第21話:不法投棄物の【整理】と、至高のVIP輸送
第21話:不法投棄物の【整理】と、至高のVIP輸送
大商業帝国ゴールド・バザリクの第三大倉庫前。
数千トンの瓦礫を自らの肉体一つで完全撤去したジーンは、大真面目な顔でヴィクトリアに向かって右手を差し出していた。
「……一時間分の賃金、銀貨三枚だ。確認を」
ヴィクトリアは砂まみれの地面にへたり込んだまま、震える手で懐から銀貨を三枚取り出し、彼の分厚い革手袋の上に乗せた。
純度九九パーセントの金貨の山には見向きもしなかった男が、薄汚れた銀貨を受け取った瞬間、微かに「安堵」のような息を吐く。
「……取引成立だ。では、俺は次の依頼へ向かう」
「ま、待ちなさい……ッ!」
踵を返そうとしたジーンの泥だらけのコートを、ヴィクトリアが慌てて力強く掴んだ。
数兆の経済損失を防ぎ、彼女の資本主義的価値観を根底から粉砕したこの男を、ここで手放すわけにはいかない。金で買えない絶対的な『力』と『安心感』。それを手放せば、彼女は二度と夜も眠れなくなるような気がした。
「……倉庫の崩落で、私の移動用馬車が壊れてしまったわ。これから隣街のオアシスまで視察に向かわなければならないの。あなた、私の『護衛兼、運搬係』としてついてきなさい。もちろん、時給は払うわ!」
「……馬車の代行輸送か。規定の重量とサイズなら、オプション料金で引き受ける」
ジーンは、熱っぽい視線を向ける女王の顔など一切見ず、ただの『追加の物流業務』として淡々と頷いた。
◆
一時間後。
灼熱の太陽が容赦なく照りつける、オアシスへの砂漠の街道。
外気温は五十度に達し、大気は揺らぐ陽炎によって歪んでいる。
ヴィクトリアは、十五キロの『魔導帳簿』を抱え、十センチのピンヒールで砂漠を歩かされていた。
護衛の騎士たちも熱波に体力を奪われ、足取りが重い。
(……足が、痛い……っ。でも、この男の前で、無様な姿は見せられない……!)
先ほどの圧倒的な労働を見せつけられた彼女は、変な意地を張って「自分の足で歩く」と言い張ってしまったのだ。だが、親指の付け根(中足趾節関節)は激しい摩擦で皮膚が裂け、出血が始まっている。
ジーンは最後尾を歩きながら、その歩行フォームの異常を冷徹にスキャンしていた。
(……積載物(魔導帳簿)の重量に対し、足元の接地面積が極端に不足している。靴内部での出血と、熱波による軽度の脱水症状(熱中症)の初期サイン。このままではルート上で荷物が自壊するな)
ジーンが『機材のメンテナンス』を提案しようと口を開きかけた、その瞬間だった。
ドォォォォンッ!!
突如、街道の左右の砂丘が爆発するように吹き飛んだ。
もうもうと舞い上がる砂煙の中から姿を現したのは、砂漠の保護色に身を包んだ数十人の武装集団。
金目的の砂漠盗賊たちによる、計算し尽くされた奇襲だった。
「ヒャハハハ! 砂漠の女王のお出ましだ! その首と帳簿を置いていきな!」
血走った目をした盗賊の首領が、殺傷力の高い曲刀を振りかざし、ヴィクトリアへと襲いかかってくる。
護衛の騎士たちは熱射病で反応が遅れ、迎撃が間に合わない。
「ひっ……!」
ヴィクトリアは痛む足のせいで逃げることもできず、その場にすくみ上がった。
刃が、彼女の美しい白い首筋に迫る。
「……搬出ルート上に、未登録の危険物(不法投棄)を多数確認」
極めて平坦で、気怠げな男の声が砂漠に響いた。
『スロット1:【整理】――対象:半径五十メートル以内に存在する、人体以外のすべての「武器形状の金属」』
『実行条件:材質および重量順による、指定座標への強制インベントリ移動』
カチリ、と。
ジーンの脳内で、倉庫番が在庫を整理する時と同じ、極めて事務的なシステムスイッチが押された。
次の瞬間、砂漠で「あり得ない物理現象」が起こる。
「死ねェッ! ……って、あァ!?」
首領が力一杯振り下ろしたはずの右手が、虚しく空を切った。
見れば、彼が握っていたはずの曲刀が、手品のように忽然と消え去っている。彼だけではない。砂丘から襲いかかってきた数十人の盗賊たちが手にしていた剣、槍、弓矢のすべてが、一瞬にして彼らの手元から「消失」していた。
「な、なんだ!? 俺の剣が!」
「どこに消えやがった!?」
パニックに陥る盗賊たち。
だが、彼らの武器は消滅したわけではない。
ジーンの立っている場所から少し離れた砂丘の隅に、まるで神経質な清掃業者が片付けたかのように、刀剣類、長柄武器、弓矢が「材質ごと」「重量ごと」にミリ単位のズレもなく美しく積み上げられていたのだ。
本来はポーターが自身の荷物を整理するためのスキル。それを空間座標のハッキングに悪用した、理不尽極まりないシステム蹂躙。
「……ルート上の障害物の排除、完了。搬送業務に復帰する」
ジーンは、混乱して立ち尽くす盗賊たちなど完全に風景の一部として無視し、へたり込むヴィクトリアの元へと足音を立てずに歩み寄った。
「……対象のバイタルが規定値を下回っている。これより、VIP対応の強制搬送に移行する」
ジーンは一言も発さず、砂に塗れた彼女の体を、十五キロの魔導帳簿ごと、分厚い右腕一本で無造作に抱え上げた。
「きゃっ!?」
『スロット2:【撥水】――対象:積載物に対する外気温、熱波、および紫外線の完全遮断』
『スロット3:【免震】――対象:歩行時の衝撃および振動のキャンセル』
「……舌を噛むなよ。少しペースを上げる」
ジーンが片足で砂を蹴り、強靭な大腿四頭筋の収縮によって、爆発的な推進力を生み出す。
瞬く間に盗賊たちの群れを置き去りにし、陽炎の向こうのオアシスへ向かって、凄まじいスピードで砂漠を駆け出し始めた。
「ちょ、ちょっと! 揺らさないで、足が……足が痛いんだから……ッ!」
ヴィクトリアは激痛を覚悟し、彼にしがみついて硬く目を閉じた。
だが、数秒が経過しても、彼女の足に響くはずの激痛は、全くやってこなかった。
「……あれ?」
そっと目を開ける。
周囲の景色は、見たこともない猛スピードで後ろへと流れている。外気温は五十度を超え、皮膚を焦がす熱風が吹き荒れているはずだ。
なのに、彼女の体には、一ミクロンの「揺れ」も伝わってこない。
それどころか、ジーンの腕の中にいる彼女の周囲だけ、まるで透明なドームに覆われているかのように、涼しく心地よい微風が循環しているのだ。
(……何よ、これ。揺れないどころか、王室専用の馬車よりも、ずっと……)
ヴィクトリアは、信じられない思いでジーンの横顔を見上げた。
彼は【撥水】のフィルターで熱波と紫外線を完全に弾き出し、内側に空調管理された「絶対安全の空間」を作り出している。さらに【免震】の歩法により、着地の衝撃をすべて己の筋肉と関節で吸収し、荷物への負荷をゼロに保っていた。
金がすべての商業帝国で、最高の贅沢を知り尽くした女王。
そんな彼女でさえ、今まで一度も味わったことのない、至高の『VIP輸送(極限奉仕)』だった。
「……積載物の姿勢ブレ、異常なし。外反母趾への物理的テンション、現在ゼロ。……どうした、苦しいか」
ジーンが、視線を前に向けたまま、気怠げな声で尋ねる。
その声には、自分を助けてやったという恩着せがましさも、女王に対するへりくだりも、何もない。ただ、荷物の状態を管理する職人の、無機質だが絶対的な安心感だけがあった。
「……っ」
ヴィクトリアの胸の奥で、何かが致命的に音を立てて崩れ落ちた。
金を出せば、どんな男でも買えた。どんな贅沢でも手に入った。
だが、この男が今提供している『圧倒的な安心感』と『心地よさ』は、帝国の金庫を空っぽにしても、絶対に買えないものだと思い知らされたのだ。
彼の汗と鉄錆の匂いが、最高級の香水よりも甘く、彼女の脳髄を溶かしていく。
「……苦しく、ないわよ。ただ……」
ヴィクトリアは、耳の先まで真っ赤に染めながら、ジーンの分厚いコートの胸元をギュッと握りしめた。
そして、これまで誰にも見せたことのないような、上目遣いの、甘えきった声で囁く。
「……もう少し、ゆっくり歩きなさい。女王の視察は、急いではダメなのよ……」
もっと、この腕の中にいたい。
痛みを忘れさせてくれる、この男の体温を独占したい。
そんな、金で買えない「我儘」だった。
だが。
(……なるほど。VIP特有の「低速による慎重な輸送」のオプション要求か。……面倒だが、チップをもらった手前、無碍にはできないか)
恋愛感情がバグっている男の脳内では、女王の甘酸っぱい初恋の吐息さえも、極めて事務的な『配送オプションの変更』として処理されていた。
「……了解した。巡航速度を二〇パーセント下方修正する」
ジーンは、大真面目な顔で小さく頷き、歩幅を微調整する。
金にひれ伏す男たちを見下してきた女王が、一切金に靡かない時給制のポーターに、骨抜きにされ、ドロドロに甘やかされていく。
熱砂の海で、決して交わることのない温度差が、静かに、だが強烈にすれ違っていた。




