第44話:溶解する防壁と、愛の重機
第44話:溶解する防壁と、愛の重機
地下七階層。
ジーンは、百二十キロの『呪いの壺』を背負ったまま、粘度の高い暗闇の中を正確なペースで進んでいた。
壺のクラックから微量に漏れ出し続けるピンク色のガス(オキシトシン強制誘発剤)を吸い込まないよう、彼は横隔膜の収縮を最小限に抑え、血中酸素濃度を極限までコントロールする『浅い呼吸』を維持している。
だが、その冷徹な歩みは、巨大な鋼鉄の壁の前で強制的に停止させられた。
(……厚さ五十センチの超硬合金製・防爆扉。魔王戦の重力異常でフレームが歪み、物理的に開閉不能状態に陥っているな)
ジーンの三白眼が、完全にひしゃげた分厚い扉のヒンジをスキャンする。
現在の彼の筋力と【圧縮】をもってしても、このサイズの金属塊を無傷でこじ開けるには、最低でも数十分のタイムロスが生じる。
ルートの再計算を実行しようとした、その時だった。
「……ジィィィン……見ぃぃつけたぁ……っ」
背後の暗がりから、鼓膜を焦がすような熱気と、甘く熟れた吐息がねっとりと絡みついてきた。
ゴポォォォォッ……!!
石造りの床をドロドロに溶かしながら這い進んでくるのは、三千度のマグマ。
そして、その灼熱の源流に立つのは、天才鍛冶師ブリュンヒルデだった。
ピンク色のガスによって理性のタガを完全に外された彼女の肌は、溶鉱炉のように真っ赤に染まっている。過剰分泌された汗が、マグマの熱で瞬時に蒸発し、彼女の豊満な肉体を白い蒸気で包み込んでいた。
「ハァッ……ハァッ……。熱い、熱いよぉ……っ。アタシの体、お前のせいで芯までドロドロに溶けちまってる……っ。ねぇ、一緒にアタシの金床の上で、骨の髄まで熱く溶け合おうよぉ……っ!」
完全に発情し、ハート型に瞳孔を開いたドワーフの美女が、巨大なハンマーを引きずりながらジーンへと迫る。
さらに、反対側の通路の奥から。
ギュイィィィィィィィンッ!!!!
地下空間の空気を切り裂く、狂暴なエンジンの駆動音。
巨大な蒸気式ドリルを構え、煤と油にまみれたツナギ姿の天才技師オードリーが、タイヤの摩擦で火花を散らしながら猛スピードで突進してくる。
「アハッ、アハハハッ! ジーン、ジーンッ! アタシのエンジン、もう爆発しそうッ! ねぇ、あんたのその分厚い胸のパーツと、アタシのドリル……今すぐここで、ガッチャンコしてぇぇッ!!」
オードリーの口元からは涎が垂れ、完全に理性を失った快楽の笑みを浮かべている。
右からは、三千度のマグマとハンマー。
左からは、超高速回転する巨大ドリル。
最高峰の技術を持つ二人の職人が、極限の「愛欲」と「独占欲」によって暴走した、純度百パーセントの殺意級のアプローチ。普通の男なら、抱きつかれた瞬間に消し炭になるか、挽肉になるかの二択である。
だが、二つの致死的な熱量に挟撃された不器用なポーターは。
(……対象二名のコア体温、および心拍数がレッドゾーンを突破。脳内麻薬の過剰分泌により、機材の安全装置が完全に解除されているな)
顔をトロトロに溶かして迫り来る絶世の美女たちを前にして、彼の脳内には一ミクロンの恐怖も、情欲も湧いていなかった。
彼の網膜に映っているのは、彼女たちの「女としての肉体」ではない。
熱と回転。
目の前の『開かない防爆扉』を破壊するのに、これ以上ないほど最適な【重機】の姿だった。
「……ちょうどいい。ルートの開拓を手伝ってもらう」
ジーンは、大真面目な顔で百二十キロの壺を背負い直した。
「アタシと……ッ!」
「ガッチャンコしてぇぇッ!」
ブリュンヒルデのマグマを纏った巨大ハンマーと、オードリーの超回転ドリルが、ジーンの肉体を粉砕しようと同時に襲いかかる。
致死の十字砲火。
『実行条件:両者のベクトルと運動エネルギーを演算。接触までの残り時間、〇・一秒』
「……フッ!」
ジーンの強靭な足底腱膜が床を捉え、膝の関節がバネのように沈み込む。
広背筋から大臀筋への完璧な連動。百二十キロの荷物を背負いながら、彼は空気の抵抗すら感じさせない滑らかなモーションで、真後ろへと跳躍した。
女たちの猛烈な愛の突進は、ジーンの鼻先一ミリを掠め――そのまま、彼が先ほどまで立っていた背後の『超硬合金製の防爆扉』へとクリーンヒットした。
ズドガァァァァァァァンッ!!!!!
地下空間を激震させる、凄まじい破壊音。
ブリュンヒルデの三千度のマグマが、鋼鉄の防爆扉の分子結合を一瞬で脆弱化(軟化)させる。そこへ、オードリーのドリルの圧倒的な回転トルクが突き刺さる。
熱力学と機械工学の奇跡的な融合。
絶対に開かないはずだった分厚い鋼鉄の扉は、愛に狂った二人の女の『熱烈なハグ』によって、まるでビスケットのようにあっけなく粉砕され、巨大な大穴が開いた。
「……よし。熱伝導による装甲の軟化と、物理的穿孔の完璧な同期。見事な重機運用だった」
濛々と舞い上がる粉塵の中。
ジーンは、粉々になった防爆扉を気怠げな三白眼で確認し、満足げに頷いた。
「あ、あぁぁんっ……ジーンに、避けられちゃったぁ……っ」
「でも、ジーンの風圧、熱かったぁ……もっと、もっとぉ……っ」
扉に突っ込み、瓦礫の中で互いに絡み合うように倒れ込んだブリュンヒルデとオードリー。
二人はオーバーヒートした機械のように熱い吐息を漏らし、完全に焦点の定まらない瞳で、ジーンの背中をねっとりと見つめている。
「……冷却水を回して、ラジエーターを休ませておけ。機材が焼き付くぞ」
ジーンは、ドロドロに溶けた表情で喘ぐ二人の美女に対し、大真面目に「エンジン周りのメンテナンス指示」だけを言い残した。
彼女たちの異常な性欲すらも、単なるルート開拓のための『便利な重機』として処理した最強のエージェント。
彼は粉砕された防爆扉の大穴を抜け、さらに深く、ピンク色のガスが充満する地下空間の奥底へと、泥だらけのブーツ音を響かせて進んでいくのだった。




