第4話 将来を考える時期
新学期が始まった。
三年生、という言葉が、史帆のまわりの空気を静かに変えている。
進路。
引退。
受験。
どこを見ても、落ち着かない気配が漂っていた。
新聞部の部室で、史帆はパソコンの画面を見つめる。
カーソルが点滅するだけで、文章は一行も増えない。
向かいの席では、摩季が楽しそうに頬杖をついている。
「最近さ、部活のこと以外も話すようになった」
史帆は、キーボードから手を離し、軽く相槌を打った。
「いいじゃん」
「まあ、こっちが一方的にしゃべっているんだけどね」
「ちょっと進歩したね」
「えへへ」
摩季の声は弾んでいる。
距離が縮んでいるのが分かる。
――計算どおり。
史帆は内心でそう確認した。
それでも、摩季の表情は、計算では説明できないほど明るい。
***
「史帆ってさ……」
摩季が、何かを思いついたように口を開いた。
「何?」
「……好きな人とかいないの?」
「いないよ」
史帆は即答した。
「じゃあ、さあ、つき合ったこととかは?」
遠慮なくズバズバ聞いてくる。
史帆は、思わず苦笑いした。
「何、その笑い? もしかして思い出し笑い?」
「違う、違う!」
史帆は、慌てて首を振る。
「で、どうなの? あるの、ないの?」
「中学の時に一度だけ……告白されて付き合った」
「その人とは、どうなったの?」
「二、三回デートしたかな。
卒業して、それで自然消滅」
摩季は目を丸くした。
「ドライすぎない?」
「中学生の恋愛なんて、そんなもんでしょ」
史帆は、わざと大人ぶって答えた。
嫌いではなかった。
でも、続ける理由もなかった。
今では、本当に好きだったのかも、よく分からない。
***
「卒業って、そういう区切り多いよね」
摩季は、そう言うと急にしみじみした声になる。
「ここも、あと一年で卒業か~」
そして、間を置かずに続けた。
「史帆は、卒業したらどうするの?」
相変わらず、話の展開が早い。
「とりあえず進学……かな」
「史帆、成績いいもんね、将来は新聞記者とかになるの」
「新聞記者は狭き門だし、出版とか文章に関われたらいいかな」
ほとんど反射的に出た答えだった。
「堅実だね」
その一言に、史帆は一瞬だけ言葉に詰まる。
堅実。
安全。
間違えない選択。
褒め言葉のはずなのに、胸の奥に何かが引っかかった。
***
――私は、何に一生懸命なんだろう。
新聞部の活動は嫌いじゃない。
取材も、書くことも好きだ。
でも、それを一生やりたいかと聞かれると、答えは出ない。
恋愛も、進路も。
史帆はいつも、失敗しない場所から眺めてきた。
踏み出さなければ、傷つかない。
それで十分だった。
***
数日後。
史帆は取材を理由に、グラウンドを訪れた。
大翔は、昔と変わらない態度だった。
特別でもなければ、よそよそしくもない。
「摩季と玲菜に挟まれて、大変だね」
からかい半分で言うと、大翔は顔を赤くした。
「うるさい」
耳まで赤い。
分かりやすい反応に、史帆は小さく笑う。
「お前こそ、勉強ばっかしてたら彼氏できないぞ」
「はいはい」
笑って流した。
でも、その言葉は胸の奥に残った。
***
幼なじみ。
信頼はある。
けれど、特別ではない。
この距離を壊さないようにしてきたのは、自分自身だ。
――大翔と摩季がうまくいけばいい。
嘘ではない。
そのためなら動ける。
でも、そこには自分の感情は重ねない。
***
帰り道。
史帆は、孫子の一節を思い出す。
「『途に由らざるあり、軍に撃たざるあり』
――安全な立場にい続けるのも、また危うい」
傷つかない選択ばかりしていれば、何も掴めない。
応援役。
調整役。
軍師。
その立場に、いつの間にか固定していたのかもしれない。
親友と幼なじみの恋を支える役目は、もう簡単には外せない。
それだけは、はっきりしていた。
史帆は、パソコンの電源を落とす。
桜はいつの間にか散り、若葉が風に揺れていた。




