第40話:熱力学の矛盾と、粗大ゴミの放物線
第40話:熱力学の矛盾と、粗大ゴミの放物線
大平原を覆い尽くす、三十Gの重力波と超高熱プラズマの暴風。
だが、その世界の終焉たる絶望の只中で、十一人の女たちの肉体は、かつてないほどの『異常な輝き』を放っていた。
ズバァァァァァンッ!!
「ハハッ! なんだこれ、大剣が羽毛みたいに軽い! 関節の引っ掛かりが全くないわッ!」
剣士セレスが、極限までシェイプされた踏み込みで音速の斬撃を放つ。本来なら自重と遠心力で肩の腱が引き千切れるはずのその一撃は、ジーンの【圧縮】による質量最適化によって、一ミクロンのロスもない完璧な運動エネルギーへと変換されていた。
大魔導士エララと聖女ソフィアは、魔法の反動をジーンの強靭な広背筋に物理的に吸収させることで、固定砲台と化して極大魔法の雨を降らせる。
(……全機材のバイタル、および出力安定。関節可動域の摩擦係数ゼロ。大気中の酸素濃度を局所的に引き上げ、血中ヘモグロビンとの結合効率を百二十パーセントに固定)
後方で泥だらけのブーツを大地に縫い付けたジーンは、大真面目な三白眼で戦場を俯瞰していた。
彼の分厚い手袋の指先が、まるで見えないミキサー卓のフェーダーを操作するように、ミリ単位で虚空を弾く。その微細な指の動きに連動し、十一人の筋肉の収縮率や重心座標がリアルタイムで補正されていく。
極限の戦場。全身から噴き出す彼女たちの汗が、魔王の放つプラズマの熱で瞬時に蒸発し、キラキラと輝く後光となって戦場を照らし出す。
自分たちを完璧に支配し、限界を超えた力を引き出してくれる男の『極限奉仕』。美女たちの交感神経は爆発し、圧倒的なメスの歓喜と破壊の悦楽に酔いしれていた。
その姿は、狂気に満ちた戦場に咲き誇る、血と汗に塗れた『アイドル』そのものだった。
『ば、馬鹿なアァァッ!! なぜだ、なぜ我が押されている!? 全ての法則を歪める絶対の特異点だぞォォッ!』
魔王が絶叫する。十一人の女たちを後方で操る「ただの荷物持ちの男」に、魔王の苛立ちは頂点に達した。
『ならば、この空間ごと虚無へ還してやる! 【事象崩壊】!!』
魔王のコアがドス黒く発光し、半径一キロの空間の『大気』と『マナ』を強制的に消滅させ始めた。
絶対真空の生成。呼吸すら不可能となり、内外の気圧差によって人間の内臓など一瞬で破裂する神の魔法。
だが、その空間が真空へと移行しようとした、まさにそのコンマ一秒の隙間。
ダンッ!!
ジーンが、極めて鬱陶しそうにブーツで大地を踏み鳴らした。
『スロット1:【圧縮】――対象:王都方面から吹き込む大気(窒素および酸素)』
『スロット2:【撥水】――対象:魔王の展開する真空化ベクトル』
『実行条件:圧縮した大気を【撥水】の反発力で戦場に強制充填。空間の気圧を「1013ヘクトパスカル(1気圧)」に完全固定する』
「……フゥゥゥゥ……ッ!!」
ジーンの横隔膜が凄まじいポンプの役割を果たし、消滅させられようとしていた大気が、圧倒的な密度で戦場へと『補充』された。
『なっ……!? 空間が、消えない!? 我の魔法が、ただの空気に押し戻されているだと!?』
(……流体力学上、高圧の流体が充填され続ける空間に、真空(無)は発生し得ない。お前の魔法は、物理法則の前に完全に『矛盾』している)
真空を生み出すはずの魔王の魔力回路が、大気の圧力(物理)との矛盾によって無限演算に陥る。結果として生じたのは、排熱ファンを失ったCPUの如き【完全な熱暴走】。
バキバキバキッ……!!
異常な熱量に耐えきれず、魔王の巨体を構成していた黒い装甲が次々と爆け飛ぶ。
「……機材の皆様。対象の装甲が剥がれた。一気にスクラップにしろ」
ジーンの平坦な業務連絡を合図に、ドーパミンを過剰分泌させた十一人の美女たちが、一斉に最凶の必殺技を魔王のコアへと叩き込んだ。
閃光と爆音。魔王の巨体は、ガラス細工のようにあっけなく粉々に砕け散った。
◆
だが、完全に消滅したかに見えたその残骸の中心に、直径30センチほどの大きさのドス黒い『核』が残っていた。
『グ、ガァァ……ッ! 忌まわしき虫ケラどもめ! だが、我はエラーの集合体! この核が存在する限り、いずれ再び受肉し、貴様らの世界を……ッ!』
未練がましく捨て台詞を吐き、空間の裂け目へ逃げ込もうとする魔王のコア。
しかし、その進路を、安酒と鉄錆の匂いを纏った分厚い革手袋が無慈悲に遮った。
「……まだエラーを吐き出しているのか。ルート上の不法投棄は、俺の納品スケジュールを阻害する」
『な、貴様……ッ、我に触れるな! その汚い手袋で、我の崇高なデータを……ギャアァァァァッ!?』
『スロット3:【圧縮】――対象:魔王の核の絶対質量と体積』
『実行条件:対象を極小サイズ(廃棄可能サイズ)まで強制ZIP圧縮』
ジーンの指先がギリッと食い込んだ瞬間、数万トンの質量を秘めていたコアが、物理的に5分の1ほどのサイズへとギュルルルッと圧縮された。
「処理の面倒な粗大ゴミ(エラー)だ。適正な廃棄ルートへ『デリバリー』する」
ジーンは圧縮したコアを右手に持つと、閉じかけている次元の裂け目(虚空)へと視線を向けた。
極寒の採掘場から戦い続け、乳酸が溜まっているはずの彼の肉体は、ここで一ミクロンのブレもない完璧な運動連鎖を描き出す。
対象との距離を測り、足底筋膜から膝、そして股関節へと滑らかに力を伝達させる。瞬時に重心を後方へずらす、鋭く深い『ステップバック』のモーション。慣性を完全に殺したステップから、強靭な腸腰筋と広背筋のバネが生み出したエネルギーが、肩、肘、そして手首のスナップへとロスなく伝わっていく。
それは、一流のペネトレイターが放つ、放物線を極めた完璧なシュートフォーム。
『ま、待てッ! 離せ! 虚空に捨てられれば我は二度と……あ、あああァァァーーーッ!?』
ポイッ、と。
魔王の威厳など微塵も残っていない情けない悲鳴を上げながら、粗大ゴミ(コア)は、ジーンの指先から美しい放物線を描いて虚空の彼方へ吸い込まれていった。
直後、次元の裂け目はパツンと音を立てて消滅する。
……静寂。
世界を滅ぼすはずだった大災害は、ただの「ゴミのポイ捨て」というひどく事務的でシュールな作業によって、完全にデバッグされたのだ。
「はぁっ、はぁっ……! 終わった……ジーン様が、私たちを……世界を救って……っ!」
大量の汗で濡れた肌を輝かせながら、十一人のヒロインたちが熱っぽい視線をジーンへと向ける。彼女たちの心臓は、究極の奉仕を与え、絶対的な力で守り抜いてくれた男への強烈な熱情でドロドロに溶けきっていた。
さあ、世界を救った英雄を、誰が一番に抱きしめるか。女たちの間で再びバチバチとした火花が散りかけた、その時。
「……」
強烈なメスの視線を一身に浴びながら。
ジーンは、大真面目な顔で懐中時計を確認すると、泥だらけの荷物袋をよいしょと背負い直した。
「……現在時刻、十六時四十五分。王都のギルドへ、日用品の納品に向かう」
世界が救われたことなど一瞥もせず。自分に熱を上げる絶世の美女たちにも一ミクロンの興味も示さず。
ただ、「今日の納品スケジュール」を守るためだけに。
世界で最も不器用なポーターは、泥だらけのブーツ音を響かせ、王都へと続く街道を淡々と歩き始めた。




