第50話:一番恐ろしいエラー
第50話:一番恐ろしいエラー
地下十階層のドーム。
泣き叫ぶ十一人の美女たちの絶望を啜り、五メートルを超える泥の怪物(呪いのコア)が、ジーンに向かって巨大な触手を振りかざした。
『サア、吐ケ! 貴様ノ精神ヲ破壊スル、最モ恐ロシイトラウマヲォォッ!』
怪物の放つ魔力のパルスが、ジーンの脳神経へと強制ハッキングを仕掛けてくる。
だが、恋愛感情も恐怖心もバグっているジーンの扁桃体は、そのパルスを一切のノイズとして処理しなかった。彼はただ、怪物の「音声入力システム」の仕様を逆手に取るための、極めて高度な『物理的演技』を開始した。
(……対象のシステムは、こちらの発話内容と、それに伴う「ストレス反応(バイタルサインの変化)」をトリガーとして事象を具現化する。ならば、意図的にバイタルを乱せばいい)
ジーンは、広背筋と大腿四頭筋をはじめとする全身の遅筋群(赤筋)に、微細かつ持続的な収縮命令を下した。
筋肉が意図的に痙攣し、急激な熱産生が始まる。同時に、交感神経を強制的に刺激し、アポクリン汗腺から一気に汗を噴出させる。
傍目には、恐怖で全身を震わせ、冷や汗をダラダラと流しているようにしか見えない、完璧な「パニック状態のバイタル偽装」。
「や……やめろ……ッ」
ジーンは、声を震わせ(声帯の緊張をコントロールし)、膝から崩れ落ちるようにして床に手をついた。
「俺が……俺が一番恐れているのは……ッ」
『フハハハハッ! ソウダ、恐レロ! 貴様ノ心ノ最モ柔ラカイ部分ヲ、言語化シテ引キ裂クガイイ!』
怪物が歓喜のノイズを上げ、ジーンの発する言語データ(プロンプト)を貪欲に待ち構える。
そして、ジーンは、大真面目な顔のまま、血を吐くような悲痛な叫びを上げた。
「俺が一番恐れているのは……お前自身(呪いのコア)が、あの三千度の焼却炉に自ら飛び込んで、『一ミクロンの灰も残さず完璧に焼却されてしまうこと』だァァァッ!!」
『……ハ?』
怪物の泥の顔に、明確なエラー(困惑)が走った。
「そ、それだけじゃない……ッ! お前が焼却炉のマグマに飛び込む際の余波で、このドームの床や壁が……チリ一つなく『ピカピカに清掃されてしまうこと』だ! そんな事態になれば、俺の精神は完全に崩壊してしまうッ!! 頼む、それだけは絶対にやめてくれェェェッ!!」
ジーンの三白眼が、悲痛な色を帯びて(ドライアイを我慢して涙目を偽装し)怪物を睨みつける。
全身の震え、異常な発汗、乱れた呼吸。
怪物のシステムは、「対象の極大ストレス状態」として完全に誤認した。
『フハ、フハハハハハッ!! ナルトホド、貴様ハ「私ガ消滅シ、周囲ガ清潔ニナル事」ニ、ソコマトデノ恐怖ヲ抱イテイタカ!!』
怪物の単純なAIは、入力された言語データ(プロンプト)を、一切の文脈を無視して忠実に実行プロセスへと移行させた。
『貴様ノ絶望スル顔ガ見タイ……! ナラバ、貴様ノ望ミ(恐怖)通リニ、コノ身ヲ滅ボシテヤロウデハナイカァァァッ!!』
「や、やめろォォォッ!!」
ジーンが(棒読みで)叫ぶ中。
五メートルの巨大な泥の怪物は、自身の存在意義(他者を絶望させること)を全うするため、何の躊躇いもなく、背後の『超高熱焼却炉』の三千度のマグマへと、自ら勢いよくダイブした。
ドッバァァァァァァァァンッ!!!!
マグマの飛沫が数十メートルの高さまで噴き上がる。
怪物の巨体は、三千度の超高熱によって一瞬で沸騰し、その構成物質(呪いのガス)ごと、文字通り「一ミクロンの灰も残さず」完全に焼却された。
さらに、怪物が消滅する間際に放った断末魔の魔力波が、ドーム全体に広がっていたピンク色のガスと瓦礫を物理的に吹き飛ばし、ジーンの宣言通り、空間の隅々までをチリ一つなく『ピカピカに清掃』して消え去った。
シューゥゥゥゥ……。
後に残ったのは、静かに煮えたぎるマグマの音と、塵一つない無菌室のように綺麗な地下ドームだけ。
「……よし。有害指定物の廃棄、および現場の原状回復、完了だ」
ジーンは、全身の筋肉の緊張を解き、気怠げに立ち上がると、大真面目な顔で懐中時計を確認した。
魔法の怪異(呪い)を、物理的な演技と「逆説的な宣言」を用いたシステムハック(プロンプト・インジェクション)によって、完全に自滅させたのだ。
「あ……れ……?」
「私、なんで泣いて……」
怪物が消滅したことで、ドーム内で泣き叫んでいた美女たちの幻覚が強制解除された。
さらに、ピンク色のガスも完全に焼却されたため、彼女たちの過剰分泌されていたオキシトシンとドーパミンのレベルが、急速に正常値へと戻っていく。
「……はっ!? ア、アタシ、さっきまでジーンに、なんて恥ずかしいことを……ッ!」
「嫌ぁぁっ! 忘れて、全部忘れてくださいませジーン様ぁっ!!」
正気を取り戻した十一人の美女たち。
彼女たちは、自分たちが理性を失い、獣のように涎を垂らしてジーンにマウントを迫っていた記憶(黒歴史)がフラッシュバックし、一斉に顔から火が出るほど赤面してその場にうずくまった。
世界最強の女たちが、両手で顔を覆い、羞恥でドロドロに溶けながら床で身悶えしている。
だが、その圧倒的なメスの羞恥と狂乱の光景すらも。
不器用なエージェントの三白眼には、「メンテナンスを終えて再起動中の機材群」にしか見えていなかった。




