第31話:溶鉱炉の暴走と、鋼鉄義手の重量配分
第31話:溶鉱炉の暴走と、鋼鉄義手の重量配分
大陸西部の火山地帯。その地下深くにあるドワーフ族の巨大工房。
外気温が六十度を超える灼熱の空間で、轟音と火の粉を散らしながらハンマーを振り下ろしている小柄な少女がいた。
「クソッ……! まだだ、まだ火力が足りねぇ! もっと炉の温度を上げろォッ!」
ドワーフの天才鍛冶師、ブリュンヒルデ。
彼女は伝説の鉱石『オリハルコン』を鍛造するため、己の右腕である『鋼鉄製の義手』を軋ませながら、身の丈ほどもある巨大なハンマーをアンビル(金床)に叩きつけていた。
「……現在、炉内温度が三千度を突破。冷却システムの許容量を超えている」
轟音に掻き消されそうな空間で、ひどく平坦で気怠げな声が響いた。
「あァ!?」
ブリュンヒルデが血走った目を向けると、そこには、巨大な木炭の麻袋を背負った泥だらけの男――ジーンが立っていた。
「……燃料の搬入だ。納品書にサインを」
「邪魔だ、ヒョロガリ! 今アタシは最高傑作を打ってんだ! その辺に置いてさっさと消えな!」
彼女はジーンを怒鳴りつけると、再びハンマーを振り上げた。
だが、その瞬間。
ボォォォォォンッ!!
限界を超えた溶鉱炉の耐火レンガが吹き飛び、三千度の液状化したマグマが、工房内に大津波となって溢れ出した。
「なっ……!?」
ブリュンヒルデの顔が絶望に染まる。
マグマの奔流は、彼女の体を跡形もなく飲み込もうと迫り来る。
だが、ジーンの三白眼は、迫り来る死のマグマではなく、彼女の振り上げた『鋼鉄の義手』のジョイント部分の微細な歪みを冷徹にスキャンしていた。
(……右腕の義手の質量が、左腕の生身に対して二・五倍重い。この極端な重量配分のエラーにより、ハンマーを振り下ろす際の体幹が左前方へ三度傾いている。結果、アンビルへの打撃エネルギーが分散し、オリハルコンを鍛造しきれていない。……炉の温度を上げすぎたのは、その打撃不足を熱量で補おうとした結果か)
一流の職人の脳内バグは、大惨事の原因が『炉の異常』ではなく、『彼女自身の姿勢の異常』にあると瞬時に看破していた。
「……ルート上の安全確保、および機材のメンテナンスに移行する」
マグマがブリュンヒルデを飲み込む直前。
ジーンが、無造作に彼女の前に立ち塞がった。
『スロット1:【撥水】――対象:自身の半径五メートル以内に侵入する液状マグマおよび輻射熱の完全弾き返し』
『実行条件:分子間反発の出力を最大化。流体の進行ベクトルを強制的に左右へ分岐させる』
「フゥゥゥ……ッ」
ジーンの呼吸と共に、ブーツが大理石の床を粉砕してめり込む。
三千度のマグマの大津波が彼に激突した瞬間。
あり得ない物理現象が起きた。マグマが、ジーンの見えない【撥水】の盾に触れた途端、まるでモーゼの海割れのように綺麗に真っ二つに裂け、彼の両脇を通り抜けていったのだ。
「えっ……!?」
ブリュンヒルデは、目の前で起きている神話のような光景に、ハンマーを取り落とした。
熱波も、炎も、すべてが彼を避けていく。ジーンの背中にある木炭の麻袋すら、一粒の火の粉も浴びていない。
「……炉の暴走は食い止めた。だが、根本的なエラーが直っていないな」
ジーンは、マグマの海が左右へ流れていく中、一切の表情を変えずにブリュンヒルデへと振り返った。
「お前のその義手。重量バランスが狂っている。肩甲骨のサスペンションが限界だ」
「な、何を……っ! アタシの義手は完璧だ! 素人が口を出すなッ!」
職人としてのプライドを傷つけられ、ブリュンヒルデは激昂してジーンの胸ぐらを掴もうとした。
だが、ジーンの分厚い革手袋が、彼女の鋼鉄の義手の関節部を、恐ろしいほどの正確さでガシリと掴んだ。
「ひゃっ……!?」
『スロット2:【圧縮】――対象:鋼鉄義手の絶対質量(五十五キロ)』
『実行条件:質量の圧縮率を変動させ、生身の左腕と完全に等しい重量バランスへと再設定する』
カチリ、と。脳の奥で物理的なスイッチが入る。
ジーンの大拇指が、義手と生身の接合部にある神経の隙間に、ゴリゴリと食い込んでいく。
「……痛みが走るが、舌を噛むなよ。骨格のズレを物理的に矯正する」
「あっ、痛っ……! やめっ、そこ、ダメ……っ、あぁぁんッ!」
長年、重い義手を無理やり支え続けてガチガチに強張っていた広背筋と僧帽筋が、ジーンの圧倒的な指の力によって強制的に解きほぐされていく。
それと同時に、【圧縮】によって義手の重量がスッと消え去り、彼女の体幹が『本来の完璧なバランス』へと戻っていく。
激痛の直後、堰き止められていた血流と神経伝達が一気に解放され、脳髄を白く染め上げるような強烈な快感が、ブリュンヒルデの全身を貫いた。
(……なんだ、これ。義手が、自分の本当の腕みたいに……軽い。それに、この男の手、すごく……熱くて、硬い……っ)
ドワーフの少女の顔が、溶鉱炉の熱とは全く違う理由で、耳の先まで真っ赤に染め上がっていく。
ただ力任せに鉄を打ってきた彼女にとって、自分の『肉体という機材』を、ここまで完璧に、そして優しくチューニングしてくれた職人は初めてだった。
モノ作りの情熱と、自分を支配する絶対的な『雄』への屈服が、彼女の心臓の中でドロドロに溶け合い始める。
「……重量配分の再設定、完了。これでアンビルへの打撃角が正常化するはずだ」
ジーンは、マグマの海が収まったのを確認すると、パッと手を離し、手袋の油汚れを払った。
「……納品書のサインを頼む。俺は次の現場に行かなければならない」
極上のメンテナンス(スパ)を施し、彼女を完全に骨抜きにしておきながら。
ジーンの気怠げな三白眼には、荒い息を吐き、火照った顔で彼を見上げるブリュンヒルデの『メスの顔』など、一ミクロンも映っていなかった。




