆が知らない大翔だった。
大翔が、幼なじみから親友の恋人に変わっていくのを感じた。
***
取材の途中で見かける二人の距離が、
少しずつ、確実に変わっている。
グラウンド。
ベンチの中。
放課後の帰り道。
大翔は相変わらず鈍感で、言葉も不器用だ。
それでも、摩季はそれを当たり前のように受け止めている。
そこには、史帆の知らない空気があった。
***
もう私は、ここにいる必要はない。
史帆は、摩季に言った。
「もう、私が来なくてもいいんじゃないの?」
史帆は、自分で言っておきながら、胸の奥がちくりとした。
「来ないって?」
「二人はきっとうまくいくよ」
「……まだ、自信ないな」
「最後は、自分自身でやった方が、絶対いいって」
「うーん」
摩季は、少し考えてから答える。
「……わかった、やってみる」
史帆は、安堵感と少しのさみしさを覚えた。
「じゃあ、取材も、もう終わりだね、いい記事、書けそう?」
何気なく言った摩季の言葉に、史帆は、はっとした。
その様子に、摩季は驚く。
「えっ、そうじゃないの?」
「しゅ、取材は、続けさせてもらうよ」
史帆は、言ったことを咄嗟に繕った。
それが、矛盾していることが、わかっていながら。
摩季が、何も言わずに史帆を見ていた。
***
学校からの帰り道。
応援しているはずなのに。
取材対象のはずなのに。
史帆は、一生懸命、自分の考えを整理していた。
そうして、ある考えにたどり着く。
「もしかして、二人のそばにいるのが、辛い?」
慌てて、その考えを打ち消す。
夏の日差しが、史帆の姿を濃い影にして浮かび上がらせた。




