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第32話:職人の打撃角と、同じ熱病の同志

第32話:職人の打撃角と、同じ熱病の同志


 ドワーフの地下工房。

 三千度のマグマが左右に割れて固まりつつある灼熱の空間で、ブリュンヒルデは自分の『右腕』を信じられない思いで見つめていた。

 長年彼女を苦しめてきた、義手の異常な質量。それが完全に消え去り、まるで生まれた時からそこにあった自分の腕のように、完璧な重量バランスで肩甲骨に収まっている。


「……すげぇ。本当に、アタシの体が……」


 彼女は、床に落としていた巨大なハンマーを、右手一本で軽々と拾い上げた。

 そして、冷えかけたオリハルコンに向かって、一気に振り下ろす。


 ガァァァァァンッ!!


 工房全体が揺れるほどの轟音。

 これまでとは違う。体幹のブレがゼロになったことで、彼女の広背筋が生み出す強大なトルクが、一ミクロンのロスもなくハンマーの打撃角へと伝達されたのだ。

 絶対に形を変えなかった伝説の鉱石が、たった一撃で、飴細工のように美しい曲線を描いてへこんでいた。


「……打撃エネルギーの伝達効率、約二百四十パーセントの向上。オリハルコンの塑性変形を確認した。見事なハンマーワークだ」


 ジーンが、まるで工場長のように平坦な声で評価を下す。


「あんた……一体何者だ。魔法の詠唱もなしに、アタシの義手の質量を消して……アタシの体の歪みを、完全に直しちまうなんて……ッ」


 ブリュンヒルデはハンマーを置き、ジーンの泥だらけのコートにすがりついた。

 ドワーフは『モノ作り』に命を懸ける種族だ。そして、彼女の『肉体』という最も身近で複雑な機材を、これほどまでに完璧にチューニングしてくれた男。

 彼女の職人としての魂と、封じ込めていたメスの本能が、この無愛想な男の前で完全にドロドロに溶け合っていた。


「……頼む。アタシの専属の『調整役チューナー』になってくれ! あんたがいれば、アタシは神をも超える武器を打てる! あんたには、アタシが打った最高の……ッ!」


 一生、あんたの隣で鉄を打ちたい。

 そんな、不器用な鍛冶師なりの、熱すぎるプロポーズ。

 だが。


「……悪いが、それはできない」


 ジーンの気怠げな三白眼は、彼女の熱意にも、ドワーフの至宝にも、一ミクロンも靡かなかった。


「え……?」


「俺は『物流の維持』を目的とするエージェントだ。一つの工房に定住し、特定の機材の調整のみにリソースを割くことは、俺のプロトコルに反する」


 ジーンは、すがりつく彼女の太く力強い手を、極めて事務的に、しかし確固たる力で引き剥がした。


「それに、お前のその義手の【圧縮】は、俺のシステムリソースを恒常的に消費している。数日後には効果が切れて、元の質量に戻る」


 ジーンは羊皮紙を懐にしまうと、空になった巨大な麻袋を背負い直した。


「質量が戻る前に、軽量のチタン合金か、ミスリルで義手を再設計しろ。……同じエラーを繰り返せば、次は取り返しがつかないぞ」


 それだけを言い残し、ジーンは工房の出口へと背を向けた。

 彼にとって、この奇跡のような調整も、あくまで『木炭の納品』というタスクを完了するための【障害排除】に過ぎなかったのだ。


「ま、待てよ! じゃあ、あんたが直してくれないなら、アタシの体は……アタシは、誰にこの熱をぶつければいいんだよォォッ!」


 振り返ることなく去っていく男の背中に向かって、ブリュンヒルデは絶叫した。

 彼女の胸の奥で、溶鉱炉のマグマよりも熱く、そしてドス黒い『執着』の炎が燃え上がる。


「……逃がすかよ。アタシの体をこんなに狂わせておいて……絶対にあんたを、アタシの金床アンビルに縛り付けてやる……っ!」


 天才鍛冶師の瞳に、ヤバすぎる独占欲が宿った。


 ◆


 数日後。

 自由交易都市クロスロード。派遣型ギルド『銀の天秤』。


「私の体に触れられるのは、あの男だけよ! 砂になりたくなければひれ伏しなさい!」


「フン! そんな触れない女より、アタシの金塊のベッドの方が彼を癒やせるわ!」


「鳥人の巣を燃やせ! あのチビのドリルも止めなさい!」


「ジ、ジーン様は私の……っ!」


 一階は水上騎士ビアンカの水路と、女王ヴィクトリアの金塊が混ざり合い、地下からは技師オードリーのドリル音が響き、空中には鳥人クロエの愛の巣が揺れる。

 中央には呪い女王ネフェルタリの砂化フィールドが展開し、ソフィア、セレス、ライラが全方位にマウントを取り合う。

 もはやギルドの原形を留めぬ地獄の坩堝。


 その時だった。


 ドガァァァァァァァァンッ!!!!!


 ギルドの中央の床が、巨大な爆発と共に完全に吹き飛んだ。

 なんと、地下深くから『三千度のマグマの柱』が間欠泉のように噴き上がり、巨大な鋼鉄の金床アンビルに乗ったブリュンヒルデが姿を現したのだ。


「ここが、アタシの腕を狂わせたヒョロガリの拠点だな? 今日からここは、アタシとアイツの『愛の鍛冶場』だ!」


「「「「「「「「「……はぁ!?」」」」」」」」」


 十人目の乱入者。

 ついにマグマ(地形破壊)まで持ち込まれた圧倒的な修羅場を前にして。


「……もう、たくさんよッ!!」


 鼓膜を劈くような絶叫が、ギルド内に響き渡った。

 大魔導士エララである。

 彼女の交感神経は極限まで興奮し、ストレスホルモン(コルチゾール)の血中濃度が許容量キャパシティを完全に突破していた。


「水だの砂だのマグマだの……バカみたい! 肝心のあいつは、ここに居ないじゃない!」


 エララは愛用の杖を床に叩きつけた。


「私たちのことなんて、ただの『荷物』か『壊れた機材』としか思ってないのに……こんな泥沼の争い、もう付き合いきれないわよッ!」


 彼女は涙目でギルドの崩れかけた扉を蹴り飛ばすと、夜の街へと走り去ってしまった。

 後に残されたのは、マグマと水と砂にまみれて呆然とする九人の美女たちだけだった。


 ◆


 自由交易都市の裏路地。

 冷たい夜風が、エララの体表温度を容赦なく奪っていく。

 涙腺から過剰分泌された涙液が角膜上の光の屈折率を狂わせ、視界がぼやける。彼女は、かつてジーンに優しく手当てされた自分の右腕を抱きしめ、暗い路地裏の壁に寄りかかって一人、声を殺して泣いていた。


(……惨めね。あんなロボットみたいな男に、こんなに心を狂わされて……)


「……こんなところで冷え切っていたら、あの男に『保管環境のエラーだ』って小言を言われるわよ」


「え……?」


 エララが弾かれたように顔を上げると。

 そこには、先ほどまで殺し合いを演じていた九人の美女たちが、夜の闇の中に並んで立っていた。


「な、なんで……あんたたちが……」


「勘違いするな。メス猫が一匹群れから外れて泣き喚いているのが、気に障っただけだ」


 獣姫ライラが、不器用な手つきでエララに自身のマントを投げ渡す。

 それに続き、砂漠の女王ヴィクトリアが、金糸の扇で口元を隠しながら優雅に微笑んだ。


「私たちは全員、あの無愛想なポーターの『極限奉仕メンテナンス』という名の不治の病に感染した哀れな被害者よ。……あんな、一ミクロンも女心リスクを理解しない男に惚れちまった『同志』が、路地裏で一人泣いているなんて、女王のプライドが許さないわ」


「ヴィクトリアの言う通りですわ。私たちは、あの男の無自覚な罪を裁くための、神聖なる同盟……!」


「アタシたちの内部フレーム(心)を狂わせた責任は、絶対にあいつに取らせる。……立てよ、魔導士」


 天才技師オードリーが、油まみれの手をエララへと差し出す。

 呪い女王ネフェルタリも、鳥人クロエも、水上騎士ビアンカも、全員が深く頷いていた。

 誰もが、己の誇りをへし折られ、圧倒的な物理ハックによって心を奪われた「同じ熱病」を抱えている。


「あんたたち……」


 エララの視界を覆っていた水分が、ポロポロと頬を伝って落ちる。

 彼女は、差し出されたオードリーの泥だらけの手を、しっかりと握り返して立ち上がった。


「……ええ、そうね。私たち同志で、鈍感ポーターを、絶対に捕まえてやるんだから……!」


 ギルドを破壊し尽くした九人の美女と、家出をした一人の大魔導士。

 決して交わるはずのなかった彼女たちの間に、ジーンへの『同じ想い(熱量)』を触媒とした、強固で異質なシスターフッド(同盟)が結成された瞬間だった。


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