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第32.5話:実家の魔境化と、斥候の戦慄

第32.5話:実家の魔境化と、斥候の戦慄


 自由交易都市クロスロード。

 かつて大陸中の荒くれ者が集うとされた派遣型ギルド『銀の天秤』は、今や完全に人類の立ち入るべき領域ダンジョンではなくなっていた。


 ゴボボボッ……!


「……水路が少し狭いわね。ビアンカ、あなたの運河の水量をもう少し落としてくれないかしら」


「あら? 砂漠の女王様こそ、その成金趣味の金塊の山をどかしていただけません? 水質が汚れますわ」


 ギルドの一階。

 床の右半分は砂漠の女王ヴィクトリアの金塊が山積みにされ、左半分は水上騎士ビアンカが無理やり引き込んだ運河の水で完全に水没している。

 さらに中央には、呪い女王ネフェルタリが持ち込んだ巨大な『黄金の玉座』が鎮座し、その周囲一メートルは、触れたものをすべて砂に変える「砂化フィールド(死の領域)」が展開されていた。


 ギュイィィィンッ! ガァァァンッ!!


「オードリー! 地下のドリルの振動で、アタシのアンビルの打撃角が狂うだろッ!」


「文句はアタシの蒸気エンジン以上の出力(火力)を出してから言いなさいよ、ドワーフのチビ!」


 地下からは、天才技師オードリーが勝手に建設中の巨大工房から地響きが鳴り、地上からは鍛冶師ブリュンヒルデの叩くハンマーの轟音と、彼女が引き込んだ「三千度のマグマ」の熱気が噴き出している。

 そして空中の梁には鳥人クロエが巣を作り、ソフィア、エララ、セレス、ライラの初期メンバー四人が、全方位にマウントの牽制(殺気)を放ちながら睨み合っていた。


 水とマグマ、砂と金塊、そして十人の規格外の女たちが放つ強烈な『ジーンを求める情念のオーラ』。

 それは、どんな魔の森よりも、どんな高難度迷宮よりも恐ろしい、完全な『魔境』であった。


 キィィ……。


 その時、ギルドの扉が静かに開いた。

 姿を現したのは、黒ずくめのローブに身を包んだ、細身の青年だった。

 彼の名はシオン。没落した暗殺者の一族の末裔であり、超高速の隠密行動を得意とする凄腕の斥候スカウトである。

 彼は時折、ギルドを通じてジーンとパーティーを組み、ジーンの異常な空間把握能力に戦慄しながらも、彼を数少ない「背中を預けられる仕事仲間」として高く評価していた。


「……マリーさん。ジーンからの伝言を……」


 シオンはいつものように無音の歩法でカウンターへ向かおうとした。

 だが、ギルドに足を踏み入れた瞬間、彼の暗殺者としての『致死センサー』が、脳内でけたたましい警報アラートを鳴らした。


(……な、なんだこの空間は!?)


 シオンの鋭敏な視界が、ギルド内の惨状を瞬時に捉える。

 床を這うマグマ。絶対零度の水。触れれば崩壊する砂のフィールド。

 そして何より――十人の女たちから全方位に放たれている、国を三つは滅ぼせるであろう圧倒的な魔力と闘気、そしてドス黒いまでの『独占欲』。


(……一歩でも間違えて彼女たちのパーソナルスペース(陣地)に入れば、即座にミンチにされる。俺のスピードでも回避不可能だ……ッ!)


 数多の死線を潜り抜けてきたシオンの背筋に、冷たい汗がツーッと流れ落ちる。

 彼が完全に硬直していると、カウンターの奥から、ゆらりと半透明なオーラを纏った受付嬢マリーが立ち上がった。


「あ、あらシオン……。ジーンからの、伝言……?」


 マリーの瞳の焦点は、完全に別の次元(宇宙)を彷徨っていた。

 彼女の手には、ドクトル・ガルドが調合したと思われる『蛍光グリーンに発光する液体(極度ストレス緩和剤・通称ヤバい胃薬)』が握られており、彼女はそれを白湯で薄めもせずにストレートで飲み下していた。


「マ、マリーさん……顔色が死人みたいですが……。それに、このギルドの状況は一体……」


「……ふふっ。ここはね、涅槃ねはんよ。あの大馬鹿野郎が拾い集めてきた、極上の不良在庫ボムたちが、毎日毎日、血で血を洗う品評会を繰り広げてるの……。もう、私には止める権限も体力もないわ……」


 マリーは、完全に解脱したような薄ら笑いを浮かべている。

 シオンはゴクリと息を飲んだ。


(……ジーン。お前、仕事の裏で一体どんな『異常な空間操作』を行えば、これほどのバケモノたちを一つのギルド(実家)に集結させられるんだ……!)


 凄腕の暗殺者であるシオンすら、ジーンの『無自覚な女たらし力(極限奉仕)』の恐ろしさに完全に戦慄していた。


「そ、そうですか。……伝言は、『次の搬入ルートにノイズ(魔物)が多いから、少し遅れる』とのことです。俺はこれで失礼します。絶対に、命の関わる仕事以外ではここに来ません」


 シオンはそう言い残すと、来た時以上の超高速のバックステップで、逃げるようにギルドを飛び出していった。


「……ふふっ。逃げられる人はいいわね……」


 マリーは、発光する胃薬の瓶を傾けながら、ギルドの中央で火花を散らす十人の美女たちを、虚ろな目で見守った。


「あなたたち、あんまり派手にやらないでよ。……明日には、あいつが帰ってくるんだから」


 その言葉に、十人のヒロインたちの動きがピタッと止まり、全員の顔が一斉に真っ赤に染まる。

 彼女たちの放つ殺気が、一瞬にして「恋する乙女の熱気」へと変換され、ギルド内の温度がさらに数度上昇した。


(……ああ、やっぱりここは地獄ね)


 マリーはため息をつき、静かにカウンターの下へと沈んでいくのだった。


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