第43話:黄金の檻と、恩恵の水流
第43話:黄金の檻と、恩恵の水流
ギルド『銀の天秤』のロビーを満たしたピンク色のガス(集団発情のパンデミック)を背に、ジーンは地下へと続く重厚な鉄扉を蹴り開けた。
目指すは地下十階層の『超高熱焼却炉』。
背負った百二十キロの呪いの壺から漏れ出すガスを最小限に抑えるため、ジーンの大胸筋と広背筋が極限まで収縮し、荷物の揺れ(振動)を物理的にロックする。
だが、薄暗い地下階段へ足を踏み入れた瞬間。
ガラガラガラッ……!!
頭上から、鼓膜を劈くような金属の衝突音が響き渡った。
見上げれば、階段の上部から無数の『純金』が滝のように降り注ぎ、ジーンの行く手を完全に塞ぐ黄金の壁を構築していく。
「……どこへ行くの、私のエージェント……っ」
黄金の壁の向こう側から、甘く、ひどく熱を帯びた吐息が漏れた。
砂漠の女王、ヴィクトリアである。
普段は完璧に整えられている彼女の豪奢なドレスは乱れ、過剰分泌された汗腺からの水分が、胸元や太ももの肌に艶やかな光沢を与えている。ハート型に開いた瞳孔が、獲物を狙う雌蛇のようにジーンをねっとりと見つめていた。
「外界には、あなたを汚す雑菌(他の女)が多すぎるわ……。私が純金で、誰も入れない絶対の鳥籠を作ってあげる。……ここで一生、私とドロドロに溶け合いましょう……っ」
(……純金(比重一九・三)の急速な質量集積による、搬送ルートの物理的封鎖。対象の独占欲の暴走が、致命的な障害を引き起こしているな)
ジーンが、大真面目に黄金の壁の破壊係数を演算し始めた、その時。
「……だめ。ジーン様は、私と一つになるの……ッ」
ザバァァァァァァッ!!!!
今度は階段の下部、地下水脈から規格外の鉄砲水が逆流し、猛烈な勢いで階段を駆け上がってきた。
激流の中心に浮かぶのは、水上騎士ビアンカ。彼女もまた、ピンク色のガスによって理性のタガを完全に外していた。
冷たいはずの地下水が、彼女の異常な体表温度によって生ぬるく温められ、むせ返るような熱気となって地下空間を満たしていく。
「息が、できなくてもいい……。光が、届かなくてもいい……っ。深い深い水の底で、私と二人きりで、永遠に沈んで……っ!」
上からは数トンの金塊。下からは数万リットルの激流。
ヴィクトリアの「黄金」とビアンカの「水」が狭い階段で正面衝突し、金塊を巻き込んだ致死的なハイスピードの泥石流となって、ジーンの肉体を圧殺しようと襲いかかる。
(……高質量の固形物と、高圧の流体が混合した閉鎖空間での乱水流。まともに巻き込まれれば、背後の危険物(壺)のパッケージが破損する)
普通の人間なら、一瞬で全身の骨を砕かれ水死する絶対の死地。
しかし、世界で最も不器用なポーターの三白眼は、自身を殺しかねない女たちの『情念の奔流』を前にして、極めて冷徹な流体力学の解を弾き出していた。
(……だが、この下向きの莫大な運動エネルギーは、ルート短縮のための『推力』として利用可能だな)
『スロット1:【圧縮】――対象:足元に転がった幅広の金塊の質量最適化』
『スロット2:【撥水】――対象:金塊の底面と、流体の間に生じる摩擦抵抗の完全排除』
「……フゥゥゥ……ッ!!」
ジーンの肺から、鋭い呼気が吐き出される。
彼は逃げるどころか、自ら激流の中へ跳躍した。そして、ヴィクトリアが落とした巨大な平らな金塊の上に、泥だらけのブーツをドンッと叩きつける。
「え……?」
「ジーン、様……?」
理性を失った二人の美女が、信じられないものを見るように目を見開いた。
ゴォォォォォォォッ!!
ジーンの乗った金塊が、【撥水】の極限応用によって水面との摩擦係数を完全にゼロ化し、荒れ狂う激流の上を『サーフボード』のように滑空し始めたのだ。
百二十キロの荷物を背負いながらも、ジーンの強靭な大腿四頭筋とヒラメ筋が、完璧なサスペンションとして激流の凹凸を吸収する。
前傾姿勢で固定された体幹は一ミクロンのブレもなく、ビアンカの生み出した猛烈な水圧(情念)を、そのまま前進するための爆発的な推進力へと変換していく。
「……ッ!」
暗い地下階段を、黄金のボードに乗ったジーンが猛スピードで滑り降りる。
凄まじい重力加速度(G)が彼の頬の肉を引っ張り、大気を切り裂く風圧が鉄錆の匂いを撒き散らす。
地下一階、地下二階、地下三階。
本来なら慎重に下らなければならない長く険しい螺旋階段を、女たちの放った殺意級の愛の暴走を利用し、わずか十数秒で一気にショートカットしていく。
そして、地下四階の踊り場。
ジーンは瞬時に重心を後方へとずらし、ボード(金塊)のエッジを石造りの床に激しく擦り付けた。
ガガガガガガッ!!
火花が散り、強烈な摩擦が運動エネルギーを相殺する。
ピタリ、と。
ジーンは一切のバランスを崩すことなく、完璧なフォームで激流のサーフィンを終え、大真面目な顔で手袋の汚れを払った。
「……素晴らしい推力だった。おかげで、三階層分のルートと、約八分四十二秒のスケジュール短縮に成功した」
ジーンは、はるか上方の階段の踊り場でポカンと口を開けているヴィクトリアとビアンカに向けて、極めて事務的な業務連絡(感謝)を告げた。
「あ……あぁっ……」
「なんて、圧倒的な……私たちの力を、いとも簡単に……っ!」
自分たちの欲望のすべてをぶつけた絶対の檻を、「ただの下り坂の移動手段」としてあっさりと乗りこなしてしまった男。
その規格外の強さと、濡れた前髪から滴る雄の汗の色気に、二人のマドンナのオキシトシン分泌量はさらに限界を突破し、その場にへたり込んで熱い喘ぎ声を漏らすしかなかった。
「……現在地、地下四階層。廃棄ポイントまで残り六階層。搬送を継続する」
ジーンは背中の壺の固定を確認すると、上階からのむせ返るような熱気など一瞥もせず、さらなる地下へと続く闇の中へ、無音のブーツを滑らせていった。




