第3話 主導権争い
空気が凍てつく真冬の朝。
史帆は体を屈めて足早に校門をくぐる。
その視界の端に、ユニフォーム姿の大翔が映る。
「榮倉くん!」
明るい声が弾ける。
玲菜だった。
迷いのない足取りで、前を歩く大翔の正面に立つ。
「早いね、今日も朝練?」
「ああ」
大翔は、少しだけ足を止めたが、すぐに前を横切ろうとする。
「うちもそう、キャプテンって大変だよね」
さりげない共通点アピール。
くっつくような距離感。
誰が見ても分かる、正面からのアプローチ。
摩季が、後ろから史帆に駆け寄る。
「何あれ、もう我慢の限界!」
摩季は、今にも飛び掛かりそうな目で玲菜を睨んでいた。
***
放課後。
新聞部のドアが勢いよく開いた。
「史帆!」
摩季だった。
息が上がっている。
「もう、無理。
何もしないって言われたけど……
このままじゃ、取られる気がする」
摩季の声は震えていた。
焦りが、そのまま形になっている。
史帆は、すぐに否定しなかった。
椅子を引き、摩季に座るよう促す。
***
「ねえ、摩季」
史帆は、取材ノートを開きながら言う。
「兵法に、こう書いてある」
「また、兵法?」
史帆は、それには答えず、静かな声で続けた。
『途に由らざるあり、軍に撃たざるあり』
一拍置く。
「進むべきじゃない道もあるし、
戦うべきじゃない戦いもあるって意味」
摩季は、きょとんとする。
「玲菜と正面から張り合う必要はない」
「……でも」
「主導権ってさ、
先に動いた人が握るとは限らない」
史帆は、摩季の肩に両手を置く。
「目立つ行動が、そのまま勝ちに繋がるわけじゃない」
摩季が、息を殺して史帆を見返す。
***
「玲菜は“非日常”」
史帆は続ける。
「応援のときだけ現れる存在。
一方で、摩季は、大翔の“日常”にいる」
「日常……」
「毎日会う。毎日話す。
それって、かなり強い」
史帆が、すっと息をすった。
「恋愛って、正面突破だけじゃない。
自然にそこにいる人が、いつの間にか主導権を持ってることも多い」
摩季が、身を乗り出す。
「……じゃあ、どうすればいい?」
***
「動くなら今、勝負はバレンタイン!」
摩季が目を瞬かせる。
「まさかバレンタインデート!?」
「一気に飛躍しすぎ。
まずは、マネージャーとして部員全員にチョコを配る」
「野球部にそんな文化ないよ」
「今は摩季がチーフでしょ、摩季が始めればいいだけのこと」
「そうだけど……」
「その中で、大翔の分を少しだけ大きくする」
「それは、ちょっと……」
「冷やかされたら、こう言えばいい」
史帆は、淡々と台詞を組み立てる。
「『秋季大会で一番頑張ったご褒美』とか言って誤魔化す」
「なるほど」
摩季が頷く。
「特別扱いを、特別に見せない。
既成事実の積み重ねが大事!」
「……それ、ずるくない?」
「恋愛なんて、だいたい、ずるい」
史帆はそう言って、わずかに笑みを浮かべた。
***
「それから、大翔のはクッキーにしな」
「え、なんで?」
「あいつ、チョコが苦手だから」
「……史帆、ほんと詳しいね」
史帆は、ノートを閉じてカバンにしまう。
「昔、『俺、チョコ食べないから』とか言ってた」
「そうなんだ」
「でも、チョコアイスは食べるし、意味わかんないよ」
「へえ、でも、ちょっとかわいいかも」
摩季の顔にようやく笑みが戻った。
***
バレンタイン当日。
摩季は、マネージャーとして、
いつも通りに振る舞った。
練習後に、全員にチョコを配る。
その中で、大翔の分だけ、少しだけ大きい。
「え、大翔だけ多くね?」
「しかも手作りクッキー? 俺もそっちの方がよかった」
周囲がざわつく。
「違うよ」
摩季は、平静を装って言う。
「キャプテン、チョコ苦手だって聞いてたし」
大翔は「ありがと」とだけ言って、一口でクッキーを食べた。
史帆は、ビデオカメラを回しながら、その様子を見ていた。
――主導権はこちらにある。
作戦の成功を確信する。
***
数日後。
「ねえ、史帆!」
摩季が弾んだ声で言った。
「ホワイトデー、何かお返しするって言われた!」
史帆は、頷く。
「そう」
無邪気に喜ぶ摩季を見て、史帆は、ふと考える。
――私も、
好きな人ができたら、こんなふうに悩んで、喜んだりするのだろうか。
策は立てられる。
勝ち筋も読める。
でも。
――私は、当事者じゃない。
史帆は、撮影したビデオの編集をしながら呟いた。




