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第38話:気圧の急降下と、過積載のシスターフッド

第38話:気圧の急降下と、過積載のシスターフッド


 自由交易都市クロスロード。派遣型ギルド『銀の天秤』。

 ジーンの雄の匂いが染み付いたコートを羽織るシズクを前に、十人の美女たちの交感神経が暴走し、致死量の殺気がギルド内を満たした、その瞬間だった。


 ギギギギィィィィッ……!!


 突如、ギルドの空間そのものが、ガラスに巨大な圧力をかけたように歪み始めた。

 大気圧が推定六百ヘクトパスカルまで急降下する。内耳のリンパ液が沸騰するような強烈な圧迫感が全員の三半規管を襲い、平衡感覚(ジャイロ)の致命的なエラーを引き起こす。


『……我は終焉。世界のバグの頂点たる魔王』


 歪んだ空間の裂け目(ワームホール)の向こう側から、大平原の泥の匂いと、鼓膜を内側から破るような重低音が響き渡った。


『ふはははっ、素晴らしい! これほどまでに規格外の魔力と美しさを持った「特級の女ども」が十一集結しているとはな。……貴様ら全員を、我が特異点(シンギュラリティ)へ強制転移(ダウンロード)し、我が花嫁としてやろう!』


 世界を滅ぼす大災害。その絶対的な恐怖の宣告。

 空間の裂け目から、三十Gを超える重力波の触手が無数に伸び、十一人の美女たちを捕縛しようと蠢く。

 普通の人間であれば、その重圧だけで毛細血管が破裂し、恐怖で発狂しているだろう。


 だが。

 アドレナリンとコルチゾール(ストレスホルモン)で血液を完全に沸騰させていた十一人の美女たちの瞳には、恐怖など一ミクロンも存在しなかった。


「……は?」


 砂漠の女王ヴィクトリアが、扇を握る手にギリッと青筋を立てる。

 大魔導士エララが、聖女ソフィアが、一斉に氷のように冷たい視線をワームホールの向こう側――魔王へと向けた。


「……誰の花嫁になるって? この泥棒猫ども相手でも手一杯だってのに、どこの馬の骨とも分からないエラーの集合体(ゴミ)が、アタシたちに触れようっての!?」


「私たちの内部フレーム(心)を弄っていいのは……あの不器用なポーターだけよッ!」


 魔王の傲慢な略奪宣言は、ジーンの『極限奉仕(メンテナンス)』によって完全に雌(メス)として調教されてしまった彼女たちの、最も踏んではならない逆鱗(プライド)に触れたのだ。


「オードリー! ブリュンヒルデ! ビアンカ! 空間が閉じる前に、あの扉(ゲート)をこじ開けなさい! あの奥は、ジーンがいる大平原よ!」


「言われるまでもないわッ!」


 エララの絶叫に呼応し、天才技師オードリーが巨大な蒸気式ドリル装甲車の出力を限界(レッドゾーン)まで引き上げる。


 ギュイィィィィンッ!!


 超硬質合金のドリルが、空間の裂け目の『縁(エッジ)』に物理的に食い込み、回転のトルクで無理やり押し広げる。

 そこへ、鍛冶師ブリュンヒルデの三千度のマグマと、水上騎士ビアンカの絶対零度の冷却水が、一寸の狂いもなく同時に注ぎ込まれた。


 ドガァァァァァァァンッ!!


 閉鎖空間における極大規模の【水蒸気爆発】。

 急激な体積の膨張圧力が、ワームホールを内側からジャッキのように押し広げる。さらに鳥人クロエが風切羽で乱気流のベクトルを制御し、呪い女王ネフェルタリが空間の崩壊をエントロピーの操作で固定化する。

 魔法と物理法則の暴力を完璧に編み上げた、狂気の【ステージ構築】。

 魔王が強制転移のために開いた一方通行のゲートは、ヒロインたちの執念によって、完全に安定した『出陣の直通ルート』へと作り変えられた。


「さあ、行くわよ! ジーン様の隣(特等席)は、この私が一番乗りですわ!」


「ふざけんじゃないわよ! アタシのドリルが先頭よ!」


「重たい腰のおばさん連中は、後ろを歩いてなさい!」


 肩を激しくぶつけ合い、肘で互いの肋骨を小突く。

 「あいつは私のモノだ」という殺意にも似たマウントをバチバチに取り合いながら、十一人の女たちはワームホールへと雪崩れ込んだ。


『ば、馬鹿な!? 我の重力場を逆流してくるだと!? ええい、潰れろォッ!』


 驚愕した魔王が、ゲートの内部に超重力の触手と無数の魔物を送り込んでくる。

 だが、その障害(エラー)は、彼女たちの歩みを一秒たりとも止めることはできなかった。


「邪魔よッ!」


「遅いッ!」


 獣姫ライラの戦斧が、重力波の起点を物理的な剛力で両断する。

 死角から襲い来る魔物の牙を、剣士セレスの神速の刃が、ライラの背中すれすれを抜けて完璧に切り裂いた。

 互いの顔も見ず、言葉すら交わさない。だが、ジーンという同じ熱病を共有した彼女たちの細胞は、極限の戦場において一ミクロンのズレもない完璧な共闘(キネティックチェーン)を描き出していた。

 愛する男の元へ急ぐという、ただ一つの強烈な執着(ベクトル)が、決して交わるはずのなかった十一人の背中を、鉄の結束で繋ぎ合わせていたのだ。


 ◆


 一方、大平原。

 王都の物流ハブを消滅の危機から守るため、魔王の重力波(三十G)を【撥水】で弾き流しながら、単独で特異点へと歩み寄っていたジーン。


(……ルート上の巨大なバグ。俺が物理的に『保守(メンテナンス)』する)


 彼が大臀筋の出力を上げ、右の拳の肩甲骨を完全に引き剥がして、打撃角をロックした、その瞬間だった。

 魔王の背後の空間が、大爆発と共に粉々に吹き飛んだ。


「……?」


 ジーンの三白眼が、信じられないものを見るように細められる。

 吹き飛んだ空間の裂け目から、土煙と異常な熱気を撒き散らしながら。

 マグマと、水と、砂と、ドリルと、魔法の極彩色を纏った『十一人の美女たち』が、血走った目で一斉に飛び出してきたのだ。


「ジーン様ァァァァッ!!」


「どこ行ってたのよ、この朴念仁ッ!!」


 世界を滅ぼす魔王など完全に無視し、十一人のマドンナたちが、最高速のダッシュで一直線にジーンの元へと突撃してくる。

 魔王の放つ絶望的な重圧すら霞むほどの、超弩級の愛と殺意の波状攻撃。


(……空間の亀裂から、想定外の過積載(オーバーロード)。しかもVIP指定の危険物(マドンナ)が十一体同時出力だと……?)


 世界の終わりを前にしても一ミクロンも揺らがなかった最強のエージェントの心臓が、この時ばかりは警報(アラート)を鳴らし、大真面目に頭を抱えた。


(……クソッ。これでは納品のスケジュールが完全に破綻する。まずは、この荷物どもをどう安全な場所へ『隔離(レイアウト)』するか……ッ)


 世界の終焉(ラスボス)を置き去りにした、熱すぎる女たちのシスターフッド。

 そして、その圧倒的な愛の突撃すらも「ただのルートを塞ぐエラー機材の山」として大真面目に処理しようとする男。

 大平原のど真ん中で、ファンタジーの常識を根底からへし折る、絶望的かつ極大な温度差の激突(クライマックス)が幕を開けた。


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