第2話 恋の作戦会議
放課後の部室。
史帆と摩季は、机を挟んで向かい合っていた。
摩季は落ち着かない様子で、膝の上の手を何度も組み替えている。
それに対して史帆は、いつも通りの静かな顔だった。
「ねえ、摩季」
史帆は、古い学校新聞をバインダーから取り出す。
「この戦国対戦ゲームの特集記事、覚えてる?」
「ごめん、難しくて読んでない」
史帆は、首を振りながら、小さくため息をついた。
「孫子の兵法にね……」
摩季は瞬きをして、史帆を覗き込んだ。
「今、大翔の話……だよね?」
「だからだよ」
史帆は、コホンと咳払いをして続ける。
「いい、孫子の兵法に、こうあるんだ」
「『危うきに非ざれば戦わず』
――つまり、摩季の方が有利なんだから、
ドンと構えていればいいってことだよ」
「私の方が有利?」
摩季が、不思議そうに聞き返した。
***
「摩季の立場、もう一度確認しよ」
史帆は、指を折る。
「毎日、大翔と接してる」
「うん」
「野球部のマネージャーとして大翔を支えている」
「仕事だからね」
「野球部のこと、一番分かってるのは摩季だよね」
摩季は、ゆっくりと頷く。
史帆は、はっきりと言い切った。
「だから、今は無理に前に出なくていい」
摩季は、それでも不安そうな顔をする。
「でも、玲菜が……」
「相手は、動きが派手だから目立つだけ。
今のところ、脅威じゃない」
史帆は、どこまでも冷静だった。
「自然な距離を保とう。
それだけで、今は十分リードしてるんだから」
「……そっか」
摩季は、ようやく少しだけ肩の力を抜いた。
***
史帆は「記事のため」という名目で大翔に近づいた。
ベンチでスパイクの紐を結ぶ大翔に声を掛ける。
「久しぶり。最近、忙しそうだね」
「当たり前だろ。大事な時期だからな。
お前は相変わらず、勉強ばっかしてんのか?」
「勉強じゃなくて新聞制作だよ。
机に向かってると、何でも勉強だと思ってない?」
「俺から見れば、どっちも同じ」
昔と変わらない、気取らないやり取り。
その距離感に、史帆は少しだけ安心した。
「……で、練習ない日は何してるの?」
遠回しに探りを入れると、大翔は即答した。
「は? そんなのないよ。毎日練習」
「帰ってからは?」
「筋トレ、飯、寝る、以上!」
それだけ言うと、彼はグラウンドへと駆け出して行った。
***
「相変わらずの野球バカ。女子の影はなし」
史帆の報告を聞いて、摩季の表情が和らぐ。
「よかった……」
「でも、喜ぶのはまだ早いよ」
「えっ、なんで」
「野球以外に興味がないってことは、
摩季にも興味を持ってないってことだよ」
「う~ん、それは困る」
「だから、今は動いても仕方ない。
時期を待とうってこと」
そう言うと、椅子に深く座りなおした。
***
数日後、史帆のところに別の噂が回ってきた。
チア部と野球部の合同ミーティング。
次の試合の応援打ち合わせで、玲菜と大翔が直接やり取りしていたらしい。
史帆は、その話を聞いた瞬間、鋭い引っかかりを覚えた。
それは本来、マネージャーである摩季が担うべき領域だったからだ。
さらに、耳に入ってきた部員たちの軽口。
「山藤みたいな美人がマネージャーだったら、もっとモチベ上がるよな」
部員たちは、笑いながらグラウンドに散っていく。
「ねえ、史帆……」
摩季の視線が落ち、指先がジャージの端をつかんでいる。
「やっぱり、私、何かしないと」
「大丈夫、まだ危険な局面じゃない」
史帆の声は、少しだけ上ずる。
――玲菜の動きは、思ったより早い。
状況は、史帆の想定を超えて、静かに変わり始めていた。
史帆の頭に孫子の一節が浮かぶ。
『九変の利を知らざれば、将たること能わず』
――変化の利害を判断できない者は、敗れる。
(ここで動くべきなのか?)
史帆は、グラウンドを走る大翔を目で追った。




